わが家の色紙は、ほとんどが妙興寺の歴代の老師からいただいたものが多い。
この解釈がなかなか分らなかったが、最近わが家の旦那寺の副住職が執筆協力された『こころの深呼吸・すっと気持ちが楽になる禅語』松原哲明監修を読んで初めて知った言葉である。
〇 河野宗寛・大淵窟
[独坐大雄峯]
ある修行僧が百丈禅師に聞きました。「この世で一番ありがたいのは何ですか」。これに百丈禅師は答えました。
[独坐大雄峯]この大雄峯に独り坐っていることが一番ありがたい。多くの人は、自分の幸せを、外側に求めています。お金が欲しいとか、おいしいものが食べたいとか、高い地位に上りたいとか、名誉が欲しいとか。
欲望を追い求め、心を騒がせて、自己を見失っているようです。お金も衣食も名誉も、ありがたいといっても、みな生きているからこそなのです。
いま、ここに、生きていることが、有り難い奇跡なのです。「独」というのは、現代風にいえば「個の確立」です。「個」は、わがままな自己中心ということではなく、多くの縁によって生かされている、かけがえのない「自己」です。天地いっぱい(大雄峯)に、生かされているいのち(独)を、生きていく(坐)こと、それが一番ありがたいことです。
〇 狭間宗義・無位窟
[以和為貴]和を以って貴しと為す
何事をなすにしても、人々相和して行うのが最も貴いのである。聖徳太子が制定した「十七条の憲法」の第一条の言葉。
〇 狭間宗義・無位窟
[本来無一物]『六祖檀経(ろくそうだんきょう)』我々は何も持っていないのだから、汚れるものはない。万物は実態ではなく「空」であるから、執着するべき対象は何もない。「心はもともと性善である」「心はもともと悪である」そのような好き嫌いという概念を取り去った言葉。
〇 稲垣宗久・孤雲
[莫妄想(まくもうそう)]あらぬ考えは現実を見えなくする
『伝灯録(でんとうろく)』より。汾州無業(ぶんしゅうむごう)禅師は、一生の間、学人の問いに対して「妄想する莫(なか)れ」と答えた。かように禅者は無正心の障りとなる妄想にとらわれぬよう工夫したのだ。
〇 正眼耕月
[驀直去(まくじきにされ)]迷わずまっしぐらに進もう
『無門関』第31則「趙州勘婆」より。迷わすまっしぐらに行け。五台山への道を尋ねる数多の修行僧にたいして、ことごとく「驀直去・・真っ直ぐに行きなされ」と応じた婆さんがいたという。無生心ならば東西南北もない。故に方角を示したにあらず。迷わずまっしぐらに修業せよとの老婆心であろう。耕月=臨済宗明神寺派正眼寺住職
正眼寺(しょうげんじ)は、岐阜県美濃加茂市にある臨済宗の寺院である。山号は、「妙法山」、別名「妙心寺奥の院」。かつては読売新聞の正力松太郎が川上監督に紹介し、長嶋選手と王選手を伴い坐禅をした禅道場です。
妙興寺住持(住職)
- 十六世 松岡渇山 大正2年~昭和7年 昭和9年示寂(有徳の僧の死) 58歳
- 十七世 杉本全機 昭和7年~24年 妙心寺館長に選ばれたが、9月に急逝 69歳
- 十八世 河野宗寛 (大渕窟) 昭和30年~45年 慈眼堂歌日記 示寂
- 十九世 狭間宗義 (無位窟)
- 二十世 稲垣宗久 (孤雲室) 昭和53年~現在