2009年11月 7日 (土)

お千代保稲荷へ渡し舟

久しぶりにお千代保稲荷に行こうと誘われた。風もなくいい天気に恵まれた。

二人でツーリングする場合、横並びで走行できない。そこで、コースを尾西線のわき道を走ることにした。ここなら交差する道も少なく、車の行き来もない。田んぼの真ん中をのんびりと走る。萩原町の小さな商店街を抜けると、3kmほどで西中野に出る。ここには、木曽川にも数少ない渡し舟がある。堤防に上がると、船頭がいる小屋がある。二人がのんびりとテレビを見ている。

「お願いします」と声をかける。

二人の船頭が河川敷の船着場に来た。自転車を舟に載せる。舟は第五中野丸である。ここは県道扱いで、県の嘱託船5頭である。船舶免許の資格がある人を募集しているが、なかなかなり手がいないという。悪天候以外は運行しなくてはならないし、8時半から11時半、0時半から2時半、3時半から4時半という細かい時間に縛られている。しかも給金が安いからとぼやく。

川幅は約700m、川面は凪で鏡のようである。水鳥がここは禁猟区だと知ってか、多く羽を休めている。舟に驚いてか、時々バシャッと魚が跳ねる。対岸までわずか5分ばかり。ここには国旗を揚げるポールが立っている。ここの旗は、白地に黒の丸の中に県の字が書き込んである。これを帰りに上げると対岸の船頭小屋から見ていて迎えに来るという。県道扱いだから、もちろん無料だ。申し訳ない気がする。それになんとも風情がある。

016堤防道路に上がり田んぼ道を走る。お千代保稲荷まで7kmほど走る。田んぼはもう稲が刈り上げられている。ハサ掛けされた稲束が並んでいる。一宮あたりは全国でも一番遅い稲刈りらしい。

久しぶりにこの参道に来た。相変わらずの賑わいだ。一宮の本町とは雲泥の差だ。適当に道が狭く、かえって大勢の人がいるという賑わいを演出しているようだ。2

漬物屋、串カツ屋、衣料、食堂などが所狭しと店を並べる。漬物を摘んでいるうちに、つい買いたくなる。相棒が奥さんからスーパーにないものを買うようにとリックを背負わされてきた。最近結婚した相棒が、ニンニクを大量の買い込んだ。アハッ、若い嫁をもらったので、ニンニクでは追いつかんぞと笑う。しかも中国産のニンニク300円では、何が効いてくるか分からんぞ。同じ量で青森産だと1600円もする。

串カツ屋に入り、ビールと串カツおでんをとる。

また田舎道を走り、馬飼大橋を渡り祖父江に入り、善光寺を見る。ここの若い住職はずいぶんやり手らしく、屋根を改修して一段と立派にした。改修のとき、屋根裏に大量のハトの糞が堆積していた。それを袋につめて住職が売ろうとした。ところが誰も買わない。そこで無料にしたらあっという間になくなったという。住職の商売上手は当てが外れた。

祖父江は11月末には銀杏祭りがある。イチョウの紅葉にはまだ早い。祐専寺に寄る。ここにはイチョウの原木をがある。この寺からイチョウが増え続け、今の名物になった。イチョウ畑にくると相当に臭い。でも11月末にはこの銀杏並木が奇麗になる。また来てみよう。

一日いい天気の恵まれて、50kmのツーリングができた。

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2009年11月 1日 (日)

なんと、私のブログを読んで妙興寺へ

最近は毎日妙興寺へ行く。先日管理人と隣の博物館の学芸員と石段に座って話し込んでいた。いま博物館では、「牧進日本画展」が行われていて、たいへんな人気である。その前後にここに来る人が多い。博物館と妙興寺の仏殿ご開帳とは連動している。相互に来た人を、博物館や妙興寺へ誘導する暗黙の協定を結んでいるようだ。

ご婦人が、木の茂みの中に黄色の実をつけた木があるがという。一緒に見に行くと、クゴガネモチの葉をしてるし、実の付き方も同じなので、おそらくクロガネモチの色違いだろうと話した。

ついでに山門の造りが、普通は真ん中が扉で両側は、板囲いがあり、その中には阿吽や仁王の像が入ったりす078 るが、それがない。しかも欄間(透かし彫り)の部分が、両面彫ってあるものもあっるが、何も彫っていないものもあるという、中途半端な作りになっている。これは明治23年の火災と翌年の濃尾大震災で、連続して災難に遭い、壊滅的に諸堂倒壊焼失してしまったからだ。それから43年経った昭和9年にやっと現在の形に再建された。だからこの山門の中途半端な形は、ここで資金が枯渇した証拠である。

総門が成瀬隼人正太がここに寄贈したいきさつの裏に、徳川幕府の将軍徳川吉宗と尾張 藩藩主徳川宗春との確執を話す。

仏殿の南西にある歌碑に「親のなき 子等をともない この荒海を 渡り帰らん この荒海を」とある。この妙興寺の18世老師・河野宗寛老師が、満州から孤児300人を連れて帰った歌日記であると話す。

1このご婦人の大変歴史に造詣が深そうだ。なんか恥をかきそうな雰囲気を感じながら、「柳生無刀取り発祥に地」であり、始めはオニギリから始まったことや、武道家がオニギリでは都合が悪かろうと、後年話をすり替えて記録を残している。など、ここのパンフレットにない話を2_4してあげた。

この方に、こんな話をしてあげたら、ご婦人が、「この話は、誰かのブログで読んで、興味を 持 ったのでここにきた」というではないか。なんと、私のブログを読んでこられたとは驚いた。学芸員とご婦人に名刺を渡し、河野宗寛老師の満州孤児を連れ帰る『慈眼堂歌日記』に感動して、ブログで2005年7月に「すごい和尚がいた」を7回連載したことを紹介した。

ご婦人はこの本が読みたいというので、豊島図書館に道筋を教えて分かれる。

大体毎日の日課で、マウンテンバイクで9時から11時ごろまで約30km走り、この妙興寺へ来る。そして仏殿の管理人と石段に座り込んで、なんでもない話をして、森の芳香を嗅ぎ取る。時にはオオルリやオナガニ会える。都合がよければ、説明ぐらい差し上げてもいいが、知らないことは知らないと言ういい加減な説明だぜ。会いたい方は、午前11時過ぎに顔を出せば会えるかもよ。

