« ブラジルで家に帰ったら家の半分が無くなっていた | トップページ | 即席麺の歴史 »

2015年6月16日 (火)

蜂須賀という名字と地名のいわれが少し違う

名字からいうと、『日本の苗字読み解き事典』丹羽基二著より

戦国の頃、矢作川の橋の上で日吉丸(豊臣秀吉の幼名)を足蹴にしたのが夜盗の親分蜂須賀小六である。

小六は戦国のころ、今の海部郡美和町蜂須賀の豪族であった。昔は砂丘で、デコボコしていた。須賀の<ス>は州で、<カ>は処、すなわち砂地だ。では蜂はというと、鉢のことでデコボコしている地形だ。要するの地名から名付けた名字だ。名字の多くは地名から来ていることが多い。

ところが先月名古屋博物館から出版された『猿猴庵(えんこうあん)の本』が出た。これは江戸時代の高力種信は文筆家兼画家で、名古屋城下の出来事(見世物、開帳、祭り、芝居、珍事など)取材した独自の記録絵本である。私はこれまで出版された21冊全部買っている。一冊送料込で1700円だ。これは草書体で書かれているから、古文書を少しは読めるようになった。

今回は妙興寺や甚目寺観音など尾張地区の御開帳を書きしるしている。この中に海部郡美和町蜂須賀の蓮花寺を書いている。

この里を蜂須賀村と呼ぶことは、嵯峨天皇の弘仁9年に弘法大師、当山を開基した、霊場である。夏になると堂前の泥中より黄蜂が出て、参詣の人を妨げるのを大師が法力をもって、この蜂を封じた。この沢山のハチの死骸を一つの塚に埋めた。もともとは高須賀と言っていたが「蜂塚」と改めた。後世になって「塚」とは言わず、「蜂須賀」と呼ぶようになった。

これが一番古いいわれで、「州」でも「鉢」でもなっかた。「蜂は蜂であった」。須賀は「塚」であった。

|

« ブラジルで家に帰ったら家の半分が無くなっていた | トップページ | 即席麺の歴史 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104043/61734992

この記事へのトラックバック一覧です: 蜂須賀という名字と地名のいわれが少し違う:

« ブラジルで家に帰ったら家の半分が無くなっていた | トップページ | 即席麺の歴史 »