2016年1月 5日 (火)

やっと正月が終わった

今年ほど年末年始を越すのに難易度の高い年はなかった。まず医師から禁酒令が出ていたからである。歯を食いしばり何とか新年を迎えたが、4日には、わがクラブの新年会が我が家で行われた。

これは難行苦行で、腰痛持ちのわたしには、ジャイアント馬場の尾てい骨つぶし、脳天逆さ割り、ココナツクラッシュで、早朝から重たいテーブルの配置、イスの配置、料理は家内担当、食器の配列でもう腰がガタガタ。ここで一休み、二休みしたら、仲間が来る。

家内は早々にパートに出勤して行った。(スマヌ、スマヌと後ろ姿に手を合わせる)

医師の禁酒令を、家族の監視のもとに粛々とこなし、いつもなら解散となるとみんな帰るだけだが、今年はそうはいかん、みんなにやらせた。飲めない腹いせもある。悔しさもある。妬みもあるからだ。

翌朝の今日、家じゅうが酒臭い。禁酒令が出ている私が、医師から、わが人生の今後の最後通牒をいただくのである。いつ幕引きをするかである。

私ねェ、意外や企画が好きで、いいフィナーレを演出で来るかもよ。

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2012年6月 6日 (水)

人体遺跡の年代別区分

大げさだが、我々人体の遺跡を訪ねてみようと思い立った。私は以前から、科学雑誌『ニュートン』が好きで10年以上継続して購入していた。それがいまだに捨てられず本箱を占拠している。そればかりか、トイレの本棚にも並んでいる。

これがちょうどいい時間つぶしになる。しかもこの本は絵本といった方がよく、眺めているだけで時間がつぶせる。トイレという虚脱と放心、安心を得るに、これほど気が休まるところはない。この気の休まる場所にはうってつけの科学雑誌だ。

先日手の届くところの一冊を引き出して、座り込んだ。2005年11月号・「人体に隠された進化史」とある。読み進んでいくうちに、時間が経つのを忘れる。外で誰かが叫んでいる。寝ようが倒れようが、チビロウが漏らそうが我感ぜずの、没頭状態になる。

まず体の外側から検証を始める。

  • 母指対向性の指・親指がほかの指と向き合う。人の手の器用さにつながった。霊長類以降:7000万年前
  • 直立に適した骨盤。人類以降:約700万年前
  • 内側に傾いた大腿骨。人類以降:約700万年前
  • 手足。両生類以降:約3,6億年前
  • 土踏まず。人類以降:700万年前

最近私は、腰が曲がってきたか、原始帰りを起している。激しい運動をするときはコルセットを使い、やっと直立歩行ができる。足の裏の土踏まずは平均より高い。普通の人が約1cmのところ、私は右で1.9cm、左で1.7cmもあるので、足底筋に炎症を起こす。だから中敷きを市販の物で工夫してアーチをサポートしている。土踏まずは高度な人間だけの物。ということは、ワシは相当に高度なのか、わが頭を振ってみるが音がしない。空か?でも土踏まずの高い人は、足が速いという通説は当たらない。信じていいョ。このワシが証明するから。