妙興寺のパンフレットにない、面白話だから、多少嘘こいてもいいと思っている。中には珍説もあるかもよ。

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2009年10月18日 (日)

扶桑緑地公園から一宮大野緑地までは、素晴らしい

先日犬山の歴史史料館へ行ってきた。その帰り道、扶桑緑地公園を経由して帰ってきた。ここは実に素晴らしい。

木曽川に流れを見ながら、季節の花が咲き、とてもよく手入れがされている。ここを管理している方たちは、ボランティアで、全長2kmほどのコースには南側に花を植え、両側には風景を看板で案内されている。

実に多くの人が歩いたり自転車で来てる。http://www.town.fuso.aichi.jp/tourism/kou/kou_43.htmlPhoto

犬山城の下流にあるグランドから川岸へ出ると、自然とこの歩道に出る.。右側に木曽川に対岸には伊木山が見える。またの名を寝釈迦山と か、ガリバー山というらしい。なるほど、釈迦が寝ているように見える。この寝釈迦山という名は全国にあるようだ。○○富士と同じように、山岳信仰からなのか、大日ガ岳と釈迦○○などという名が多くつけられた。

Photo_4 歩道下でご夫婦が何かを拾っている。聞くとクルミという。ビニール袋はもうパンパンに膨らんでいる。こういう収穫Photo_2 が一番うれしい。春には竹の子、桑の実、アケビもある。でも草むらには、マムシ注意の看板もある。川ではいま落ち鮎が盛んで、多くの人がガリという引っ掛け釣りをやっているし、川の浅瀬では投網をやっている。

空はあくまでも高く、赤トンボが盛んに飛び交う。

なんと桜が咲いていたではないか。四季桜と表示がある。何本もあり時ならぬ桜並木を行くことになった。ここは実によく表示をしてくれている。向こうの山は何山と言う表示もあるし、昔話なども書いてある。

Photo_5 これを読みながらずいぶん楽しめる歩道だ。愛岐大橋の少し上流で歩道がなくなるが、今度はスーイートピア江南から河川敷へ入る歩道が出来上がって いる。http://www7.ocn.ne.jp/~suitopia/

このスイートピア江南は名前どおり57m(コウナン)あり、最上階には大浴場がある。木曽川を眼下に見て、遠くは御嶽山や美濃の山の山並みを見ながらの風呂がとてもいい。周りにはテニスコートもあり、たくさんの利用者がある。

約1kmほど下流に、フラワーパークのある。ここで堤防に上がる。http://www.kisosansenkoen.go.jp/~konankaki/kgoannai.html

いい気分で走られた。犬山から扶桑、江南、一宮へこういう歩道が続くと、市民のいい憩いの場所になるのに。一宮の河川敷の総合体育館のような、ばかでっかい施設に70億掛けるぐらいなら、この方がよほどいいのに、と、また愚痴が言いたくなる。

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2009年10月16日 (金)

徳川宗春と成瀬隼人正太を求めて、犬山城へ登城する

このごろ気になっていることがある。妙興寺の南にある「総門」の説明書きである。

『妙興寺散歩』では、--この総門が伊勢湾台風で倒壊したとき、延享3年(1746)の棟札が発見さ2 れた。それによると尾張徳川家筆頭の付家老である犬山城主五代の成瀬隼人正太は、八代藩主徳川宗勝から、邸宅をいただき、これを総門建立の材料として寄進した。--

とある。

ところが門前の案内板には、--宗勝から、隣接する屋敷を拝領し、両屋敷を一つにしたために、使わなくなった門を寄進した。--

この微妙な言い回しが、気になって仕方がない。私が「案内パンフレットのない妙興寺の歴史」というのを、妙興寺から頂いた『妙興寺散歩』などから、面白話を引き出して書いたことがある。これを今ご開帳中の仏殿の管理人に説明の手助けに書いたら、隣接する博物館の係員がコピーをして持ち帰ったという。なにかの説明の役に立てばという思いからだ。

私は総門のことをこう解釈した。「隣接する徳川宗勝から屋敷をいただき」と書いた。これにすぐ反応したのが、郷土史家で走友のマイタウンさんである。「殿は城の中にいるので、成瀬と同じの城外には住んでいない」という。なるほど確かに徳川宗勝は尾張八代藩主である。謎はまだある。

  • 当時の屋敷図を見ると、隣接するのは、次席家老竹腰志摩守と成瀬大内蔵(成瀬隼人正太と統一人物か?)である。ならば隣接する屋敷がどこなのか。これが分からん。それともこの地図の時代が違うんであろうか。
  • ちょうどこんなころの尾張藩主は、七代徳川宗春である。このころあの暴れん坊将軍の徳川吉宗が将軍で、享保の倹約令を出し、財政立て直しを計ってる最中である。これに逆らうように、宗春は歌舞音曲やりたい放題。閉めすぎる倹約令はかえって民衆が苦しむとばかりに、芝居小屋、遊郭、飲食店、盆踊りを盛大にやってのけた。これが吉宗のカンにさわり、元文四年(1739)に謹慎、蟄居を命じられ、幽閉されてしまう。
  • 宗春のあとを継いだのが、宗勝であるから、城に入るなら屋敷は要らない。だが、宗勝が城下の住んでいたという証がない。(要するに調べるすべを知らないだけ。こう書いておくと、郷土史家からまたお知らせがあるだろうと期待する)
  • もし城下に住んでいなかったら、誰の屋敷を与えたか。
  • 竹腰は、宗春は謹慎したときに、高齢のため隠居している。

この総門を見るにつけ、頭を傾げるのである。そんなことを色々パソコンで調べていたら、犬山城白帝文庫歴史文化館編集の『研究紀要第二号』のなかに、「成瀬正太と徳川宗春」が掲載されていることを知った。これがどうしても読んでみたくなり、犬山城下の歴史史料館へ出かけたというわけだ。現在の館長は、成瀬家のお姫様がなされている。一度一宮のイベントでお会いしたときに、二人で記念写真に納まった。恐れ多いことだったが。

