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2013年12月 9日 (月)

話と噺と咄と譚のはなし

「はなし」という漢字には、話・噺・咄・譚があった。他には花詩・花枝という美しい字ではあるが、話にならん。

手始めに「話」は、言と舌でとからなり、人々が調子を合わせるよいことば、「はなし」の意を表す。皆で調子を合わせなきゃいかんのと、罵声を浴びせてはいかんのであると、漢和辞典の『角川新字源』は言っている。

「噺」は、口と新とからなり、新奇なことを話す意を表す。その意味は物語とある。この漢字はメイドインジャパンの「国字」であった。漢字はメイドインチャイナばかりではありません。「働」という漢字は、人が動くで働くという日本人の勤労に対する態度そのままの漢字に感動する。これは中国へメイドインジャパンの漢字として輸出された。

ここが中韓とは違う。真似事から始まるがそこから一歩も二歩も工夫して自分のものにする。漢字から平仮名からカタカナまで作ってしまう。これが中韓とは大違い。話はそれたが、噺家というのは主に落語家と限定されている。

「咄」も実は、咄家という落語家を表していた。実はこの漢字は中国産で、向こうでは意味が少し違う。しかる・舌打ちまたはその声・やあ、という呼びかけの声・おや、という意味になる。日本ではこれを、はなしという意味に使っている。

「譚」が、これが厄介だ。これをどこで使うか。意味は、はなし、物語、かたる、はなす。「譚・タン、ダン」を追いかけると、
「聖譚曲」…普通、宗教的、または聖書の主題による台本を、独唱、コーラス、オーケストラのために作曲したもの。オラリオ。
「譚歌」…物語のよって作詞した歌曲。また、物語を歌い上げた歌。
「譚詩」…自由な形式の小叙事詩。バラード。
とあるが、ほとんど馴染みがない。

英語では、talkとspeakがある。
「トーク」は、口をきく、話をする、しゃべる、語る、講演する。
「スピーク」は、ものを言う、話す、話しかける、言葉を交わす、口をきく、談話する、演説をする。

私ねェ、あといくらもない生涯で、おそらくたった一度になる講演会を、地元のサウスライオンズクラブでやったことがあった。これもおそらく一度になるエッセイ集を自費出版をしたことに端を発し、知人の会長から頼まれた。物怖じしない私はすぐにOKした。

この時、60人ほどの聴衆に私のことを、「それでは本日のスピーカーをご紹介します」という。私は「ヘッ?ワシはいつから校内放送に使うスピーカーになった?」と思った。後でよく調べると、話者、語り手、演説者、弁士のことをいうことを知った。では校内放送に使うスピーカーは、本来ラウンドスピーカー(拡声器)が正式で、スピーカーはその略だということも知った。

今日は真っ暗な4時に目が覚めてしまった。、「話」にはいろいろあると夜中にふと思い、調べ始めたら、ラジオ体操に行くのも忘れていた。気が付いたらもう7時になっていた。テーブルの上には漢和辞典、広辞苑、電子辞書、パソコン2台で格闘した。

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