10mの桧がなんと200万円
昨年の年末、市内の材木店に出かけた。
毎年町内の神社で年末年始を通して、「どんどこ」という火をたく習慣が残っている。いわれは、
――
当社は垂仁天皇御子倭姫命(やまとひめのみこと)が神鏡を奉載(謹んでいただき)し、美濃国伊久良川の宮より、尾張国中島の宮に御遷幸(天皇が他の場所に移ること)の時、このところにいましたによって、地名を神明津または神明渡(しめど)といい、よって社号を浜神明社と称する。
昔この辺は海潮満干する浜辺であって、神人このところで漁をして真清田神社及び当社に御贄(おにえ=神にたてまつる)に供えたが、今は水田になったという。当
当社殿の東北辺りにある舟繋松は、その一大根株が明治15年まであったといい、倭姫命の御舟をつないだと言い伝えられ、その他当社辺りは大樹でうっそうとして繁っており、東に御手洗池という大池があって、むかし林氏が大蛇を退治したと伝えられ、ものすごかったと伝えられている。
また神殿の東側にお腰かけ石は、倭姫命がこの地に来て、この石に腰かけて休まれたと伝えられている。またその際、皇女が寒さのあまり、火をたいて暖をとられたという縁起から、毎年旧暦(今は新暦)の大晦日の夜、同境内で大かがり火をたき、餅などを焼いて、夜通し祈願することを、今もなお行事として伝えられている。――
この大かがり火が今に残っている。この日のネタを仕入れに毎年この材木店に木っ端を分けていただく。今年はとてつもなく大きな一本の木が防水シートの覆われていた。ご主人に聞くと、お伊勢さんに仲間と奉納するという。これは桧で、10mの大木で、木曽で200万円で入札したという。
なかなか目に触れることができない代物を、拝ませていただいた。
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