ローラースケート場
このごろローラースケートはどこへ行ったンであろうか。
ひところは東京ボンバーズというチームがあり、ローラースケートとプロレスを組み合わせたようなゲームがあった。
今のローラースケートは縦に四輪のものが多いが、私たちの子供のころは自動車形の四輪であった。昭和25年~30年ごろ、珍しい縦型を作った子がいた。隣の町内の安井の兄ちゃんが、アイススケート形の三輪のローラースケートを一人で作った。
一躍仲間の中では英雄扱いである。だれもが一度は使いたかった。
だんだんローラースケートがブームになってきた。市内はまだ舗装が少なかったので、真清田神社の裏にローラースケート場が出来上がった。今は改築されて噴水になっている。
道は徐々に舗装されていった。今の県道名古屋岐阜線(昔の国道22号線)は大半が舗装されていたが、車はほとんど走っていなかった。そのころの輸送手段はまだ馬車が使われていた。大きな荷車に馬主が乗り、馬がパカパカと引いていく。その馬の糞を見つけると、文句をいわずに拾ってきて、畑の肥やしにした。間接的には人の肥やしにもなった。この糞に乗ると背が高くなるといわれていたので、子供は平気で踏んでいた。
国道をローラースケートで遊んでいるときに、たまたま日通の馬車が通りかかった。その馬車の周りをガラガラ滑り、疲れると、
「おじさん乗せて」
といって荷車の上で休んだ。
こんな調子でずいぶん遠くまで遊びに行った。記憶では一宮市内の今伊勢辺りだから、4キロほどある。当時の子供はずいぶんとタフだった。
今は縦に4輪のローラースケートで靴までセットされているのが主流である。江南のスイートピアから一宮の野鳥公園まで木曽川の河川敷に遊歩道が出来た。ここにローラースケーターが集まるようになった。延々と5kmは走れる。
私はここを、マウンテンバイクでよく走る。西濃の山が丸見えで景色もよく、車が入れないので安心でき、歩行者も少ない安全な場所だ。森の中では戦闘服を着て戦争ごっこをしている若い集団がいる。野鳥を撮っているカメラマンも沢山いる。いいスケート場だ。
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