« しつこい性格 | トップページ | びっくりにビックリの由来 »

2015年8月24日 (月)

一宮の柳戸と杉戸の戸の意味は?

一宮市の古地図を探しに図書館へ赴いた。一番古いのが天保12年(1830年)がでてきた。一宮村の南北に柳戸と杉戸がある。これは鎌倉街道か、もしくは、岐阜街道に当たると思われる。この街道は時代こそ違え縄をなうように捻じれあっているし、丁度柳戸と杉戸は偶然かもしれないが、交差している地点が近い。

古語辞典で「と」を調べると「門・戸」でてきた。そこには「出入り口」という意味がある。

水流が出入りする狭い所。瀬戸、海峡山の迫った狭い道という解説がある。

要するに玄関なんだろう。南の柳戸には一宮村に入る所に柳があったとか、北には杉があったとかという意味だろうと推察される。

東北には一戸から九戸まである。これは少し意味が違う。ウィキペディアでは、こう記されている。

糠部郡には、「九ヵ部四門の制(くかのぶしかどのせい)」の制がしかれていた。 糠部郡を一から九までの「戸」(あるいは部)にわけ、一戸ごとに七ヶ村を所属させ、その九の戸を東・西・南・北の四つの門に分属させたものであり、糠部郡内の主な地域を一戸~九戸に分画して余った四方の辺地を東門、西門、南門、北門と呼んだと思われる。

一説には南部氏の領地になった順番とも言われるが、四門九戸の制がしかれた時期が鎌倉期以前ともされているので、必ずしも事実とは思われない。 他に、南門が一戸・二戸、西門が三戸・四戸・五戸、北門が六戸・七戸、東門が八戸・九戸を差すとする説もある。

「戸」とは「牧場」の意であるとも言われる。 戸制が施行された地域は「糠部の駿馬」といわれた名馬の産地で、馬がどの「戸」の産かを示す「戸立(へだち)」という言葉も生まれるほど珍重され、源頼朝が後白河院に馬を献上した際、後白河院が「戸立」に非常に興味を示したと『吾妻鏡』にある。

要するに、馬の産地証明みたいなものでではないかなァ。諸説あるから私の推察も当たらずとも遠からず(かなァ)。

|

« しつこい性格 | トップページ | びっくりにビックリの由来 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104043/62145186

この記事へのトラックバック一覧です: 一宮の柳戸と杉戸の戸の意味は?:

« しつこい性格 | トップページ | びっくりにビックリの由来 »