1000円で仕入れ、さっそく読んだ。ところが、宗春の資料というのは、どうも謹慎を機会に意識的に処分された形跡があり、なかなかはっきりしない。憶測されながら書かれてあったのが、

  • その謹慎へ働いたのが、筆頭付け家老の成瀬正太と次席家老竹腰正武であるといわれている。宗春が跡目を継い時三十六歳で、成瀬の年は二十九歳と若く、竹腰は五十六歳という老齢である。幕府の裏で動き回ったのが、竹腰で、宗春をいさめる役が成瀬であってであろうと推測される。
  • 付け家老の役目は、藩の大勢を適切な方向に進めることが役割とされ、万一、藩主が、幕府のためにならない場合は、これを諌め、それでも聞かないときは、「屍をもって諌めるべき事」ともいわれた。『尾張藩公法史の研究』林勲一著
  • 事実、吉宗の死後、宝暦年間に成瀬正太は頻繁に幽閉されている宗春へ、季節の干鯛、焼鮎、蒟蒻、マッタケ、塩鱒などを「内々進上」をしていることが、『正泰公御伝』に書かれている。これは成瀬が宗春への晩年の至るまで、尊敬と親愛の気持ちを残していたと思われる。

でも、総門を貰う理由はないが、まったくの憶測だが、幕府の尾張藩お目付け役である、付家老成瀬への配慮であったであろう。この後は藩内で成瀬の権威は向上していった。吉宗もこの成瀬への特別目をかけていたのPhotoは、家康以来の忠臣であるからだ。

成瀬は三河の足助の山の中に成瀬郷というのがある。近くに成瀬城跡もある。ここのは成瀬の氏名が多く、成瀬神社というのもある。 家康が松平であるころから、一緒に転戦をして武功を立て、ともに生き抜いてきた忠臣だからである。成瀬の姓はここから始まった。

久しぶりに少し勉強させてもらった。これで妙興寺の総門の説明に、そこしはハクがつくかなァ?。 

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2009年9月 4日 (金)

家内に強請られて温泉へ

2日間の休みが取れたので、温泉へ連れて行けと強請られた。強請るは「ごうせい」「きょうせい」と読めるが、「ねだる」とも読む。僕にとっては「強請(ゆすり)」に近い。温泉といえば、当然湯上りにビールが付き物だ。

だが日帰りとなると、そうはイカン。だからできるだけ近場の温泉を探した。そこで選んだのは、揖斐川の上流、久瀬温泉「白龍の湯」か、粕川の上流、春日村の「もりもり村リフレッシュ館」である。ここなら山の中で雰囲気としてもいいし、距離も近いから、1時間ちょっとで行ける。

帰りには、ヤナに寄って鮎でも食べてくればそこそこ小旅行の雰囲気が出る。今日はどうも山のほうでは強い雨か雷雨の可能性が高いから、あまり山の中に入り込むと、最近の集中豪雨のような雨にやられると、土砂崩れなんてことにならんとも限らん。そこで今日は池田山の北側にある「もりもり村リフレッシュ館」へ行くことにした。http://www.ginet.or.jp/morimori/index.html

この辺りならもう7~8年前になるが、ランニング登山で、池田山、鍋倉山には何度も来ているから、地図なしでも行ける。「夜叉ケ池伝説マラニック」には毎年不参加ながら、応援に来ているからだ。鍋倉山に、私のマウントザック「マウント(山)・ザック(ZAK)=ズルズル(Z)歩く(A)会(K)」というクラブで入り込んだときだ。帰り道川沿いにたくさんのワサビが自生していたので、たんまり採ってきた。後で考えたら、この山の中にはわさび畑があり、そこから流れ出たワサビが自生したんだということが分かった。「梨下に冠を整さず、瓜田に靴を納れず」で、他人から疑いをもたれるような行為は、自制すべきであった。

この鍋倉山の登山口を通り過ぎるとすぐに、「もりもり村」ののぼり旗がかざしてある橋を渡ると、結構大きな建物が見える。ここが温泉である。中に入ると半分は、保健センターが使っていて、後の半分が温泉と売店で占めている。

ここの売りは、「薬草の風呂」で、この上流に「さざれ石公園」があり、国歌「君が代」に詠まれた「さざれ石」が、アッチコッチに露出している。見かけは悪いが、伊吹の石灰石が雨水に溶け出し、長年かかって小石をくっ付けて巨大に石となった。この場所に立つだけで、薬草の匂いがプンプンする。一度ここから伊吹山に登ったが、登山道は薬草の匂いだらけであった。薬草の宝庫である。

入浴料は400円だからタオルを持参したほうがいい。風呂は浴槽が3つあり、温泉ではない普通の風呂、泡風呂、薬草風呂、薬草サウナがある。この近くの天然温泉は、ほとんどがこのぐらいの大きさだ。薬草風呂には黒褐色の塊が浮遊している。「ウンコ?」と思ったら、枕ぐらいの薬草の入った袋から染み出した灰汁(あく)と説明書きしてあった。

ここの薬膳料理が有名だが、今日はここを出て、揖斐川にある観光ヤナを探す。この川沿いだけでも6軒ある。鮎は一尾500円の見当で行けば、7尾Photo の料理だと3500円。10尾ならば5000円見当だ。

面白い話がある。ここらの鮎は、養殖が多い。天然なんてそんなに手に入るものではない。一宮の名鉄木曽川堤駅の下に鮎の木曽川養殖センターがある。私らが木曽川の河川敷でバーベキューをするときに、ここでまとめて50尾(3kg)ぐらい生きたまま買うと、kgあたり3000円で9000円だった。一尾が180円ぐらいになった。ここには、早朝から遠くは矢作川、揖斐川、根尾川のヤ004ナ業者がドット鮎を仕入れていくのを目撃しているし、業者が仕入れに来るといっていた。

1000尾ぐらい買えば1尾100円ぐらいに付くと思う。推測だが、それを鮎料理として1尾500円なら十分に採算が合う。先日、スーパーの特売で、3尾500円で売っていた。どう、1尾166円ぐらいについている。勘定は十分すぎるほど合っている。