内臓関係で上から検証します。

  • 脳。無顎類以降:約5億年前
  • 頭蓋。無顎類以降:約5億年前
  • 眼。無顎類以降:約5億年前
  • 内耳。両生類以降:約3,6億年前
  • 三つの耳小骨。哺乳類以降:約2億年前
  • 鼻涙管・眼と鼻をつなぐ管。余分な涙がこの管を通って鼻腔に流れ込む。両性類以降:約3,6億年前
  • ダーウィン結節。哺乳類の耳のとがった先端が折りたたまれてできたとされる耳介の内側の出っ張り。個人差がある。真猿類以降:約3000万年前(そっと耳を確認する)
  • 臭覚機能としての鼻。無顎類以降:約5億年前(私はこの機能が発育不良なのォ)
  • 高い外鼻・鼻の出っ張り。ホモ類以降:約250万年前?(ホモといっても、オネー系でなくて、人類=homoのこと)
  • 歯。軟骨魚類以降:約4億年前
  • 赤唇縁・外に露出した赤い唇。人類以降:約700万年~20万年前
  • 顎。軟骨魚類以降:約4億年前
  • おとがい。下あごの出っ張り。人の特有の性質:約20万年前
  • 肺。肉鰭類以降:約3.7億年前(鰭=ひれ。にくき類)
  • 心臓。無顎類以降:約5億年前
  • 乳頭。有袋類・胎盤類以降:約1億年前
  • 乳房。人類以降:約700万年~20万年前?
  • 横隔膜。哺乳類以降:約2億年前
  • 肝臓。無顎類以降:約5億年前(そうか、貴方はずいぶん前から頑張っていたんだねェ、大事にしなくては。今までずいぶん苦労を掛けたからなァ、これから大事にするよ)
  • 胃。軟骨魚類以降:約4億年前
  • 腸。脊椎動物以前:5億年以上前
  • すい臓。無顎類以降:約5億年前
  • 卵巣。脊椎動物以前:5億年以上前
  • 単一子宮。霊長類以前は二又に分かれていた。霊長類以降:約7000万年前

いかかですか?と聞かれても、返答がしようもない。自分の体は生年月日通りの歴史しかない。言われんでも分かっているが、同じ同類項、親父の親父とドンドンを辿って行くと、ここまでたどり着くのか。

トイレの外で騒いでいる。「なに?子供がチビッタって」「だから爺ちゃんの入る前に行けと言ったでしょう」と、あらぬことで孫が叱られている。孫は、「ぼく無実です」とつぶやく。

そう言えば、口と肛門が書いていない。考えれば、口と肛門は一番古いと思うよ。生物の生きる根源だもんなァ。

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2012年3月23日 (金)

超ウルトラマラソン ヨーロッパ縦断4175.9km

トランス・ヨーロッパ・トランスレースが始まるのは、2012年8月19日である。

期間は64日間・区間最短39km・区間最長83.3km・平均距離65.2kmというとんでもない距離を走ろうと、日本から18人参加する。中に私が未完成ながらウルトラマラソンに参加していた当時の仲間が、5人参加している。

何とも恐ろしい仲間たちだ。私の近所にいる通称「岩(ガン)ちゃん」は、毎年、年末から年始にかけて、江戸から京都、京都から江戸までの東海道を走り続けている。

北海道縦断、糸魚川から浜名湖までのフォッサマグナや塩の道、古道を探して走っている。国内のあらゆるウルトラマラソンに挑戦し完走している。彼の走りは決して速く走ろうというのではなく、ゆっくり、楽しみながら走っている。時間ではなく完走を楽しんでいる。しかもどんな大会でも前後のストレッチングは欠かしたことがない。走りを大切にしていることが私のようないい加減なランナーにも分かるし、私とは出来が違う。

剣の達人も修練を欠かさない。彼は走りの達人である。私はこれができなくて、とうとう頸椎と脊椎を痛めた。いまさら後悔しても始まらない。走っているときでも、楽しくってどんどん遠くまで、野原を通り越し、あの山超えてと、花鳥風月共としてと言いながら、どんどん走っていた。

走り終わると気分がいいと酒飲んで「バタン!キュー」という具合である。この間、彼はきちんとストレッチングをして翌日に備えていた。この違いがヨーロッパ横断マラソンなのだ。でも誇らしいよ。

とにかくひそかに応援しているよ。楽しんで来いよ。「岩ちゃん」。

「さくら道ウルトラマラソン270km」ひるがのの「てぬきうどん」の店主より。

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2008年10月29日 (水)

妙興寺からいただいた色紙

わが家の色紙は、ほとんどが妙興寺の歴代の老師からいただいたものが多い。

この解釈がなかなか分らなかったが、最近わが家の旦那寺の副住職が執筆協力された『こころの深呼吸・すっと気持ちが楽になる禅語』松原哲明監修を読んで初めて知った言葉である。

〇 河野宗寛・大淵窟

[独坐大雄峯]

