« カルメ焼きと燻製つくり | トップページ | 奨学金 »

2013年5月17日 (金)

ローラースケート場

このごろローラースケートはどこへ行ったンであろうか。

ひところは東京ボンバーズというチームがあり、ローラースケートとプロレスを組み合わせたようなゲームがあった。

 

今のローラースケートは縦に四輪のものが多いが、私たちの子供のころは自動車形の四輪であった。昭和25年~30年ごろ、珍しい縦型を作った子がいた。隣の町内の安井の兄ちゃんが、アイススケート形の三輪のローラースケートを一人で作った。

 

一躍仲間の中では英雄扱いである。だれもが一度は使いたかった。

だんだんローラースケートがブームになってきた。市内はまだ舗装が少なかったので、真清田神社の裏にローラースケート場が出来上がった。今は改築されて噴水になっている。

 

道は徐々に舗装されていった。今の県道名古屋岐阜線(昔の国道22号線)は大半が舗装されていたが、車はほとんど走っていなかった。そのころの輸送手段はまだ馬車が使われていた。大きな荷車に馬主が乗り、馬がパカパカと引いていく。その馬の糞を見つけると、文句をいわずに拾ってきて、畑の肥やしにした。間接的には人の肥やしにもなった。この糞に乗ると背が高くなるといわれていたので、子供は平気で踏んでいた。

 

国道をローラースケートで遊んでいるときに、たまたま日通の馬車が通りかかった。その馬車の周りをガラガラ滑り、疲れると、

「おじさん乗せて」

といって荷車の上で休んだ。

こんな調子でずいぶん遠くまで遊びに行った。記憶では一宮市内の今伊勢辺りだから、4キロほどある。当時の子供はずいぶんとタフだった。

今は縦に4輪のローラースケートで靴までセットされているのが主流である。江南のスイートピアから一宮の野鳥公園まで木曽川の河川敷に遊歩道が出来た。ここにローラースケーターが集まるようになった。延々と5kmは走れる。

私はここを、マウンテンバイクでよく走る。西濃の山が丸見えで景色もよく、車が入れないので安心でき、歩行者も少ない安全な場所だ。森の中では戦闘服を着て戦争ごっこをしている若い集団がいる。野鳥を撮っているカメラマンも沢山いる。いいスケート場だ。

|

« カルメ焼きと燻製つくり | トップページ | 奨学金 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ローラースケート場:

« カルメ焼きと燻製つくり | トップページ | 奨学金 »