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2014年8月15日 (金)

江戸の厠とパリのおまる

『はばかりながらトイレ文化考』スチューアート・ヘンリー著の「男性のためのレディーファースト」の項に、こんなことが書いてあった。

「・・・・騎士道においては、男女が一緒に町の歩道を歩くとき、男性は往来側に、女性は建物にそって歩くことになっていた。欧米では今でも守られている。この習慣は、紳士が馬車の暴走などの往来からの危険から女性を守るとされている。しかし事実は違うようだ。

本当は、なんの前触れもなく空から降ってくる汚物からみを守るために、男性が往来側、すなわち建物からなるべく離れたところを歩いた」

ここで「空からの突然の汚物」とはなにかを説明しなければならない。
十二、三世紀のパリでは道路の中央の浅い溝に水が流れており、そこへオマルのもの(糞尿)を流していた。(このころ建物の中にはトイレを作らなかった) 

汚物はセーヌ川へ流れていく。ところが大雨になれば公道はクソだらけになる。今でも公道は犬のクソだらけらしい。ハイヒールができたのもこれが原因しているらしい。

江戸はどうだったんだろう。

江戸の公衆トイレ事情

 

厠が初めて文献に登場するのは「古事記」ですが、考えてみれば日本人はよく 「水に流す」と言います。
これはすべての汚れ(穢れ)を水に流してきれいにすることで、排泄物も例外ではありませんでした。
また、日本における汲取便所は、鎌倉時代以降に登場したと言われています。
栄禄8年(1565年)ポルトガルの宣教師フロイスは、京都の町のトイレを見て驚きました。
「欧州人のトイレが家の後ろの方のなるべく人目に付かない場所に設けられているのに、日本人のトイレは家の前にあって、すべての人に開放されている」
西洋に公衆トイレが登場する300年も昔のことだったようです。

江戸時代になると、京都の四辻の木戸脇ごとに小便用の桶が置かれました。
「辻便所」と言います。
これは尿を集めて肥料として売るため知恵でした。
一方、天下の総城下町といわれた我らが江戸は相当に遅れていたようです。その結果、 「真っ昼間から往来の真ん中で用を足し、だれもこれを咎めるものがなかった」と記録にあるようです。
道路のあちらこちらに小便の小川ができ、犬や馬の糞と一緒に人間の糞もゴロゴロ。
江戸八百八町には糞尿の香りが漂い、火事と喧嘩だけでなく、糞と小便も 江戸の華だったようです。

 

 

 

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