一宮競輪場の今と昔
入場者数 多い時は1万人を超えた。今は2000人。しかも地元開催でこれだ。選手を約15人かかえていて、競輪場の職員約140人。最近のリストラは掃除のおばちゃんだけだという。いい選手はよその競輪場に引き抜かれている。競輪知らない私は、選手はどこの競輪場でも走られると思っていた。
競輪場の職員は、市の退職者、議員の声がかりか、市の職員の声がかりという天下りのような職員が多いと聞いた。こういう人はリストラにならない。しかも雇用条件がとってもいいらしい。パートでボーナスが出ると聞いた。
選手への入賞賞金も目減りして、毛織王冠ですら200万円足らずという。(今までの話は、みんな、競輪ファンで、しかも反対運動の署名すらしていない競輪ファンの話、なんとなく愚痴に聞こえるから、真実とは限らない)
最近の新聞のよると、――愛知県一宮市は、経営が低迷している市営一宮競輪場を今年度限りで廃止する方針を固めた。市税を投入しなければ運営できない見通しとなり、市の財政に貢献する競輪の役目を果たせなくなったと判断した。2013年6月月3日に開会する定例市議会で谷一夫市長が説明し、理解を求める。
一宮競輪場は1950年に開設された。最盛期の90年度には売り上げが年間700億円を超え、市の一般会計への繰り出しは30億円に達した。しかし、90年代以降はレジャーの多様化やファンの高齢化にバブル崩壊による不景気も重なり、売り上げが減り続けた。
近年は2009年度と10年度に連続して単年度赤字になった。市は人員削減や余剰施設の閉鎖、車券売り場の集約と自動化を進め、11年度は黒字になったが、12年度は再び赤字になる見通しだ。 ――そして廃止が決定された。
「競輪場は当初戦災で焼け落ちた日本紡績の跡地2万坪」を一宮市が買い取り、ここの収益性のあるものを造ろうと考えた。当初の構想は競馬場だった。この一宮は競走馬が飼育されていて、農耕馬も多く、市内の九品寺公園では、鈴だけつけた競走馬が行われ、桃花祭でも約150頭を出していた桃花祭がある土地柄だ。
だが土地の確保は20万坪は必要だった。 一宮市の春明の森林地帯、現在のプラネタリウムや市営住宅の場所を中心に広大な土地を確保しようとしたが地権者との折り合いがつかない。用地確保できないままでいたら、名古屋郊外の豊明に中央競馬場の設置が決定されてしまった。
ついに一宮は、2万坪でできる競輪場へ転身することになった。昭和25年11月25日竣工式となった。
時は経ち、レジャーも様変わりをして、老齢化が始まり、日本中でギャンブルから撤退を始めている。
反対運動で「今まで555億円」も市に貢献している。今ダメになったのは、有効な手段を取らなかった経営責任は市にあると、ギャンブル愛好家は叫ぶ。
でも今まで十分に貢献されてはいる。職員の給与に充てがわれてきたし、選手への賞金に充当されてきた。だからいい競技大会が開催できていた。だから今までこの競輪場が持ってきたという、相乗効果を産んでいた。とろこが時代が、高齢化・少子化・繊維産業の衰退・レジャーの多様化などと、ギャンブラー人口の激減など、もう競輪・競馬をやれなくなってきていることも事実だ。名古屋競馬場すら衰退し始めている。
私は一度経験のために出かけたが、一度で敗退した。以来一度も行っていない。一度酒と串カツを食べに行ったことはあるだけだ。今はシャトルバスでお客を輸送しているが、その前はみんな駅まで歩いて行っていた。負けると駅までの交通手段に、所構わず自転車を盗んで駅まで行く。私のお隣さんはいつも自転車がなくなり、それを探しに、子供らを駅へ行かせていた。必ず自転車は出てきた。腹いせに植木鉢を蹴っ飛ばす、車券をばら撒くと、私らにとっては迷惑な存在だった。こういう迷惑にキチンと迷惑料を近隣の町内に払われていた。余談になるが、この迷惑料が唯一の資金源にしていた町内が、今後町内の維持ができなくなるとボヤいていた。
負けた奴の目は、まるでサンマの目の腐ったようなドロンとしている。見るに耐えない敗残兵だ。こういう惨めなやつを見ると、「この先日本はこのままでいいのか!」と叫びたくなる。
こんなことぐらいなら、競輪場の跡地に、総合体育館を造ればよかった。なにもアクセスの悪い、しかも子供が通えないような真っ暗な河川敷で、70億円もかけて造らずによかったのに。これこそ行政の責任だ。
とにかく私は競輪場廃止は大賛成です。ここでの赤字を競輪をしない市民が負担するのは、御免を被る。
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