現金1000万円の落し物
広島の粗大ごみ処理施設で1000万円が見つかった。
なぜか私も、拾い物をよくする。この中で一番な拾い物は43万円であった。
あれはいつころだっただろう。私がトヨタカローラ愛豊のセールスマンをやっていて、担当地区が稲沢市でしたから、昭和43年ごろだと思う。そうすると56年も前のことか。でも日にちだけはよく覚えている。12月25日の夜の8時すぎだった。サンプルカーをお客さんに見せての帰り道、目の前を電器店の小型トラックが走っていた。荷台には商品の入ったダンボール箱が積んであった。
路面が悪くカタンと揺れたその時、荷台から何かが飛び出したように見えた。気のせいかもしれないと思ったが、念のため前の車のナンバーと看板の社名と電話番号をメモして引き返した。
気のせいでなく三方にチャックが付いている黒い鞄が側溝に落ちていた。中身を確かめずにすぐに電器店のトラックを追いかけたが、国道の信号でどちらに走っていたのか分からず、やむを得ずいったんは会社に帰ることにした。
中身を調べてびっくりした。大量の伝票と領収書の中から小切手や現金で合計43万円ほど出てきた。車と電器製品は世の中で大変もてはやされていた頃でしたから、集金額も桁外れだった。当時3~4万の給料で、カローラが50万円そこそこでしたから、猫に小判、猫にまたたび、お女郎に小判(?)まァいいやそんなこと、大金なんですねェ。(早く届けないと・・・・)
早速警察に届けに行った。1円が何個、5円が何個・・・・、1万円何枚(ウン?そのころ万円札ってあったかなァ)、小切手の額面がいくら・・・・と事細かく取得物明細書が書かれて行った。そして取得物預かり書が渡された。落とし主が6カ月以内に出頭しない時は、取得物は私の物になるうんぬんとある。(6カ月か・・・・そうかそうか、ムフフ)
担当官が言った。
「マスコミに知らせていいですか」
「えェいいですよ。私は営業マンですからPRになるわァ」
落とし主には、本人が事務者に着く前にもう届けられていたから、すぐに連絡が取れ、間もなく私と同年輩の男性が妻子を連れてやってきた。礼金を受け取って欲しいというが、
「金が欲しけりゃ、金だけ抜いて後は捨てるよ」
と言って断ったが、なんせ大金だからゆえ、警察からくれぐれも礼金を払うように、といわれたという。私もそれではということで預り書にサインして渡した。
ところが、マスコミからの連絡を心待ちにしていたのに、とうとうこなかった。
翌日出勤すると、
「おォ~ッ!時の人がきたぞ」
と仲間が騒いだ。なんと、毎日新聞の社会面に大きく、
「正直セールスマン現金を拾う」
と書いてあり、一部始終事細かくインタビュー記事となっているではないか。私はインタビューも受けていないのになぜ? と思ったら守衛さんが、
「君が帰った後、新聞社から電話があってさァ、ワシが見聞きした顛末を説明しておいたよ」
という。(なんとまァ)
その新聞のお蔭で、お礼に頂いた15000円は周知の事実となり、会社の目の前に焼肉屋へ入り、仲間の焼肉代になり、翌日の新聞を読んだというお客さんのコーヒー代になり、ついに足が出てしまった。
おまけの話ですが、届けた時、係員がこんな話を聞かせてくれた。超有名な「トンネルを出たらそこは雪国だった・・・」の川端康成の何千マンの預金通帳を拾って届けた人がいた。ところがこの作家は礼をするどころか、通帳が欲しかったらあげるよといったという。拾った人は善意なのに。オレならそれ貰ってオークションにかけてやるがなァ。そしてあざけってやるがなァ。拾った人が礼金目当てで既に宴会をしていたらえらい損害だ。でも川端康成も心がないなァ。
今回の場合は4人が「私ではないか」と名乗りでてきた。誰かが欲をかいているだろうか、それは不明だ。
昭和43年当時の43万円とはカローラの価格から比較すると150~160万ぐらいだろうか。オレもあれを懐に入れていたら、人生がどんどん悪い方向に変わっただろうなァ。だからこうして真っ正直に生きていけるんだ。
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