2013年10月 5日 (土)

一宮競輪場の今と昔

入場者数 多い時は1万人を超えた。今は2000人。しかも地元開催でこれだ。選手を約15人かかえていて、競輪場の職員約140人。最近のリストラは掃除のおばちゃんだけだという。いい選手はよその競輪場に引き抜かれている。競輪知らない私は、選手はどこの競輪場でも走られると思っていた。

競輪場の職員は、市の退職者、議員の声がかりか、市の職員の声がかりという天下りのような職員が多いと聞いた。こういう人はリストラにならない。しかも雇用条件がとってもいいらしい。パートでボーナスが出ると聞いた。

選手への入賞賞金も目減りして、毛織王冠ですら200万円足らずという。(今までの話は、みんな、競輪ファンで、しかも反対運動の署名すらしていない競輪ファンの話、なんとなく愚痴に聞こえるから、真実とは限らない)

最近の新聞のよると、――愛知県一宮市は、経営が低迷している市営一宮競輪場を今年度限りで廃止する方針を固めた。市税を投入しなければ運営できない見通しとなり、市の財政に貢献する競輪の役目を果たせなくなったと判断した。2013年6月月3日に開会する定例市議会で谷一夫市長が説明し、理解を求める。

一宮競輪場は1950年に開設された。最盛期の90年度には売り上げが年間700億円を超え、市の一般会計への繰り出しは30億円に達した。しかし、90年代以降はレジャーの多様化やファンの高齢化にバブル崩壊による不景気も重なり、売り上げが減り続けた。

近年は2009年度と10年度に連続して単年度赤字になった。市は人員削減や余剰施設の閉鎖、車券売り場の集約と自動化を進め、11年度は黒字になったが、12年度は再び赤字になる見通しだ。 ――そして廃止が決定された。

「競輪場は当初戦災で焼け落ちた日本紡績の跡地2万坪」を一宮市が買い取り、ここの収益性のあるものを造ろうと考えた。当初の構想は競馬場だった。この一宮は競走馬が飼育されていて、農耕馬も多く、市内の九品寺公園では、鈴だけつけた競走馬が行われ、桃花祭でも約150頭を出していた桃花祭がある土地柄だ。

だが土地の確保は20万坪は必要だった。 一宮市の春明の森林地帯、現在のプラネタリウムや市営住宅の場所を中心に広大な土地を確保しようとしたが地権者との折り合いがつかない。用地確保できないままでいたら、名古屋郊外の豊明に中央競馬場の設置が決定されてしまった。

ついに一宮は、2万坪でできる競輪場へ転身することになった。昭和25年11月25日竣工式となった。

時は経ち、レジャーも様変わりをして、老齢化が始まり、日本中でギャンブルから撤退を始めている。

反対運動で「今まで555億円」も市に貢献している。今ダメになったのは、有効な手段を取らなかった経営責任は市にあると、ギャンブル愛好家は叫ぶ。

でも今まで十分に貢献されてはいる。職員の給与に充てがわれてきたし、選手への賞金に充当されてきた。だからいい競技大会が開催できていた。だから今までこの競輪場が持ってきたという、相乗効果を産んでいた。とろこが時代が、高齢化・少子化・繊維産業の衰退・レジャーの多様化などと、ギャンブラー人口の激減など、もう競輪・競馬をやれなくなってきていることも事実だ。名古屋競馬場すら衰退し始めている。

私は一度経験のために出かけたが、一度で敗退した。以来一度も行っていない。一度酒と串カツを食べに行ったことはあるだけだ。今はシャトルバスでお客を輸送しているが、その前はみんな駅まで歩いて行っていた。負けると駅までの交通手段に、所構わず自転車を盗んで駅まで行く。私のお隣さんはいつも自転車がなくなり、それを探しに、子供らを駅へ行かせていた。必ず自転車は出てきた。腹いせに植木鉢を蹴っ飛ばす、車券をばら撒くと、私らにとっては迷惑な存在だった。こういう迷惑にキチンと迷惑料を近隣の町内に払われていた。余談になるが、この迷惑料が唯一の資金源にしていた町内が、今後町内の維持ができなくなるとボヤいていた。

負けた奴の目は、まるでサンマの目の腐ったようなドロンとしている。見るに耐えない敗残兵だ。こういう惨めなやつを見ると、「この先日本はこのままでいいのか!」と叫びたくなる。

こんなことぐらいなら、競輪場の跡地に、総合体育館を造ればよかった。なにもアクセスの悪い、しかも子供が通えないような真っ暗な河川敷で、70億円もかけて造らずによかったのに。これこそ行政の責任だ。

とにかく私は競輪場廃止は大賛成です。ここでの赤字を競輪をしない市民が負担するのは、御免を被る。

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2009年9月16日 (水)

木曽川漁業協同組合員に登録してきたぞ~っ!