そんなことを考えて魚田や雑炊、刺身など、手の掛かった料理を食べると味気なくなるからもうやめる。近いうち にでも、木曽川養殖センターに出かけて、根掘り葉掘り聞いてやろう。

ここでは毎朝6時から6時半、鮎の「競り市場」が9月~10月一杯開かれている。500円で登録すれば永久にセリに参加できるとあるから、個人参加もできるということ。しかも天然鮎だという。でもそんなに数はないと思うよ。セリ時間が30分だもの。

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2009年7月 6日 (月)

伊勢神宮と朝熊山・金剛證寺の両参り

まず伊勢志摩スカイラインで、朝熊山に登る。

この伊勢志摩という名前は、「磯や島が多い=磯島」から「伊勢志摩」になったという説が3 ある。伊勢神宮はもう何度来ただろう。愛知県に住んでいると、小学校の修学旅行はたいていここに来る。でもいつ来ても疲れるという感じしか受けないのである。家内もいつもは、お参りもせずに「おかげ横丁」に逃げ込むという。

神宮会館脇に大きな駐車場ができている。ここに誘導する指示の看板が盛んにでる。「社会学研究何とか」という看板に誘導されてそこに入った。ここから神宮までが遠かった。ちょうどおかげ横丁の一番端っこぐらいに位置する。神宮の入り口に行くと、そこの駐車場に空きがあった。この「社会学何とか」という看板に騙された。

この会館には、2度ほど宿泊したことがある。五十鈴川の伊勢神宮の対岸に、舗装された林道が、五ヶ所湾に通じている。ここの尾根に「剣峠」がある。ここからの景色は絶品であるという触れ込みに誘われて、「浜島」までの往復50kmマラソン「剣峠越え50kラン」に参加したことがある。

峠で見る景色は、尾根がどこまでも続く南伊勢。南には五ヶ所湾が眼下に望める。実に神秘的で感動した。だがここは神宮の所有地で、ほとんど自然のままなので、獣が実に多い。もっと言えば、伊勢市の三分の一を神宮が所有しているという。キツネやマムシがたまに通る車に跳ねられれて死んでいる。特にマムシがものすごく死んでいた。この森には入りたくないと思ったほどだ。

だが、私がたくさん走ってきた林道の中では、一級品の林道だ。あまりにも美しいので、つい歌を作った。

  • 念願の伊勢朝熊山両参り眼下に広がる島々まぶし
  • 木漏れ日が道に映す幻燈の光に中に木の葉ゆらゆら
  • 磯香る照り輝く凪の海沖行く舟の波に筏ゆれ
  • 神宮の森は生きてるジムグリとマムシ、シマヘビ長物総出

神宮の橋がただいま架け替え中で、仮橋を渡る。大勢の人が来ている。土曜となるとこPhoto んな人出になるんかや。驚いた。

あまり興味のない神宮を、嫌々歩いているとずいぶん疲れる。というと神罰が下りそうだが、信心していない神さんがなぜ罰が下せる?アラーの神さんの神罰があんたに下るかや?と、罰当たりなことを言っている。

おかげ横丁に行くと、ずっとどこまでも人の波。飯を食べようと思ったら、どこもかも、行Photo_2 列している。並んで待つこと大嫌いな私は、ジッと我慢の子であった。単品一本やりの「伊勢うどん」に狙いをつけた。これでも相当待たされた。

店を出て、土産を買う番になった。赤福は相変わらず人気がある。食料関係で偽造した店は、行政的につぶすべきだと思っている。ところが家内が好きで、こいつを叱りつけると、ワシが潰される。それが怖い。

逃げるように伊勢を後にした。友人の車屋から、ETCを借りた。カードは息子が持ってきた。今日の高速料金は安く上がると、なんとなく得した気になった。ところがドッコイ、ガソリンの残量がどんどんエンドに近づいてくる。

アチャ~!高速に入る前に、給油してくるのを忘れたヮ。松阪で一旦降りて、給油して改めて高速に入る。なにやっているんだ、これでは安いはずのETCが何にもならない。しかもこれを貸してくれた友人に1000円の赤福を買ってきた。だからETC赤字である。

でもいちいち払わなくてもいい便利さはいい。しかも息子のカードだからなおさらいい。アハッ、いい家族旅行だったわ。宿が一番悪かったが。

今度は、一流のホテルを頼んで、家族を仰天させてやる。待ってろよ!

アッ!いい方法がある。息子の会社の保養所を使おう。ここは一流のホテルと契約しているから。勘定は息子もちで、ウフフ、これに決めた。

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2009年7月 5日 (日)

伊勢湾フェリーに乗船したら、霧だった

9時20分に出るフェリーに乗ろう。30分前に受付をすると、一番乗りだった。受付をして、出航まで時間があるので、近くの売店で土産を探していた。

息子が、神奈川から来ていたので、会社への土産は伊良湖で買うより、伊勢の方がいい。遠くからの土産という、余計なありがたみがあるからと買わせなかった。余計なことか。出発の15分前に車に戻るように場内アナウンスが流れた。

ちょうど先ほど入った船から、車が吐き出されてきた。皆前向きで降りてくる。はて?車がバックで入れるわけでないのにと思った。フェリーなんてはじめて乗るから、その辺がよく分からない。

いの一番に車を入れる。ここから乗船した車は、大型1台、乗用車20台ぐらいである。あっという間の乗船である。入って知ったが、出入り口は前後にあり、向こうに着いたら、船がバックして停船する仕組みだと知った。早々一番上甲板に出る。船尾に近い場所にイスがかろうじて並んでいる。

朝、浜をジョギングしていたときから、沖で霧笛がよく鳴っていた。今になって気がついたが、相当の霧が4_2 出てきた。隣に今しがた着いた船が霞んで見える。船内アナウンスで、霧のための出航が遅れるという。今朝はずいぶん冷え込んだから。船内の売店の売り子さんに聞くと、よく霧が出ますという。伊良湖湾の出入り口の防波堤が霞んでいる。船をつなぎ止めるロープの船員が、出入り口さえ見れれば出航できるという。