ある修行僧が百丈禅師に聞きました。「この世で一番ありがたいのは何ですか」。これに百丈禅師は答えました。

[独坐大雄峯]この大雄峯に独り坐っていることが一番ありがたい。多くの人は、自分の幸せを、外側に求めています。お金が欲しいとか、おいしいものが食べたいとか、高い地位に上りたいとか、名誉が欲しいとか。

欲望を追い求め、心を騒がせて、自己を見失っているようです。お金も衣食も名誉も、ありがたいといっても、みな生きているからこそなのです。

いま、ここに、生きていることが、有り難い奇跡なのです。「独」というのは、現代風にいえば「個の確立」です。「個」は、わがままな自己中心ということではなく、多くの縁によって生かされている、かけがえのない「自己」です。天地いっぱい(大雄峯)に、生かされているいのち(独)を、生きていく(坐)こと、それが一番ありがたいことです。

〇 狭間宗義・無位窟

[以和為貴]和を以って貴しと為す

何事をなすにしても、人々相和して行うのが最も貴いのである。聖徳太子が制定した「十七条の憲法」の第一条の言葉。

〇 狭間宗義・無位窟

[本来無一物]『六祖檀経(ろくそうだんきょう)』我々は何も持っていないのだから、汚れるものはない。万物は実態ではなく「空」であるから、執着するべき対象は何もない。「心はもともと性善である」「心はもともと悪である」そのような好き嫌いという概念を取り去った言葉。

〇 稲垣宗久・孤雲

[莫妄想(まくもうそう)]あらぬ考えは現実を見えなくする

『伝灯録(でんとうろく)』より。汾州無業(ぶんしゅうむごう)禅師は、一生の間、学人の問いに対して「妄想する莫(なか)れ」と答えた。かように禅者は無正心の障りとなる妄想にとらわれぬよう工夫したのだ。

〇 正眼耕月

[驀直去(まくじきにされ)]迷わずまっしぐらに進もう

『無門関』第31則「趙州勘婆」より。迷わすまっしぐらに行け。五台山への道を尋ねる数多の修行僧にたいして、ことごとく「驀直去・・真っ直ぐに行きなされ」と応じた婆さんがいたという。無生心ならば東西南北もない。故に方角を示したにあらず。迷わずまっしぐらに修業せよとの老婆心であろう。耕月=臨済宗明神寺派正眼寺住職

正眼寺(しょうげんじ)は、岐阜県美濃加茂市にある臨済宗の寺院である。山号は、「妙法山」、別名「妙心寺奥の院」。かつては読売新聞の正力松太郎が川上監督に紹介し、長嶋選手と王選手を伴い坐禅をした禅道場です。

妙興寺住持(住職)

  • 十六世 松岡渇山 大正2年~昭和7年 昭和9年示寂(有徳の僧の死) 58歳
  • 十七世 杉本全機 昭和7年~24年 妙心寺館長に選ばれたが、9月に急逝 69歳
  • 十八世 河野宗寛 (大渕窟) 昭和30年~45年 慈眼堂歌日記 示寂
  • 十九世 狭間宗義 (無位窟)
  • 二十世 稲垣宗久 (孤雲室) 昭和53年~現在  

 

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2008年8月 2日 (土)

高校総体の新鮮さと知立の刃物事件

初々しさを感じるなァ。はつらつとしていて、流れる汗が見ている私でさえワクワクさせる。

またバカ亀田の親子の話になるんだが、こんな初心を感じてくれるならば、元々素質があるんだから、相当に国民的なヒーローになれただろうに。親のしつけが悪かったんだろう。

でももう遅い。力道山のリング外にいる、グレート東郷と同じで、勝っても負けても、悪のイメージが付いてしまっている。そんな印象を植え付けてしまったのがバカ親だ。またそれを全く気付かずに継承しているバカ息子が、いっこうに改心の素振りが無い。

こんなことばかり書いていると、そろそろワシが、バカ亀に襲われるかもしれんぞ。外来種のカミツキガメっていたよね。バカ亀も外来か?だったら駆除してしまえ!