久しぶりにバーベキューをしよう、ということになった。

もう平均年齢は60歳を超えているマラソンクラブだ。昔のように肉をドサッと買うこともないだろう。以前は生きたアユを木曽川漁協の養殖場で買ってきて、それを河川敷で焼いて食べていた。今回もそれをと思ったら、アユの養殖は、友釣りが終わると養殖もなくなり、後は落ちアユということになる。

そこで漁協にアユの養殖がいつまでか聞きにいってきたら、9月に中ごろに終わるという。後はセリということになる。

「待ってちょ!私は家内とジャンケンしても負ける。家事、育児、洗濯は全~部、このジャンケンでこなしてきた」

そうつぶやくと、組合員が大笑いした。

「そんなに心配しなくていいですよ。しかもそんなに高くないからという」004

「チョッと考えさせてちょ」

といって組合事務所を出た。いかんがねェ。こういう勝負事にムチャンコ弱い。事実それを知っているから、競輪も競馬、もちろんパチンコもやったことがない。

でも言っとくけど、前科はある。前科といっても犯罪ではない。やった経歴はあるということ。競輪は我が家の1kmぐらい近くにある。一度ぐらいやってもいいのではないかと思って、1000円をポケットに入れて出かけた。それ以上使わないためだ。

勝負はあっけなく決まった。連勝複式の窓口で1000円出して、2枚(200円)下さいと突き出したら、1000円分出てきた。そこで2枚ですがと文句を言うと、後ろから、なにやってんだ、ここは1000円以上でばら売りはしていないと、つまみ出され、あっという間に勝負が付いた。競輪なんてだっ嫌いだ!と太陽に向かって叫んだ。競輪場から帰る敗残者を見るに付け、明日の日本はどうなる、と月の向かって叫ぶ。あれ以来競輪をやっていないから、全敗中。

競馬は、一度笠松競馬場に嫌々だが付いて行く羽目になった。尾西のハタヤ(織物)さんは、機械が動くと、後はお上さんに任せて、旦那衆は遊びまわっていた。そこにノコノコ顔を出したのが私で、お供する羽目になった。馬を見たって分かるはずがない。黒い馬が二頭精かんそうに見えた。それを買うことにして、ついでに隣の窓口で、300円買った。なんとこれが大当たりで、9000円儲かった。お客さんは3万円やられて、以来しばらく口を利いてもらえなかった。アハッ、競馬は以来やっていないので、全勝中だ。

チョット、思い出した。韓国旅行をしたときに、ウォーカーヒルにあるカジノが、コースに入っていたので、仕方なしに入った。バスガイドさんに、どう遊んだらいいのかねと聞くと、ルーレットは、たまに出目を記録していると、規則性があるという。そこでしばらく見ていたら、16が必ず4回目に出ることに気が付いた。

そこでやっとチップを1万円かって席についた。1時間ほどやって、ショーを見る時間になったので、そこそこもうけていたチップを全部16の上に乗っけた。それが大当たりで、大量のチップが山盛り積まれた。周りから一斉に視線を浴びた。これは昭和54年当時のことで、5万円もうけた。以来一度もやっていないので、カジノも全勝中である。

さて今度はアユのセリでは、どうなることやら。いままでの全勝中を維持できるだろうか。それを思い出して、翌日500円で永久の資格登録してきた。青い名刺大のプラスチックケースに入った会員証番号は、○○1番である。ブログでアユのセリを探すと、平日なら1000~1500円で25尾ぐらいで落としていると書いてあった。意外に安いので、勝負を掛けてやろう。調子に乗って買いすぎても食べきれないので、ほどほどに。

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2009年1月 5日 (月)

