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2014年12月 7日 (日)

初めてのお使い

これは私がまだ7歳ぐらいの時だった。

我が家は車のあの続作業服(いまではつなぎというが)それを初めて車用に開発したのがオヤジだった。ミシンが4台いつも家の中で唸り声をあげていた。胸にはトヨタマークがしてあった。取引先は全国のトヨタの販売店と当時はまだトヨタ自工であった。だからいつも全国のトヨタに営業に出ていた。

初めてのお使いはこの刺繍された胸ポケットのトヨタのマークであった。これを刺繍屋に持っていく仕事であった。2回ほど親父について行った。だがオヤジは一言も道順など教えてくれなかった。

途中で菓子や飲み物を買ってくれたのを楽しみにしていた。3回目になって、もう刺繍屋さんは分かるな。100円を手渡されて、一人で行って来いという。実はこの刺繍屋さんは、名古屋の東区東片端にあった。

戦前我が家は刺繍屋さんのすぐそばに住んでいたが、戦争で焼け出された。我が家は一宮へ疎開をしたのである。子供が5人いて男は私一人である。親父は厳しく私を育てた。それは初めてのお使いである。

名古屋と電車乗り場と、東方端と書いてもらって、名鉄に乗って名古屋で降りて、すぐ目の前にチンチン電車(市電)が通っていた。運転手に東片端に行くか聞いたら、運転手が「ここに居なさいという。着いたら教えてあげるから」というので安心をした。明道町・景雲橋・名古屋城・大津町・裁判所前・東片端で「着いたよ」と教えてくれた。

当時子供料金は一宮から東片端まで、片道40円で往復すると20円余る。これが小遣いで帰りに仁丹を買うのだ。うきうきして刺繍屋さんに行き、これから刺繍するものを届け、出来あがたものを貰って帰る。刺繍屋さんではお菓子を貰って、菓子屋で仁丹を買う。帰りはもう分かっていた。ところが一宮行きというのが当時は二通りあった。一宮~岐阜線と岩倉経由で東一宮行きというのがあった。

私はそんな岩倉経由なんて知らなかったので、それに飛び乗ったら、景色が全く違う。そこで車掌を探して一宮に行くか聞くと、車掌室の前に居なさいという。それでやっと岩倉に着き、乗り換えて東一宮に着いたのは夕方であった。

後でお袋が笑っていた。親父が心配で心配で外に出たり入ったりしていたという。それからは刺繍屋行きは私の仕事になったことはいうまでもない。

私の息子にも、広島にいる妹夫婦や、埼玉にいる姉夫婦に会いに新幹線で一人旅をさせた。駅に着けばおばさんが待ってるから何も心配はないが、子供は心配だっただろうと思う。マア、自立心をつけるにはいい方法だったなァ。

東京の大学に行き、ぼろアパートで6年、東京で就職してなかなか会えなくなったのは寂しいが。

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