とうとうスイカに会えなんだ夏
とうとう今年はスイカに会えなんだ。あの巨大なスイカを見ると、持ち帰る苦労が目に浮かぶ。スーパーなどでは、切り売りしている。少子化が始まり、家族の人数が減り、我が家でも老夫婦がいるだけで、一個丸ごと買うにはデカすぎる。自転車で買い物に行くと、まず自転車の前後ろのカゴには入りきらない。しかも1km先のスーパーまで行き帰りしなければならない。
もしカゴに入ったとしても、自転車のバランスを崩して、転倒は免れない。転倒すればスイカは割れる。そこで座り込んで、割れたスイカを呆然と眺めるアホらしさ。偶然そこへ小学校の児童が通りがかれば、皆に分け与えることも出来ようが。しぶしぶ拾い上げて、割れたスイカをカゴに入れると、なんと丁度うまく収まってではないか。帰ってから砂を洗い落して、きれいな方を自分が取り、亭主には洗った方を食べさせる。亭主が、「みずみずしいなァ」とつぶやく。家内は心の底から、「そりゃみずみずしいですよねェ。夏はやっぱりスイカですねェ」と、腹から笑う。
戦後間もないころ、スイカはいつも風呂桶の中で泳いでいた。親父とお袋の在所が、両方とも農業をやっていたので、夏になると、リヤカーや運搬車というごつい自転車に大きな竹カゴに積んだ、スイカ、黄色いマクワウリ、トマト、キュウリ、ナス、コウリャー(トウモロコシ)などを頂いていた。スイカなんかはいきなり5個ぐらい貰って、昼
のおやつになった。シャツが汚れるからと皆裸になり、丸い飯台の足を畳んで周りを囲む。飯台に新聞紙を敷いて汁がこぼれないようにした。種入れの洗面器を用意してむしゃぶりついたものだ。種なんか取っていると遅れを取るから、私なんかは種ごと食べていた。母親から「盲腸になるぞ」と叱られた。
マクワウリを割ると、真ん中の種の付いているところが、トロトロでこれはほとんど捨てられていたものだったが、私はこれが好きでねェ、誰も食べないので、一人悠然と食べられた。
トウモロコシは茹でてもらうと、家の中にいい匂いが漂う。一度私より早く食べた姉が、まだしゃぶりついている私に、20粒貸してというから、トウモロコシの実を貸したことがった。これを返してもらったのが、ついこの間、というから40年経ってからだ。姉とトウモロコシを食べているときに20粒を思い出して、大笑いしながら返済してもらった。(利息なし)
昔のキュウリはみずみずしくてうまかったァ。縦に切り、塩をすり込んでそのまま食べた。トマトでも塩を振った。でも悔しいなァ、スイカが食べられなかったのわァ。いまは毎土日には、一宮のアーケードの下で朝市が開かれる。そこではもうスイカは出ていない。こうなるとどうしても食べたくなる。夢に見るかなァ。
追伸:スイカを食べた後、皮が残る。これを赤い実と皮の間の白い部分を綺麗に洗って切り出す。これを塩もみにすると、なかなかいい漬物になる。お試しあれ!
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