競輪場前のうどん屋のメニュー

競輪場の前にうどん屋がある。

「カツ丼」の旗がやけに威勢良くはためいている。単にカツ丼を宣伝しているのではない。競輪という勝負事に「カツ」という意味である。

そういえば、この競輪場に中にも、串カツ屋がたくさん入っている。私は競輪はやらないが、よく通り抜けることがある。

ワシがうどん屋なら、「勝つ丼」としたるが、こんなのをメニューに入れたらどうか。

  • 黄金色の数の子を載せた、「黄金丼」
  • 数の子茶漬け、「小判ざくざく丼」
  • イクラを使って、「行け行け丼」
  • タラフク腹が出たタラを使った、「太っ腹丼」
  • ウニとカニ味噌を載せた、「実り丼」(身載り)
  • アナゴ丼(大穴狙い)
  • フグ肝丼(いつ当たるか分からん)

12月25日東京の大井競馬場でなんと1523万円の配当が出た。ヒョトして串カツでも食べたんだろうか。

どうも私はバクチには、からっきし縁がないというより、寄りい付かないのである。絶対負けるという自信があるからである。

過去の勝敗は、競輪一回やっただけ。それも1000円持っていって車券をボチボチ買おうと思った。だか並んだところが1000円しか買えないところであった。

知らない私は「300円しかいらない」と言うと、「なにを文句言っているのか」と後ろの人からつまみ出されてしまい、一回やっただけで負けた。だから一戦一敗の全敗中。

昭和47年ごろの話だ。仕事中にお客さんに無理やり笠松競馬場へ連れられて、仕方なしにやった。馬を見ていても分かるはずがない。パドックで見た黒い馬が、とても精かんそうであった。しかも二頭とも馬体重がマイナスになっていた。

軽かろう良かろうという理由でその馬を買った。ついでに隣の窓口に300円投資したら、なんとこれが高配当。9000円になって戻ってきた。お客さんはスッテンテンになりカッカしていた。だから一戦一勝だから全勝中まっしぐら。物価指数から換算すると、現在の価格で4万円ほどになる。

麻雀もしない。そうだ、カジノに一度行ったことがある。韓国旅行へ団Photo体旅行をしたときだ。ウォーカーヒルが団体旅行のコースに入っていた。現地ガイドにどうやって遊んだらいいか聞いてみた。そうしたらルーレットはジッと見ていると、同じ数字が何度目かに出てくるという。

30分ほど見ていたら、4回目に必ず16が出る。そこでやっと5千円を投資して席についた。デーラーに気が付かれないように、その近くにばらしてかける。4回目にはドンドン16の近くへ賭ける。

集合時間になったので、まとめて全部16に賭けたら、一気にチップの山ができた。周りの客の視線が一斉に私を見た。昭和54年当時で5万円頂いた。これも現在の価格でいうと9万ぐらいになる。これも一戦一勝と全勝中。

家内とのジャンケンは、ほとんど負けるから、気が滅入る。家事も育児もジャンケンでこなしてきた。クッソ~ッ!

今日の昼はカツ丼じゃ!

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2008年5月29日 (木)

笠松競馬場を写真判定

004 木曽川堤防を川島から笠松へ抜けて行った。遠くから笠松競馬場を眺めていたら、人が観客席にいる。それにしても随分閑散としている。何か聞こえてくるので、ラジオのイヤホーンを外した。

008_2

場内放送をしている。はて?もしかして場外馬券を売り、雰囲気をかもし出すために、観客席を開放しているのだろうか。先日、場外車券を売っている競輪場へ入り込んだときと同じだ。

堤防に座り込んでいる人がいるので、「なんやっているんですか」と聞いた。「競馬をやっている」と言うから、なるほど競馬場だもんね。左の端を見ると、パドックからいま馬が出てくるところである。あれっ?、本当に競馬が始まる。

なるほど今日は開催日か。改めて観客席を見ると、数えるほどしかいない。では観客席をズームで取って後で写真判定をしてやろう。いまスタートが切られたので、デジカメを連写に切り変えた。