船は「知多丸」・2331トン・時速17.5ノット(1ノット=1,852km)・500名・バス11台。乗用車43台・バイク10台。これがこの船の仕様である。

30分遅れで出航。周りは霧の中。船内のマイクから誘導する声が流れる。「もう少し左へ」「了解」「そのまま」「了解」・・・。こんな大きな船が小さな円を描き反転する。スクリュウが横向きの付いているんではないかと思うほどだ。(事実は知らない)

この上甲板が、いざと言うときの集合場所であると記載がある。だが、排気ガスや船内のトイレや、室内の換気は全てこのあたりに集中していた。どうも息を3つめていないといけない場所らしい。

息子が携帯のGPSを持っていた。現在地の緯度経度、高度、時速、進行する方角が克明に出てくる。それによると、時速は19km~28kmぐらいであるという。鳥羽には出航が遅れた分、予定より遅れているが、航行時間は55分と正確であった。

伊勢湾の航行距離は21kmぐらいを、55分というから、マウンテンバイクでいつも走っている時速と大して変わらないことを知った。

霧で出航が遅れ、長い時間乗った割には、景色がまったく見られなかったのが残念である。

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2009年7月 4日 (土)

伊良湖岬の灯台はカギだらけ

家族旅行に伊良湖を選んだのは、5年ほど前まで、3度ほど行ったことがある民宿だからだ。

宿泊後、フェリーに乗るまでの時間を、恋路が浜を散策しようと思った。宿から1km足らずにこの浜がある。ここに大きな駐車場があり、もう売店が店を開いていた1

なんと大ハマグリが、1000円の値をつけていた。こういうところで食べたいのだが、なにせ今しがた朝食をとったばかりだ。(あとでフェリー乗り場に行くと、ハマグリは500円で売っていたぞ)

朝から駐車場に多くの人が集まっている。黄色いブルゾンを着ているから、たぶん海岸の清掃する地元の人だろうと見当を付けた。浜では投げ釣りをやっている。聞くとまだ小さいがキスが釣れていた。

細かい砂に足をとられながら、ハイキングコースに出る。ここから少し登り下りする、灯台が見えた。昭和4年の建てられたもので、交通の要所の伊勢湾の守りの灯台である。

近づくと、灯台の管理用の扉に、カギがしてある。これは当然だが。でもしかし、カギが何個も付けられていた。2_3

裏に回ると、金網に二人の名前を書いたカギがぎっしりと付けてある。もう絶対に二人は離れないぞというように。

ばか者が、錆びてカギが壊れて、ボロボロになる運命が二人にはまだ分かっていない。ワシはよう~分かるのだ。人生も末期になるとよく分かる。

まず半年も経たない内に、管理人が二人に仲を裂くだろうが。

帰り道、掃除をしている人らは、地元の商工会員と知った。一カ月ごとにやっているのか?というと、恥ずかしそうに、いいえと言う。う?では半年かと言うと、うつむいた。うへっ?まさか一年に一度???と言うと、ウンとうなずいて、早々に立ち去っていった。こんな観光地なら、旅館組合や飲食店組合などでもっと頻繁にしないと、すぐに汚れる。

でも余分なことか。

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2009年7月 3日 (金)

家族旅行に、伊良湖から伊勢をたどってきた

久しぶりに、家族で旅行をしてきた。

予定では、愛知県安城市のデンパークを見てから、蒲郡市内を徘徊してから、伊良湖に入る予定をしていた。だがしかし、デンパークに着いたのが、もう昼過ぎであった。このデンパークは、農協がやっている大きな植物公園である。

先月、クラブ旅行をしたときに、仲間がここに寄ったらしい。それがとてもよかったといっていたので、つい6 寄ってみる気になったのだが、遊具が多いから、子供連れならなんとなかっただろうが、大きな大人ではここでは所在がない。かえって疲れてしまった。友人がよかったといったのは、たぶん地ビールでも飲んでよかっただけだろう。だまされた。

時間が掛かってしまったので、いきなり伊良湖へ向かうことにした。田原町は畑から牛糞の臭いが立ち込める。5年も前にここを一宮から、伊良湖まで130km走った時に、イヤッというほど牛糞の臭いをかがされた。ここは酪農や畜産、養鶏が多いので、そこから吐き出される膨大な糞が畑にまかれている。

5時ごろやっと着いた、昔懐かしいMという民宿に着いた。なんとなく古びた感じが漂っている。中に入るととたんにその思いが募った。部屋に入ると、三人親子が川の字で寝るのがやっとの部屋で、小さなテレビと折りたたみのテーブル、壁や押入れにシミが浮き出し、障子の破れをかろうじて貼り付けた紙で隠していた。

廊下は雑然として、いたるところに、廃品回収のような、缶、生ごみ、燃えるごみなどと指示された張り紙の下にゴミ箱がおいてある。どうもここのお上は、宗教じみた標語をペタペタ貼り付けるのがお好きなようだ。部屋の中にも張り紙がしてあった。

風呂は、大風呂がメチを入れたばかりで使用不能、女子風呂は故障中、これだけ見たら、もう出て行きたくなった。しかも食事前に、ビールを何本飲むかと言う、そんなものなくなったら注文すると言うと、食事後すぐに清算して欲しいという。おい!どこに夕飯食べてすぐに清算する所がある?実に不愉快であった。ヒョトして、逃げられたことがあるのか聞いてみたら、朝とても忙しくて手が回らないという。夕食に清算できて朝できないはずがない。問い詰めると、朝私がとても弱くって・・という。

なんという、そこまで「ていたらく」になってしまったのか。ここもしばらくすると、店を閉めるんではないかな。

食事を早めに済ませる。食事内容は、昔からいいところであった。だが食べ終わったら何もすることがな 11 い、8時半にはもう寝てしまった。

翌日、伊良湖の浜をジョギングをした。これはなかなかよかったが、相変わらず、牛糞の新鮮な香りが漂っていた。

これから伊勢湾フェリーで伊勢に渡り、神宮を参拝するつもりだ。

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2009年6月12日 (金)

