お年玉って、もち?
これは調べればどこにでも登場する。ウィキペディアでは、
――年のありがたい賜物(たまもの)であるとして「とだま」という名がついたという説。なまって 「としだま」があり、また、神棚に供えた、餅玉を与えたために「年玉」の名前がついたとの説が有効。
「たま」とは、「たましい」のことであり、「としだま」とは新年を司る年への供え物の下げられたもののことであると民俗学的には説明される。供え物には祀った神霊の分霊が宿るとされ、それを頂くことにより、人々は力を更新して新たな一年に備えるのである。
年玉の習慣は中世にまでさかのぼり、主として武士は太刀を、町人は扇を、医者は丸薬を贈った。――
もう一つ、
――気になる境界線だが、北陸では富山県が角もち、福井県が丸もちで、その間にある石川県は角もち、丸もち同数だった。東海の岐阜・愛知・三重が角もちで、滋賀県は角もち、丸もち同数だった。京都・大阪は丸もちなので、どうやら石川県から滋賀県辺りが境界のように見える。
このテーマについて綿密な聞き取り調査を行った奥村さんは著書(『聞き書 ふるさとの家庭料理5巻もち・雑煮』農文協刊)の中で、次のように記されている。一応この分岐ラインは新潟県糸魚川から富山県高岡、石川県金沢を経て岐阜県関ケ原、三重県四日市、松坂、熊野新宮を結ぶラインで東西に分かれる。東はのし餅を切った角餅、西は丸小餅地帯である。
ただ、一部の県で例外が見られた。東日本の中で、宮城県と山形県が丸もちとなっている。逆に西日本の中で、奈良県と山口県が角もちだった。
山形県酒田市などは北前船などによる上方文化の影響が強い土地柄のため、関西風の丸もちを用いるところが多いのかもしれない。――
丸餅か?お年玉だからなァ。
この尾張平野はほとんど角餅である。しょうゆ味と餅菜(正月菜)で煮込み、カツオをかけてたべるという、いたってシンプルである。餅菜は小松菜とは違います。この尾張地方独時の具材です。武家社会では「名(菜)を持ち上げるところから縁起物となっている。
一富士二鷹三茄子を、※『嬉遊笑覧』喜多村筠庭(四)p80ではこう書いている。
初夢で見るもののかなで縁起のいいものの順に並べて言った。
※ 駿河の国の(静岡の中央部)の名物
※ 徳川家康の好きなもの
※ なんの由来かは判別し難い。駿河の名物で鷹はこの国の名物とは言わない。
鷹術は古くは、ただキジや小鳥を捕るのみで、ツルやカモによらず大鳥を捕ることは、東国より始まった。富士は高大をよろこび、鷹はつかみとる、茄子はなす、なるの義。これはどう見ても徳川家康の好物の様な気がする。
この尾張地方の初夢は、
一、金シャチかエビフリャ
二、味噌カツ
三、手羽先
四、きしめんか味噌煮込み
五、デザートに、ういろう
あなたはどんな初夢を見ますか?
※『嬉遊笑覧』喜多村筠庭著(安政3年没)とは、江戸時代後期の風俗習慣、歌舞音曲などについて書いた随筆。天保1 (1830) 年発刊。 各巻上下2章から成る全12巻と付録が1巻。各項目を和漢古今の文献を引用して解説し、体系的に整理した百科事典的な書物で、江戸風俗を知る有益な資料として知られる。(四)P80より
これは岩波文庫から1~5巻、各一冊900円で売られています。これは現代用語で書いていないので、読んでは古語辞典を引くことになるが、面白い本である。