壊れた砂時計(末期ガンからの脱出?)
あ庭で久しぶりに帰ってきた息子が、時価26、000円(2枚)する太陽パネルを設置している。家内は友人と喫茶店に出かけた。午前中は息子が私を管理している。午後は庭に花を植えることにした。こんな手はずで平穏な家庭が戻ってきた。私は久しぶりにブログに対峙している。1か月半動かさないと、指も足の筋肉も落ちるだけ落ちたから、73歳の私にはいい試練だ。ゆっくりと慌てずに進めることにした。
入院中、いろいろなメールが入っており、ひとりひとつにご返事を致さねばならないのが、この世の仕来りだろう。
300通を超えるメールからの返事が、面倒になり心入れ替えて、ブログで一括回答する決心を今始めた。中にはSPAM(不埒な)メールが多い中に大事なメールを消してしまう可能性があるからだ。
今回の入院は、事実から端的にいえば、ガンを告知されそれをすり抜けてきた。(というと聞こえがいいが、関門ギリギリで許可退院したというのが事実ではないか)
2016年4月28日、午後2時に退院となりました。しかもどういう訳か、ナースステーション手術で入院をしてきたが、こんな対応を受けたのは初めてだ。もしかして今回はよほど迷惑な患者だったんだろうかと、苦笑いで答えて退院した。
私の病への市民病院での断書は、28年3月10日 下記のごとく診断を下されました。
病名「肝細胞がん、非代償性肝硬変」と診断され、いわゆる、「アルコール性肝硬変を認め、多発性肝細胞がんの右副腎移転と診断。外来にて2015年12月より抗がん剤(ネクサバール)内服治療開始しています」
要するに、アルコールの飲みすぎにより、転移性のガンとなり、ガンが移動を開始していて、手術や抗がん剤などにより、回復の余地はないという。
私はかねがねこうなることを予感していて、日本尊厳死センターに会員登録をして抗がん剤を使用しないという死を覚悟していた。それも友人がもう12年前に脳こうそくで倒れ、今や家庭内でも車いすの生活で、家族に苦難を強いられている。これを見ているからである。
とにかく退院したが、ブログを書くまでの気力がなかなか起きなかったが、やっと平穏な一日
で指先が目を覚まし始めた。とにかくボチボチですが、始めることにします。またお付き合いのほどよろしくお願いします。
これからは、この先の人生を、周りを困らせながら、永らえてやろうじゃないか。
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コメント
必ず帰ってくると毎日確認しておりました。復活うれしい限りです。
投稿: 上田正 | 2016年5月 4日 (水) 13時45分
いろいろなメールをいただき、感謝に絶えません。
これからの人生は、応援していただいたこれだけたくさんこの方々がいらしたのかという気持ちにこたえるため、友人や家族・医師への恩返し、やり残した人生を少し変色してやろうかとも思っております。
手始めに、手ごろな小さいながらの庭園を花園にしたい。
またブログの中に挿入いたします。
今は、口に合う食事を見つけるのに、四苦八苦しております。お知恵拝借…。
投稿: | 2016年5月 5日 (木) 02時04分
退院おめでとうございます。
御自愛なさつてくださいませ。
投稿: 茨木の住人 | 2016年5月 5日 (木) 17時22分