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2016年3月30日 (水)

病室より

私が入院するときは、我が家から700mと近く、私が卒業した幼稚園・小学校・中学校・高校が真上から見える。そんな学生時代を思い出すのも、格好の場所である。

なぜか病室というところは、やけに頭が冴える。何が起ころうが対処してくれる安心感があるのだろうか。今回の病室は最初は個室だったが、3日目に転室して相部屋になった。といってもカーテンで仕切られているし、意外や同室の患者は重病なのか、物静かである。

大量に持ち込んだ本を読みながら、スケッチと思たが、今回は少し症状が重い。先回は脊椎間狭窄症・頸椎ケルニア、十二指腸潰瘍と、確実に治る病状なので、本も読み、スケッチに院外に出た。その分病気という休暇を楽しんだ。

でも今回は先が少し不安な病状なので、本を読んだりスケッチを楽しむところまで気がいかない。その分病室の窓からや、ベッドの上で、瞑想にふける時間が増えた。例えば、

  • 痛み止め(ロキソニン)には水分を十分摂りなさいというようなことを、医師に質問攻めにした。
  • 院内の食事の名前が、「ゆめごはん」というネーミングが嬉しかった。
  • 焼きのりの寸法に国内基準があるのか。
  • 採血の後の血止めのは、スパイラル(ねじまき方式)のほうが、うっ血(血が止まってしまう)ということがない。
  • 院内の公衆電話の切れるのが早いのに驚いた。これでは古里のバーチャンと何も話せない。最近携帯電話ばかりだからなァ。
  • 4日間歩かないと、足がふらつく。退院後11日間たったが、いまだに歩行に障害があるなどという、へんなことを考えている。
  • カラスの朝晩の行動を記録した。

入院すると必ず院内日記を書くようにする。これは医師との通信記録だからだ。

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2016年3月29日 (火)

病床から脱出

だが病魔からは逃げ出したわけではない。

一昨年から内臓関係に異変を感じて、通院を余儀なくされている。昨年暮れに突如その異変が激痛になって起き、救急車で搬送され、診察と検査を繰り返す羽目になった。昨年暮れに再検査となり、スキャナー・CTなどを繰り返し3月13日にとうとう入院することになった。

約一週間、食べるな水飲むなど、点滴だけの苦行を乗り越えた。

「この手の病気にしては、あなたは元気がよすぎるから」
と、退院を勧告された。病名を明かすには、はばかりたくなるような若き日の悪行の数々。今から大いに反省しても過去は帰らないから、ただ前向きに生きることに残された人生をかけたい。一昨年、
「来年の桜は見られるだろうか」
不安を感じた。その来年の桜がもう満開になりつつある。今は自宅謹慎中なので、どうも桜を見ることができそうになさそうだ

しばらくブログを休んでいたが、これからボチボチですが書こうと思っております。このブログが途絶えた時が、桜の見納めになるだろう。

この休んでいる間に、ブログや、メール、電話でご心配をいただき、これを励みに尻を叩こう思います。まだ少し長生きをしたいから。

そこでわがパソコン基地を作った。右手には我が家より立派な五階建てのパソコンデスク。
一階には、これらの配線がゴチャゴチャと這いまわているし、レターケースが陣取っている。
二階にはコピー用紙と書き損じのパソコン用紙。これはメモ。
三階には小さなレターケースと電話機。パソコンデスクに市販の合板を横に這わせて、その端をキッチンの椅子にひっかけている。そこにパソコンと電子手帳2台、マウス、携帯電話。これで高さがひじ掛けぐらいになる。
四階にはレターケース、今まで通院した記録と町内の役職とマラソンクラブの事務局の過去現在の記録をクリアケースに収納。住所録、ラジオ、電波時計、息子がくれた小型のE550富士フイルムのデジカメ.このデジカメは、庭に来る季節の鳥のバードウォッチング用としゃれてみた。
五階には無線ラン、コピー機、庭に来る鳥観察用の小型の双眼鏡をアレンジした。これで少しは子供のころを思い出す基地ができた。

さてこれからこの基地発信のブログを書くとする。でも桜を待つのがいつまで続くだろうなァ。

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