いま、昔の負け組みが、刃物を持って襲いかかる。それほど心に傷を持っている。ワシはそんな心境がよく分かるなァ。

いじめた方はなんともないだろうが、チョットしたことで、相当に傷を受けることがある。私も中学校のころ、石原、渡辺という相当の悪がいて、何度も少年院を往復したのがいた。こいつらに相当のイジメに遭った。だがイジめるやつらより、軍人上がりの親のほうが怖かった。

学校で殴られて泣いて帰れば親に殴られる。いじめっ子より親のほうが怖かったからだ。だから徹底的に、いじめっ子に抵抗したものだ。それが面白くて、いじめが増幅する。この繰り返しであった。幸い、高校では、ヤツラは馬鹿で、私とは同じにならなかったから、学生生活を謳歌した。

今の教育者は、成績優秀でクラスで持てはやされて、今の職に付いたんだろう。いま問題になっている、教育者の採用試験。袖の下で先生になったやつらもいるんだろう。こんなヤツらが、先生になれば、子どもの気持ちが分かるはずが無い。

だから子供の本当の気持ちが分からず、先生自ら、「モヤシ」なんて言葉を平気で発するんだろう。不用意にもほどがある。

真実がどこのあるかは知らないから、不用意な発言は控えたいが、イジメをされたほうから見ると、いたたまれない気持ちがある。

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2008年6月15日 (日)

物忘れ

中日春秋にこんな記事だでた。 

電話番号が思い出せない。人の名前が、どうしても出てこない。齢(よわい)を重ねるほどに、こういう経験は増えてくる

▼「やれやれ、年をとると脳の方も…」と考えがちだが、さほど悲観することもないようだ。最近の研究で高齢者の脳の方が若者の脳より「賢い」ことが分かってきたと米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が伝えている

▼記事によると、高齢になると注意力散漫になる分、名前のような一つの事実を覚えておくことは苦手になるが、逆に、より幅広い情報を頭に入れておけるようになる

▼たとえば、わざと「場違いな言葉」を潜ませた文章を読む実験では、若者は、それを無視して読むため速度では高齢者に勝る。だが、後で「場違いな言葉」に関する問題を出されると、正答率は高齢者にかなわない

▼ただ読む時につまずいているのではなく、高齢者の脳は、「場違いな言葉」という余分な情報でも吸収、整理してしまう。これが、全体状況の把握や現象の背後を読む時に威力を発揮する。つまり、現実社会で必要な「賢さ」で“若い脳”に勝るというわけだ。

▼運動能力の方はそうもいかず、高齢ドライバーの操作ミスによる交通事故が目立つという。七十五歳以上の人は、きょうから「もみじマーク」の表示も義務付けられる。“危ない車”のレッテルでなく、敬意を払うべき“賢者の車”の印だと思いたい。

一度に二つのことをやろうとすると、片方を忘れる。何かをしようとしてそこへ行く。そこへ行くと他のことが気になった。その瞬間に、もう最初のことを忘れている。メモを書いておくんだが、そのメモをどこにやったか忘れている。またメモをしたことすら忘れている。話したことを忘れて、何度も同じ話をしてしまう。だから「最近この話をしたかねェ」と、確認してから話すようになってしまった。

もう瞬間健忘症というんだろうか、始末が悪い。新聞でいうような『高齢者の脳は、「場違いな言葉」という余分な情報でも吸収、整理してしまう。これが、全体状況の把握や現象の背後を読む時に威力を発揮する。つまり、現実社会で必要な「賢さ」で“若い脳”に勝るというわけだ』であれるだろうか、自分ながらこの先が心配だ。

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2007年5月24日 (木)

入院中 エッセイ集より17

「023.doc」をダウンロード Photo_383

22日退院いたしましたが、しばらくこのまま流します。その間に入院記録を整理してご報告いたします。 Photo_384

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2007年3月 4日 (日)