キヨスクの名古屋名物

先日ある同窓会が、名古屋であった。

Photo少し早めに名古屋に着いたので、コンコースをブラブラしていた。最初にキヨスクが気になった。ここは名古屋へ出張してきた人らが土産を買うところと知った。

外から来る人はどんな名古屋名物を買っていくのか気になった。そこで店の人の許可をもらって撮影させてもらった。

さて名古屋人が、これらを、どれだけ食べて知っているんだろうか、気になった。 Photo_2 Photo_4 Photo_5 Photo_6 Photo_7 Photo_11 Photo_12 Photo_13 Photo_14

左上から、「どて」「みそたま」「手羽先 山ちゃん」「手羽先せんべい」「八丁みそおでん」「ひと口みそカツ」「八丁味噌」「味噌煮込みうどん」「名古屋コーチンラーメン」

ウヘッ!「みそたま」なんてのがあったのか。これはトンチャン屋の赤味噌で煮込んだ「どて」鍋の中にある、タマゴそのままだ。色がまっ黒になるまで煮込んだものが好きだ。「手羽先山ちゃん」これ自身は食べたことはないが、ほかの手羽先はどこのスーパーでも手に入る。

「手羽先せんべい」って?聞いたのも初めてだ。調べると「名古屋コーチンから取っただしを生地に加え秘伝のタレで仕上げました。黒ゴマをトッピングした風味豊かな煎餅です」とある。あまりせんべいを食べないから、買う気はないが。

あと、「名古屋コーチンラーメン」、これも知らない。

オレって名古屋人でないみたい。名古屋にお見えに節は、ぜひJRの新幹線切符売り場近くのキヨスクへ寄ったてちょ。ワシも名古屋へ行ったら、名古屋の土産を買ってこようかなァ。

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2009年5月30日 (土)

合宿という名の飲み会

30~31日は、南知多の師崎で、「合宿という名の飲み会」がある。

ルールはいたって簡単。現地集合である。集合時間は、午後5時までに宿の着くこと。6時より宴会。遅れて来ても問答無用の宴会開始である。

勘定は女性は割安にする。それと運転手には、ガソリン代など日当を支給する。というよりは、乗せてもらう人が、運転手の1000円なりを支払う。

集まってくるものは、この一宮のランニング仲間たちである。

今回の宿は、師崎の先端から、北の小高い丘を見上げると、「ビラ・マリーン南知多」という、愛知県特別老人施設である。ここを民間の企業が借り受けて、経営している。実に設備がよくて、60歳以上なら料理で値段が違うが、7400円~10900円と格安である。

http://www.villa-marine.jp/

現地集合するには意味がある。7~8年前までは、私は一宮から約90kmをジョギングで行ったものだ。それが腰を痛めてから、昨年は自転車で、往復180km走っていった。今年は、河和から13km歩いていくことにした。翌日も内海14kmか奥田19kmあたりまで歩いてみたいと思っている。できればスケッチしながら、ゆっくりと歩いてみたい。

ほかの連中は、走るものはそれぞれ距離が違うが、2人、自転車が1人、歩くものは6人、単車が1人、車が10人の、計20人となった。

こんな旅行を、昔は下呂まで110km、伊良湖岬まで130km、知多の師崎まで90kmを24時間かけてジョギングで行っていた。軟弱になったものだ。これだけ運動して宴会をすると、1~2時間でみんな寝込んでしまう。酒が全身に潤うから、とてもよく効くのだ。

泊まる先は、安くって、雰囲気がよければ、布団なんかは、2人に一枚、枕なんていらない。仰山飲めればよろしいと言うやつばかり。

ランニングクラブのRCが、今や老人クラブのRCに変わりつつある。今夜が楽しみだ。

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2009年5月20日 (水)

能生のベニズワイガニを腹一杯食べてきた

先日直江津へ行って来た。

結婚したころは、毎年家内の在所へ行き、夏休みをしていた。当時は高速道路もなくて、夕方一宮を出て、北陸周りでただひたすら国道を走り、朝方にこの能生に着く。ここは昔国道沿いのがけ下に、軒を並べて20軒ほどのカニ屋さんがあった。

この駐車場で店が開くまで仮眠をしていた。店が開くと真っ直ぐに「海富丸」へ向かった。この店は家内の兄貴が釣り船として利用していて、仲がいいと聞いていた。だからカニを買うときは海富丸と決めていた。「新潟の矢澤の弟です」というだけで、とても親切にしていただいた。

昨年は電話で注文して取り寄せた。ベニズワイガニは漁期が3月か ら12月までと長く、茹で上げたものをすぐに食べられる。一匹1000円ぐらいから5000円ぐらいとお値打ちで、モサモサと食べられる。ズワイガニだと一匹で1万円近くするから、なかなかモサモサというわけには行かない。

今はがけ下ではなく、マリンドリーム道の駅と合体して、大きな駐車場がありPhoto、カニ屋が20件ぐらい軒を並べている。ここで面白い話を聞いた。店を1週間ごとに交代するという。店の場所だけで大きく売り上げが違うそうだ。それを均等にする意味での交代という。

店の前を歩いて行くと威勢のいい声で呼び込まれる。とにかく海富丸のオネーサンは元気がいい。

そのそばに、大きなテントが張ってあり、その下でカニが食べられるPhoto_2 ようになっている。さっそく2500円のものを取り、カニの分解を始める。「蟹」という字をよくごらん。「分解」の「解」に「虫」を付けているのは、まさに蟹だからである。

注文したカニにおまけがついた。それをモサモサ食べた。食べた後が厄介で、いつまでも生臭みが手に残る。帰りに買って帰り、また家でモサモサ食べた。なんという贅沢なんだろう。ゴミ袋に入れるときに、甲羅を外から見えるように並べた。(ウソ、家内に叱られた)

だまされたと思って、北陸自動車道を能生で降りて、少し北に行くと、海岸添いに、大きな風車が見える道の駅がある。カニ屋ばっかりが並んでいる。どの店で買っても味は同じだが、一度だまされたと思って、「海富丸」へ出向いてごらん。「独りしゃべり」に聞いたと言うと、おまけが付くかも知れないよ。付かなくても責任はとらんが、ぜいたくしたと思うから。

