スリッパの発明者は
開国により西洋人が多く日本に訪れるようになった明治初頭、室内で靴を脱ぐ習慣の無い西洋人が土足で屋内へ入り込む問題が発生し、それを解決するために仕立て職人である徳野利三郎が1907年(1876年という説もある)に発案した上履きが、現在のスリッパの原型であると言われている。当時は、靴の上から履くためのものだった。
スリッパという呼び名は、江戸末期にシーボルトが日本に伝えた「上沓(スリップルス)」から来ているという説がある。
なお、オートレーサーは、コーナリングで路面に接する左足のブーツの下に、鉄スリッパ(鉄のスリッパ)を履いてレースに臨む。
こんな発明者もいた。
棚の上に手を伸ばして、神奈川県鎌倉市の主婦、中沢信子(なかざわ・のぶこ)(65)は気がついた。つま先立ちになると、背筋が伸びて気持ちがいい。運動にもなりそうだ。
寝たきりのしゅうとめの世話に追われてうつに陥り、過食から体重も80キロを超えた。趣味のバドミントンにも通えなくなっていた。せめて家の中ではつま先立ちで過ごしてみようか。
だが、ついつい、かかとをついてしまう。「スリッパのかかとを取っちゃえば、いつでもつま先立ちになるかも」。ハサミでスリッパを半分に切る中沢を見て、母のうつを心配していた高校生の娘は「とうとうおかしくなった」とあわてた。
今では年商4億円従業員は40名の会社に育っている。
戦後間もないころ、私のオヤジが革靴の使い古したものを、かかとの後ろ側だけを切り取って、スリッパにしていた。このオヤジは戦前の96式戦闘機のパイロットが着用していた飛行服を改造して、これからは車の時代が来るからと時代の先を読み、車の作業服、今でいう「つなぎの作業服」を作りトヨタ自動車の初代豊田喜一郎社長に売り込んだ。今の作業服の発明者なのだ。これを商標と意匠登録をしていれば僕は今頃、大金持ちになっていたであろうに。(親父のバカ……)
息子がデジカメを7人で共同開発して、発明者の一部になったのが誇りです。私は町の埃(ホコリ)ですが。
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