ヒェ~ッ!入院間じかにカァチャンがダウン

最近咳き込んでいるから気をつけるように行っていたが、とうとう熱が出た。幸い休みの日で一日寝ていた。

ではお粥さんでも作ってやろう。残り飯に少し多めに水を入れて、味付けに「永谷園のお吸い物」と梅干をほぐして入れた。

明治乳業の、おまけのブルーベリーの飲み物と、トマトを切った。

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2006年11月19日 (日)

内部告発したいのだけれど、という人に朗報

http://www006.upp.sonet.ne.jp/pisa/

http://www.securitynet.jp/kokuhatu/index.htm

まずはここへメールを入れてみて下さい。もし心配なら、「内部告発」と検索してみて下さい。色々出てくるが、自分で納得できるところを探すべきです。できれば弁護士が付いているところを選ぶべきですね。

中には怪しげなのがあるかも知れないからです。

これは社会の正義を護るというよりは、当たり前のことが通用しなくなった今日の社会を、自らの正義感からの告発です。あなた自身が泥沼にはまる前に決意してみませんか。

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2006年10月13日 (金)

妙興寺の老師の部屋は震度5だった

親父の本家の法事があった。この家の旦那寺は「妙興寺」である。今日の和尚は妙興寺の二十世稲垣老師である。法事が終わり、会食となったときに、妙興寺の庭にある句碑の話になった。_012_1

ここには「親のなき子等を伴ひ荒海を渡り帰らんこの荒海を」と掘り込んである。これは第18世の妙興寺の河野宗寛老師の歌である。

これは昨年7月に「すごい和尚がいた」という題で、ブログに7話にして連載した。https://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=5642669&blog_id=116845

終戦直後の満州から溢れる孤児を300人救い出した苦労話を、短歌で綴った話である。これに私は感動して、こんな和尚がみえることを知って欲しいと思い、連載させてもらった。この話しを老師にすると、なんと老師が私のブログを読んでおられたことを知った。老師が「これを書いた人に一度会ってみたいと思っていた。それが、なんと意外やこんな近いところにみえたとは」と奇遇を喜ばれた。

今度は私が驚いた。老師に読まれていたとは、話しを創作しなくてよかった。事実を忠実の書いてよかったと胸を撫で下ろした。老師が「この歌を綴った『慈眼堂歌日記』に改訂版があるから、寺に取りに来るように」とおしゃった。

先日マウンテンバイクで頂きに上がる。庭先にマウンテンバイクを止め、庫裏の上がりがまちにヘルメットと手袋を置き、待合所で老師を待った。表の庭はよく見るが、裏庭は中に入らなければ見られない。鳥が鳴き盛んに飛び交う花鳥風月を感じる静かな庭である。この庫裏は明治30年に再建されたという記述があるから、110年経っている。

襖も滑りをよくするテープを貼り、少し茶だんすが傾いているのは畳が沈んできたのだろうか。雲水が老師の部屋に案内をしてくださった。寺の一段奥まった2階が老師の部屋であった。大きく放たれた窓から、庭が一望できた。「いい眺めですね」と私はつくづく言った。

お茶を点ててくださった。我がクラブでN君が民間ではただ独り、雲水に混じってここで修行している。我が家の旦那寺の跡取り息子が、N君の座り方を見ただけで、この人には太刀打ちができないというほどだ。老師と禅問答するまでになっているという。そんなよもやま話をして、本を出された。_003_7

本は『慈眼堂歌日記』『一禅僧の自伝』(いずれも河野宗寛著)『妙興寺散歩』を三冊も拝領してしまった。

これを頂いてグラグラしたが、なんとこの老師の部屋もグラグラした。老師が笑いながら、「柱が細く、造りが悪くてね、私が動くとグラグラする」と、ワザワザ揺すったら、本当に震度5だった。

庫裏の裏に増設された部屋で、住まいは後回し、本堂とか修業道場が先だという。

「歴代の老師は400年で私が20代目だから、一代20年という。どうも早死にをされている。これはここの水が悪いという話がある。でもそんなこといったら、近隣の人も同じだが」と老師は笑った。

頂いた本が三冊、マウンテンバイクに掛けたビニール袋の中で嬉しそうに揺れている。

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