ボクシング大会の国歌斉唱について
井岡と宮崎ダブルKOをみていて不愉快になった。試合はそれなりに評価するが。これを見ていて国歌斉唱の時に、相手側はチキンと自分の国の国歌を斉唱しているのに、日本人は選手はおろかセコンドまで誰も国歌を斉唱していない。これってどっかおかしくないか?
こういうことは教育現場から指導しなくてはいかん。先生が国歌斉唱に起立しない何てバカなことをやっているからこんな選手が出てくる。いくら強くても応援したくないなァ。子供がいじめを受けているのに目を向けない教育者が多すぎる。
ワシなんかは、中学校の時に吹奏楽部にいた。祝日になれは国旗掲揚しながら、君が代を吸奏したものだ。だからといってワシは右翼でもなんでもない。至っておやだかな性格をしているぞ。
体育祭になれば君が代行進曲や軍歌まで吹奏したぞ。家には伊吹山で拾ってきた国歌の中にある「細石(さざれいし)」が鎮座している。
アメリカ国歌は、祖国の独立をたたえる国歌である:「おおわれらの星条旗よ、夜明けの空、黄昏もやの中で、誇りに満ちてきらめく、その細い縞と輝く星は、弾丸飛び交う戦の庭に、夜通し堂々と翻っている、おおわれらの星条旗があるところ、自由と勇気とともにあり」同じ部類に、カナダ、メキシコ、ブラジル、ベルギー、フィンランド、インドネシアがある。
フランス国歌は、社会の革命をたたえる国歌:「いざ祖国の人々よ、栄えある日は来れり、圧制の血に滲む旗は、我らに翻(ひるがえ)る、聞かずや、野に山に暴虐の敵を呼ぶを、彼ら来たりて我らの妻子を殺さんとす、武器をとれ人々よ!隊伍を組み、進め進め!仇なす敵を我らの畑にほ屠(ほふ)らん」同じ部類に、イタリア、ロシア、中国、エジプト、エチオピアがある。
う~ん。考えてしまう。フランスは今問題になっていると聞いたが?
イギリス国歌は、カミや君主をたたえる国歌:「神よ、我が尊き女王(ないし国王)を守り給え、我が気高き女王に御長寿あらしめ給え、神よ、女王を守り給え、女王に勝利と幸福を与え給え、我らの上に長く君臨されんことを、神よ、女王を守り給え」同じ部類に、スイス、イラン、インド、オランダ、デンマーク、タイ、ネパール、トンガがある。
お隣の韓国は、歴史や国土を讃える国歌:「東海の水枯れ、聳(そび)える白頭山すり減るとも、神護り給いて万歳、むくげの花の咲く美しき江山(くに)、大韓人、長久(とわ)に栄えん」同じ部類に、イスラエル、ギリシャ、ノウウェー、フィンランド、チェコ・スロバキア、北朝鮮がある。韓国なんかはいい国家を持っていうが性格が悪い。
これは美しい。こういう中立的な情緒溢れる国歌が好かれるだろうな。
では日本国歌を外国がどう翻訳しているか気になる。
まず英訳(E・アーノルド。小見山寿海訳)「願わくば我々の君主の支配権が、千年も八千年も歳月が過ぎ去り、盤石の岩根に年を経て、青々と悠久の苔のむすまで続きますように」
仏訳(G・ボノー。坪井一訳)「どうか我々の大君には、その御時世が、千代も八千代も続くのを御覧なられますように、小石が巌となり、その上に苔がはえるまでも」
伊訳(A・メルカイ。西原猛夫訳)「我々の主権者が、幾千年もの時代にわたり、小石が苔で覆われた巌となるまでも、統治されることを祈ります」
英訳(B・チェンバレン。小見山寿海訳)「千年もの幸福な生活が、わが主上の御生涯であるよう生き長らえて下さいますように、現在かわいい小石が年を経て大磐石となり、その古びた巌の全面に苔が生い茂るまでも」
独訳(F・エッケルト。植村敏夫訳)「帝王ご一家が千年また千年も栄えますよう、小さな小石が大きな巌となり、苔で覆われてしまうまでも」
ここで著者は、これは日本の帝国憲法時代に翻訳されたものだから、「君が代」を「天皇の治世」とみるか「天皇の生涯」と訳した例が多いという。訳し方で日本をどのような国家と理解するかのキイ・ポイントになろうと言っている。
井岡君、宮崎君国歌を知っているか?
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