ヒルのはなし 1
初めて扁桃腺なるものになった。久しぶりに病院通いが始まった。病院は近くなので、朝予約しておくと指定の時間に行けばなかなか時間通りにはいかないが、待ってるうち本を読んでいればいい。
こんな時に哲学書なんか持ち込んでも、意味がない。いつどの時間で呼び出されるかは不明であるからだ。こういうときは気楽に読める本がいい。今日は本棚から『ばかおとっあには、なりたくない』椎名誠著である。待合室で読んでいて、アハハと静かに笑った。
その中に『フグはなぜ毒で死なないのか』である。千葉県の海岸の町でヒルが非常発生した話を聞き、出かけた。草むらに入ると、30秒しない内におびただしい数のヒルが、著者に向けて、草むらから斜めに向かって伸ばした身を揺らせながら敏速に近寄ってくる。
これを読んでいてふと思い出していた。岐阜の御嶽の近くにある「ひるがの高原」である。大昔からこの付近一帯は大湿地帯であの人の血を吸う恐ろしい蛭がいっぱいすみ、旅人や百姓に群がり、大変苦しめた。それで近くの住民が、「泰澄という偉いお坊さんが大日の山から下りてみえるそうだ。あの泰澄坊様に蛭退治をのことを教えてもらおう」ということになりった。
泰澄大師は頼みを聞き入れた。大師は沢をのぞいて、これはひどい。じゃ、沢の周りに溝を掘りめぐらしって排水をよくすれば乾いて蛭が住めなくなると教えた。
そこで蛭がいっぱいいた所が、野原に化(ケ)した。つまり蛭のいたところが野に化した。蛭がいたところが化(ケ)にして野になり、蛭化野が蛭ケ野になった。これが蛭ガ野の語源である。
実はもうずいぶん前に友人と小雨に降るなか、大日岳をランニング登山をした。水たまりの中をジャブジャブ走り、下山して温泉に入ろうと私のシューズを脱ぐと、7cmもあるかと思う、超度デカイ蛭がふやけて出てきた。靴に取りついたはいいが食いつく暇がなかったのだ。鈍足な私が蛭ガ野のヒルに勝ったのである。
さすが蛭ケ野。
「蛭」という漢字を分解すると、「虫偏」に、「至」は晊(シツ)=ひっつく意とからなり、ひる。(だと)
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