1 カニ屋の後ろには、魚屋が並んでいる。ここでイワガキ2 を1個500円で食べた。これもうまかった。店でそれぞれの工夫で干物を作って、並べている。つい手を出してしまう。http://kaitomimaru.sakura.ne.jp/

このホームページを見ても電話も書いていない。仕方がないので、私が書いてあげるからね。

〒949-1351 新潟県糸魚川市大字能生小泊2599 海富丸

  • 新井道の駅店   TEL   0255-72-7407
  • マリンドリーム店 TEL    025-566-2478

地方発送承ります。

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2009年5月18日 (月)

明智光秀は生き延びた

「時は今なり、敵は本能寺にあり」

明智光秀が本能寺へ、信長に謀反を起したときのことである。ところがこんな記述がある。

『元禄お畳奉行の日記』神坂次郎著の中に、明智光秀生存説がP180にその記載がある。

ーー「濃州斉藤村の斉藤寺の住持(=住職)、不立、去る頃、所追放のあひ、公儀へ訴訟有之に付、当地へ罷り越すという云々。斉藤寺の前住は明智光秀の弟也。光秀、山崎合戦にて死すること偽り也。後に斉藤村の百姓の躰に成り、子は荒福又五郎という。又五郎の子、今の住持也とい云々。信長及び太閤秀吉より光秀への書、ならびに吉光の太刀、貞宗の小脇差など、今に不立所持と云々」ーー

岐阜県山県市に、こんなホームページがある。

http://www.city.gifu-yamagata.lg.jp/sight/rekishi/06.html

明智光秀公の墓・行徳岩(ぎょうとくいわ)
光秀公は山崎の合戦で死んだのではなく、実は、そのとき死んだのは影武者であり、ひそかに郷里山県市中洞に落ち延びて荒深小五郎の名ですんでいた・・・そんな伝説が残るのが、ここ「桔梗塚」と呼ばれる明智光秀公の墓です。ここでは、今でも毎年供養祭が行われています。
また、近くの河原には、母が「たとえ三日でも天下をとる子を・・・」と祈ったとされる行徳岩もあります。

一宮から40kmほど北に当たる。一度自転車で出かけるのもいいな。

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2009年5月 5日 (火)

安近短な公園の人混み

今日は木曽川の堤防道路を走り、すいーとぴあ江南、江南緑地公園、一宮のツインアーチ138、起から美濃路をたどって一宮まで、41km走ってきた。今どきは風が気持ちがいい。マンテンバイクをギッチラこいできた。

どこの公園も満員で、良くぞ思いとどまってこの公園の来たと褒めてやりたいほどだ。木曽川の河川敷はいたるところでバーベキューをやってる家族がいる。

ツインアーチの下の野外ステージでは、一宮のブラスバンドの演奏が始まっていた。私は一宮図書館のいらなくなった本が無料で配布されていたので、なにかいい本はないか探したが、結局なのもなかった。

ゴールデンウイークと言うが、なにがゴールデンだ!高速道路を1000円にしたので、ゴチャゴチャに混んでしまった。知人が高山を夕方6時に出て、9時に家に帰ってきたといった。普通の倍の時間が掛かったらしい。

ワシにはどっちでもいいが。年金生活者で、尾張部をマンテンバイクで走りまくっている。金は掛からない運動徘徊老人だからだ(アハッ)。町の中はかえって空いているぞ。車道を走っていても車がいないから安心できる。

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2009年4月25日 (土)

曼陀羅寺の藤が奇麗になってきた

マウンテンバイクで、久しぶりに曼陀羅寺に行ってきた。道々に「ふじ祭り」の旗がよく目立つ。

寺が近くなると、空き地やわが家の庭を、この時だけの500円の臨時駐車場として呼び込みをしている。寺に入ると最低でも2時間は掛かるとして、一日三回~四回転、一台分のスペースで1500~2000円入る。これが10日間ほどやっているから、相当の臨時収入になる。近くの会社など社員の駐車場を解放して、社員に呼び込みをさせている。

これが終われば、みんなでパッと飲み会をするんだろうか。それとも、この不景気だから臨時収入にするんだろうか。他人事ながら気になる。

参道は屋台が並び、毎年同じところに同じ店が出ている。

一番最初に、仏殿の右側にある庫裏の入り口に行く。ここに、この境内で一本だけあるハナミズキを見に行く。これは私たちランニングクラブが「ジョギング仲間よ曼陀羅寺を目指せ」というイベントを平成2年から17年までやっていた。これはマラソン大会の逆モーシャンで、ゴール時間を午前7時として、各自がこの曼陀羅寺を目指して走って来る。長い人だと40km以上走って来る。そのあと、朝からここに持ち込んだビールを車座になって飲んだ。ここでたくさんの友だちができた。私が腰を壊して走れなくなったので、再開のメドが立ったない一時中止をしている。

001 平成5年に「ランナーの木」として記念植樹をした。こ003の寺の老師に頼んで地鎮祭までしてもらい、55人のランナーと植樹をした。その思い出の木である。恐らく寺の関係者でも、もうだれも知る人はいないだろう。でも毎年このハナミズキを見に行くことにしている。ハナミズキが見事に成長して、藤と競うように花を咲かせている。

藤はそれぞれ咲く時期が微妙に違うから、境内全て満開というわけにはいかないが、それでも見事なものだ。房の長いもの、まだツボミのもある。だから相当に長い時間、寺には人が絶えない。

田楽のいい匂いがたまらない。つい田楽とビールを頂き、藤の下に入り込む。一人だと何となく寂しいが、懐かしい「ジョギング仲間よ曼陀羅寺を目指せ」を思い出す。15年間で延べ400人以上ここに集まって来てくれた。ビールがうまい。

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2009年4月21日 (火)

婦人が立ち小便した時代があった

一宮郊外をマウンテンバイクで走っていると、田んぼの向こうの方で、オバーチャンが今どき珍しい立小便をしていた。この光景を見て、先日読んだ本のことを思い出した

最近よく読んでいるのは、『嬉遊笑覧』喜多村筠庭著である。これは江戸時代後期の風俗百科事典である。ここにこんな記述がでてきた。

ーー京都の婦人も、昔は立ちながら小便することはなかりし也。後世田舎風移りて、今のようになれるなり。蹲(うずくま)りてすること、今にては江戸のみにや。其の外は大かた立ちながらする。ーー

