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2015年8月22日 (土)

大日ケ岳と蛭ケ野の由来

この奥美濃地方は今から1300年ほど前に、越(今の福井県)の国に生まれた泰澄(たいちょう)という高僧によって拓かれたと古文書に出てくる。だからこの泰澄にちなんだ地名が多い。

 大日ケ岳は、泰澄大師が白山へ開踏のために、2人の弟子を連れ、まだ無名だった今の大日ケ岳の中腹まで藪をかき分けてたどり着き、野宿した。夜明けに大変美しい仏様が枕元に立たれ、「とても険しい山道をかき分けてここまで来てくれて本当にうれしい。あなたがこの地方を拓いて下さることを長い間待っていた。どうか苦労が多いと思うが白山までこうして拓きながら頂上まで登ってお参りしてほしい」といわれ、すっーと消えた。「ああ、これはもったいない。あの仏様は大日如来様に違いない。ありがたい、もったいない、大日如来様のお告げどおりいくら苦しくても白山の頂上まで登って参ってくる」と決意を固められた。これから大日ケ岳と名づけられた。

 蛭ケ野一帯は大昔から大湿地帯で、蛭が多く住み、旅人や百姓が大変苦しめられた。そこで泰澄に頼んだら、「周りに溝を堀りめぐらして排水すれば乾いて蛭がいなくなる」と教えられた。それからは蛭がいっぱいいた所が野原に化した。つまり蛭の居た所が野に化した。蛭の居た所は化(ケ)して野になり、蛭化野が蛭ケ野になったという。

 私は走友のF橋さんとI田君とで、20年ほど前にこの大日ケ岳をランニング登山したことがあった。麓に車を置いて、頂上まで雨の降りしきるなか、水溜りのなかをジャブジャブと走った。下山してから近くの温泉に入ろうということになった。床に座り靴を脱いだら、なんと大きなふやけた蛭が出てきた。蛭は感心にも走っている私の靴たどり着いたまでは良かったが、なんせ相手が悪かった。靴と靴下の間から皮膚にたどり着く前に、踏みつけられ続けたので、とうとうご臨終となった。それにしても大きかった。蛭も伸びっぱなしでしたから、123cmはあった。

 大師にまつわる名前は、見違(みたがや)、案じが峯、御手洗もそうである。

見違は白山への道を見間違えた場所。案じが峯は白山へどう行ったらいいかこの峯で案ぜられた場所。御手洗は案じが峯の麓の池で御手を清めてから白山に向かって拝まれた場所である。 

 300年ほど前の徳川時代には、隣接の集落から通いによって水田が作られたが、明治末に中屋栄一が始めて定住するまでは無住地であった。

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