私は競輪競馬にあまり興味がないので、ひとレースを見てすぐに引き上げた。帰り際に、堤防の観客に、

「いつも観客はこんなんですか」と聞くと、「いつもだ」という。「よく成り立っているな」「いや、だから止めようかどうしようかと、悩んでござる」

「こんなぐらいなら、この競馬場の中で、野菜作っていたほうがいいかもね」と笑うと、「そうかもね、ここから競馬を見ているのは気が引ける」と笑った。「地元の人はもっと地場産業に協力しなきゃ、こんなただの席で見るなンて」というと、「ワシは川向こうから見に来ている」と、愛知県のほうを指差した。「へっ?木曽川町から?お宅も随分好きだね。何で来たの」「自転車で」

「それだけ好きなら、競馬場に入ればいのに」「いや、ここなら馬券買わんでもいいから」

家に帰って写真判定をすると、観客はおよそ150人ぐらいと判定した。これでは存続するかどうかの問題になるはずだ。

調べると、2005年ぐらいから、競走賞金と地代の減額、関係者の賃金カット、3連単馬券の販売方法などを工夫して、赤字から8000万円の黒字に転換したという。これに関係する人の数が相当なものだろう。でもいかにも少ない観客に、人ごとながらこの先が危ぶまれる。

これを書いたすぐ後に、いかんがやァ、こんなニュースが流れた。「笠松競馬場明け渡し命令」である。なんでもこの土地の98%が個人の土地で、地主は地代を経費節減に協力して、坪当たり2140円から1640円にした。2005年から黒字になったんだから、2006年からの地代を20%アップを要求した。競馬場側は、これではいままでの努力が水の泡になる。泣きっ面に蜂で、とても払えないと、控訴するという。

チョット待てよ、一宮市内でも、それだけ高い地代は取らんぞ。ワシは神社の氏子総代をやっているが、神社の借地の地代が坪450円そこそこだ、要求し過ぎだにャきャ。ヒョットして、中取って800円なんて駆け引きじゃないか?ウン。相手が動けないのを承知して、要求を高くしている。う~ん、どっちにしても、競馬場はつらいなァ。競馬場で働く3000人の生活がかかっているからな。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2008052990144648.html

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2008年5月21日 (水)

競輪場をのぞく

私は賭け事はやらない主義で、というより、やると負けるたちで、手を出さないようにしているだけだ。パチンコでも1000円もやられると、こんなぐらいなら本を買えたのにと悔やむからだ。家内とジャンケンしても負ける。だから賭け事は一切しない。

午後からウォーキングにでかけた。競輪場の前を通りがかった時、ふと競輪場の中がどうなっているか気になった。気になったまま通り過ぎると、後で「見ておけばよかった」と後悔する。そんな位ならば、思いついた時に、ためらわず見てやろうという気になったきた。

このごろそんな気持ちが強くなり、思ったらすぐに行動するようになった。004

だからウロウロと、ところかまわず徘徊をするのである。今日の競輪場は、開催日ではないが、他の競輪場の車券を販売する「場外」の日である。入場は無料で、ノルデックポールをついて、バンクを一周してきた。なかなか手入れされている。016

場内には、いたるところにある大型テレビで、レースを流している。その下には、大勢の人が群がっている。どうも競輪場というところの人種は、目が暗い。賭け事に目が死んでいるような気がしてならない。カメラを向けると、「ウ~ッ」と噛み付きそうな顔をされそうで、群がる人物を写せなかった。中には仕事中の人もいるから、個人情報漏洩で叱られそうだ。負け犬に、噛み付かれてもつまらんからなァ。

私の家から、わりと近いところにある一宮競輪場は、苦しい経営を余儀なくされているという。それならば止めればいいのに、ところがこれを壊す時にそうとう金が掛かるという。

河川敷に総合体育館を70億かけるならば、この競輪場を壊して体育館にすればいいじゃないか。ここのほうが市内のど真ん中で交通の便がいい。回りにはたくさんの駐車場があるではないか。006

バンクから野球場が見えたのに驚いた。野球場からはホームランゾーンになっているところには、外野席はない。ここに網がしてあり、競輪場から野球場がのぞけた。014 60年以上もここに住んでいて、初めて知った。

開催日になると、今はシャトル便で駅から送り込まれてくる客で、この車券売り場や混雑するんだろうな。昔は負けた客が、駅に帰るときに、近所の自転車を盗んで駅までの足にした。

だから駅に行けば自転車が出てきたから、盗まれたというのは変か。負けた車券をばらまくというマナーがなっていないのが、この競輪一族だ。明日の日本はどうなる!

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