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2012年9月21日 (金)

帽子の山

帽子好きの始まりは、昭和36年私が就職した時、一宮から名古屋の高辻のトヨタの販売店に勤め始めたころである。通勤に中折れ帽子をかぶり始めた。そんなにツバがでかくないもので中折れもそんなに極端ではないものだった。

昭和41年傍系のカローラの販売店でセールスマンをするようになった。大体特徴のない顔なので、お客さんに与える印象が薄い。あの当時は肥満体で、下腹が出て、背広を買う時に困ったものだ。上はサイズが普通でも、ズボンがひとサイズ上になる。だから友人の紳士服販売会社の倉庫で、サイズを入れ替えて買っていたが、残った上半身が異常に発達したシュワルツェネッガーが着るようなものをどうするかと聞くと、問屋に返品するだけだという。これでは気の毒だから、ブレザーにした。

そのころ、ベレー帽を密かに営業するときに被るようになった。実は私の苗字はそんなにはない。ところが同じ苗字がもう一人営業に配属された。こいつが私の成績を横取りするんではないかと、識別するために始めた。これが評判でねェ、市役所、警察、保健所、大手の会社へ入り込んでいった。会社に「ベレー帽のセールスはいるか?」という問い合わせが来るようになって初めて、会社が私がベレー帽でしかもブレザーを羽織って仕事をやっていることに気が付き、大目玉をくらった。「君は会社に遊びに来ているのか」と。確かに遊び人姿だ。でも私は止めなかった。ところがある日突然にベレー帽が鍋敷きに配置転換させられた。昭和46年、婦女暴行魔の大久保清が、ベレー帽をかぶってさっそうと登場してきたからだ。

先日40年も前のお客さんに会ったら、そのベレーの話になって、インパクトが強かったことに今さらながら感心した。

Photo_2マラソンを始めて、帽子は欠かせないようになった。炎天下を走るとどうしても必要になる。しかも、マラソン大会の走路員をするようになったら、帽子を記念品にくれるから、どんどん溜まってしまった。仕方がないので市の福祉へ寄付をしていた。

お気に入りは、郡上の酒蔵の女将さんが特に私にと、京都から取り寄せて下さったのは、軍の特殊部隊グリーンベレーが被るような黒い大き目なベレー帽、種類でいうならばモンテイ―ベレーにあたる。この酒蔵の店頭の店員に被らせているもの。なかなかいい物で、品がよくいつも被っている。

下記が帽子図鑑です。
http://www.geocities.co.jp/stylish/4051/zukan.htmlPhoto_3

最近またその帽子病が始まって、変わった帽子を集めるようになった。10年連続フルマラソン完走者に与えられる前後にツバが付いているもの、自転車用のもの、登山用なものとそろい始めた。

どうしてもハンチングが欲しくって、帽子屋に入ったら、あんたの頭に合うサイズはこれしかないと、後ろに仕着せ……というのは、破れたところに同じ色の生地を縫い合わせてあるものがあり、しかもツバが破れている。こんなものと言うと、これがデザインですという。それしかないのならば仕方がない。今はその破れめがドンドン広がって、とうとうビリビリになってしまった。Photo

そこでインターネットを調べ始めたら、楽天市場のよな所で写真で、種類と色を自由に選択で きて買い物ができる。しかも頭蓋骨が58cmと大きい私でも合うサイズを選択できた。だからとうとうハンチングと、思い出してもう一度ベレーを被りたくなり購入した。

別に頭が剥げているわけではないが、好きなんだ。帽子が。マウンテンバイクで走る時はヘルメットと思うでしょうが、私はハンチングやベレーで走っている。

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