2006年10月22日 (日)

絵に描いたような出世物語

私の車のセールスをしている時のお客さんの息子さんが、外大でアラビア語専攻した。そうなると就職は当然石油関係になるなァと思っていたら、そのとおり某石油会社に決まった。しばらくは国内勤務が続いたが、アラビア方面に転勤となった。

帰国後、なにを思ったか勤務の合間を縫って、通信教育でアメリカの会計士の資格を取った。これは国内でもなかなか持っている人はいないらしい。この資格取得が発表されると、国内企業の大手から、「ぜひうちに来てくれ」の誘いがワンサと来たという。そこで息子は嫁の、この石油会社の重役をしている親父さんに相談したら、親父さんは社長に相談をかけたという。

これは逸材だから、彼の希望を何でも聞いてやろうということになった。彼の希望は「ハーバード大学で経営学の勉強をしたい」というので、夫婦共々アメリカに渡ることになった。ところが息子さんの母親というのもすごかった。息子がアメリカにいるうちに、訪問したいと、英検の2級を取得して、親夫婦は息子に会いにいったという。で、父親はというと、「ワシは尾張弁しかできんので、家内の後を付いて歩いた」と笑った。

ハ-バードを出ると、彼には副社長の席が設けられていたという。ところがいくらもしないうちに、お客さんが嘆いて言うには、「会社を止めた」という。理由を聞くと、アメリカの公認会計士とか経営学のことを本にして、後進を育てたいという。Photo_87

今ビジネス関係の会社を起業して、各界の企業セミナーの講師をしていると聞いた。まァ、見事な転身である。もちろん彼自身の努力の賜物であるが。

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2005年8月11日 (木)

昭和20年代のおれ達 ワナ

そろそろお盆が近くなった。家内の休みがなかなか取れないので、早めに墓参りに行った。

近くをいつもジョギングで通りかかるのに、不精をしていた。墓はぼうぼうの草で恥ずかしくなった。

ところがふと思い出したのが、なんと子供のころの遊びでした。

wana 昭和20年代はどこもかしこも原っぱで、そこが子供の遊び場であった。冬になると、あの原っぱは雪合戦の遊び場だった。雪だるまを10個ぐらい作って、町内中の子供でやった。

夏場の草むらは、いたずらの遊び場であった。草を結んでつまずかせたり、落とし穴を掘ってはそこに犬のウンコを入れておいた。誰が引っかかるか分からん遊びでしたから、近所のおじさんやおばさんも引っかかったと思う。

お気の毒に。こんな遊びを今やったら、学校に通報され、教育委員会は大騒ぎ、新聞にも出てくるかもしれん。

遊び心を忘れた今の子供が、この先どんな大人になるのかね。今の教育者も大人も世間も、もう少し林間学校とか農業体験とか、泥んこ遊び、キャンプとか自然を満喫した子供の経験をさせるべきだと思う。こんなことから環境問題も解決していくよ。

ゆとり教育が後退しているからと、国際的に教育レベルが落ちているということから、本当の子供心を奪ってはいないですか?

スカートの中を覗く教育者や、幼児暴行する警察官などという情けのないやつも減るかもしれん。

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