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2016年1月 6日 (水)

たばこと酒

昭和55年12月に禁煙をした。というより、風邪をひいてのどが痛くて吸えなかったからだ。気が付いたら2週間たっていて、ならばと止めてしまったのが、1983年11月であった。この頃ちょうどジョギングを開始したころであった。

今マンボウさんに本を読んでいて、たばこの話だ出てきた。

昔は淡波姑、淡巴菰、答跋菰、莨菪、多葉紛、侘波古とも書き、相思草、返魂草、金糸草、南蛮草、慶長草、貧生草、愛敬草、思案草、延命草、常薬草、永楽草、養気草、阿房(あほう)草、労咳草などおびただしい異名があった。

煙草は徳川時代の前に、はじめ豊臣秀吉によって禁じられ、当時の落書に、

「きかぬもの たばこの法度 ぜに法度 王のみこゑに けんだくの医者」
これは、効果の無い物は、タバコ禁止令、撰銭令(質の悪いお金は使っちゃ駄目)、天皇の言葉、威張って嫌な感じの医者(のする治療)という感じの意味です。

 

やがて慶長14年、幕府は最初の禁煙令を出したが、これより先、慶長12年に、人々が梵語にて「きせる」というものを懐中にし競って煙を吹いているのが、無益ゆえ堅く禁ずという布令あり、同13年にも、たばこの害により悶絶して頓死したものがあるから再び禁ず、という布令が出ている。

 

その後もしきりに禁煙令は出た。第5回元和2年のときには、煙草を耕作する町民は50日、農民は30日の入牢に処し、獄中の食事はすべて持参のこと、煙草を売買した者も同様、なお連帯責任として、煙草を耕作した者の場所いたものには、百姓1人につき鳥目(ちょうもく)百匁ずつ、どう代官は銭五貫を罰金として出さしめた。第6回元和5年には、きせる狩りが始まり、日本橋のかたわらに江戸中にきせるがおびただしく集まった。その後も禁令は何回も出されたが、これを無視するものは多く、大槻玄沢は、「薦録(ごえんろく)」の中でこの茄法(かほう)も人の好みは制御しがったきと書き、後水尾院御製として、

「藻塩やく海人ならねど煙りくさなみよる人のしほとことなれ」という歌を記している。(ゴメン、意味不明)

酒は高校を出たらすぐに飲み始めたからもう55年飲んでいるが、昨年暮れから胆石らしい症状が出てきたので胃カメラ・大腸検査・エコー・CT・MRIの検査の連続で、この年末年始と新年会は人の飲んでいるのをジッと眺めていただけだった。でも何とか酒からの誘惑には勝ったというか、窮地を脱したが、これから検査結果の総合的な判断が下される。この15日間の禁酒がどう影響するか気になる。

御年73歳、酒を取るか残りの老後を取るかといえば、酒を取りたいねェ。

先ほどの歌を思い出す。「きかぬもの たばこの法度 ぜに法度 王のみこゑに けんだくの医者」…この中のタバコを。酒に変えるだけだが。

 

 

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