八俣大蛇(ヤマタノオロチ)退治と草薙ぎの剣
古事記の現代版を読んでいた。その中に面白い記述を読んだ。
スサノウは高天原でいつもの乱行を働いたので中つ国に追放されてしまった。スサノウの命鳥髪に降りて斐伊川の上流にたった。今でも山深いところである。人の気配すらない。川面を見ると箸が流れてきた。
川を遡りと家があった。中では老人と老婆が娘を挟んで泣いている。老人は尋ねに答えて、
「私どもには8人の娘がおりましたが、遠くにいる八俣の大蛇が毎年やってきて一人ずつ食べてしまう。もうその時期がやってきて、いよいよ最後の一人が……」
どんな大蛇だと聞くと、目はほうづきのように赤々と燃え、頭が八つ尾が八つ、体には苔が生え木が繁り、長さは八つの山を渡るほどです。腹は血みどろにただれ、恐ろしい姿だという。
スサノウは娘の美しさに惹かれ、娘をくれという。
スサノウは大蛇退治の対策を練り、濃い酒を造り、垣をめぐらして八つの入り口をつけ、入口ごとに台を置きそれぞれ酒の桶を置き満たした。
大蛇は酒を好む、飲んでたちまち酔い寝てしまう。それを十拳(とつか)の長剣で切り刻んだ。この尾から出てきたのが「草薙ぎの剣」である。
この近くの横田町の友人宅に泊まった時、私はこの斐伊川に入ったことがある。相当奥まで友人の案内で入り、途中の滝で、滝の音に負けない声で歌えるならば、歌がうまくなると言われて、大声で歌ったことがある。
この友人の親父がここの鉱山技師で昔から砂鉄で有名だと聞いた。砂鉄なら昔から武器になる。これを守るたに。八岐大蛇という伝説を創作したんだろう。その砂鉄で造った剣が「草薙ぎの剣」と私は思う。あまり書くと、八百万の神叱られそう。
最近知った大蛇伝説は、この中国山地は土砂崩れが大変多いので、この崩れるさまを大蛇に見立てたんではないかとも言われている。なにもかも飲み込む土砂崩れが八俣の大蛇かなんとなく分かるなァ。
帰る途中に老婆に会った。もし山姥(やまんば)なら遭ったになる。この人から竹の子を2本も頂いた優しい人だった。今から45年も前の話だ。
この剣が熱田神宮の御神体である。やっぱり神社の近くには寄りつけない。
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