ところが調べていると、明治に入っても、堂々と行われたようである。これが下記のホームページから出てきた。http://www6.plala.or.jp/fynet/2book940toire-jyosei-tachi-syoben.htm#940002女のトイレ事件簿 

紀元前5世紀に古代エジプトを旅したギリシャの歴史家ヘドトスはこう記録している。「小便を女は立ってし、男はしゃがんでする」におどろいたという。ところが現代でもアフリカのカラハリ砂漠の部族は、同じ習慣らしい。『トイレで笑える雑学』プランニングOM編

用便後の始末である。尻拭きのことである。これにはこんなことが書いてある。

ーーー「瓶水(へいすい=かめのみず)を持ち、丸めた土(?)を厠の外に置き、これをとりて厠に入り、左手にてその土と水をもて洗う。また、籌片(ちゅうへん)を用いることもあり」といえり。ーーー

籌片は尻拭き竹べらと思えばいい。他には草木の葉、藁の屑、木箆(へら)、厠などでば竹べらを用いる。

丸めた土と水で、尻は泥だらけになってしまうがやァ。それ以外の説明がないから、ワシの読解力ではなんともならん。みんな想像してちょ。

竹べらはいい。これで抉(えぐ)るンである。そぎ取ると言った方がいいか。ニューギニアの一部の島では、葉っぱをちぎって、それで丸めてシュッと抉るんだそうだ。最近少しできるようになったが、時々失敗する。フキの葉はもしかして、「拭きの葉」なのかもしれない。何となく葉の表面がザラついているから、拭き取りやすそうな気がする。一度やってみるか。でもザラザラが尻に付いたら大変だぞ、という不安があるから、いまだに実行していない。

紙はいつごろ使ったかというと、これにはこんな記述がある。

ーーー草紙の「草」は糞汁をいえど、これを用いる紙は一種の麁(漉)紙(すきがみ)なるべし。江戸にてすきかえしの紙を落とし紙、また、草紙がみといえり。---

草紙と言えば、歌や文を書き込むために糸でとじあわさたものだが、これは本来糞紙に使っていた草紙を、鱗形屋の絵草子にこれを使ったことから、「草紙」の名が残ったという。本当は糞紙のことなんだ。

難儀しながら江戸時代の文章を解読するのは、朝方4時半ごろであるから、目が冴えてしまう。いい目覚ましだ。そこで一句、

抉る技 パッと決めて 快し  泉峰 (どうだ字面まで合わせた)

オイ!こんなのが出てきた。国立陸上競技場の地下の女子トイレに、立小便用の便器が備え付けてあるという。人のホームページより。

ーーーさて、東京オリンピックの開催された1964年に建設された東京国立競技場の陸上トラックの地下にあるトイレですが、男性用立ち小便器の隣にあるのが、世にも珍しい「女性用立ち小便器」です。

女性用立ち小便器

期間限定の『TOTOトイレ博物館』に展示されていた「女性用立ち小便器」(写真中央)。
使い方は、おしりを便器の方に向けて中腰になって使います。おしりを便器に触れさせないところがポイントです。
すぐに用を足せるようにという目的で設置したようです。
競技中に実際にこのトイレが使用されたことは過去に一度もありません。ーーー

ということは、みんな敬遠しているンだろうか。そのほうがかわいらしいがねェ。みんな堂々とやっていたら、幻滅してしまうからだ。

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2009年4月18日 (土)

「眼薬の木」ってなんだ?

Photo 先日妙興寺へ寄ったら、仏殿の前に「眼薬の木」が植樹されていた。

管理人がでてきて、「この木のことを調べて欲しい」と言うのである。

昨年4月から10月まで、仏殿がご開帳されるようになった。この中には鎌倉時代の仏像が入っており、盗難でもあってはいけないので、管理人を置いている。だがこの管理人はあまり勉強していないので、質問でもあろうものなら、慌ててしまう。そこで私によく聞きに来る。わしの言ったことを耳学問として、質問に答えているようである。私がよく、妙興寺に関して小冊子にも書いたことがあるから、この小冊子を案内の手助けになればと思い上げたことがあるからだ。これを読めば簡単な説明ならできる。管理人ももっと勉強すればいいのに。

総門が尾張徳川家の附家老成瀬隼人正太から頂いたもの、勅使門は妙興寺で一番古い鎌倉時代の建物、禅寺の建物の配置は総門から入ると勅使門、竜王池、山門、仏殿が左側によっているのが禅寺の建築様式ということ。山門がなぜ下が吹き抜けになっているか、満洲から孤児を300人連れ帰った河野宗寛の句碑、柳生の無刀取りの話、梵鐘がなぜ割れているかなど面白い話がたくさんあるのに。

この管理人に難しい質問でもしようものなら、叱られそうだ。揚げ句の果てに、隣接する「博物館や坊主に聞いて来い」と言い出す。(ヤレヤレである)

この管理人の目の前に「目薬の木」なんか植えられたから、当然質問されることは必定である。危険を感じた管理人が、私の顔を見るなり寄ってきて、私に「調べて」と言ってきたのである。私は気になるとすぐに調べる性質なので、パソコンで調べた。それが下記の通りである。

ーーーメグスリノキ(目薬の木)とは、四国、九州などに広く群生しているカエデ科の落葉樹。千里眼の木、長者の木、花楓など様々な名称で呼ばれている。メグスリノキ(目薬の木)は、その名の通り、江戸時代から点眼薬や洗眼薬など、現代の目薬の代わりにメグスリノキの樹皮を煎じて利用されてきた。メグスリノキ(目薬の木)の樹皮や幹、葉などには多くの薬効成分が含まれており、煎じ液には結膜炎をはじめとして、かすみ目や老眼、近視など、目の健康に効果があるとされてきた。また、メグスリノキ(目薬の木)は肝機能の向上にも効果があるという研究報告もあり、最近では肝臓の健康維持や動脈硬化の予防などとして健康食品にも多く登場している。特にお茶として飲むようなものが多い。その場合、目の健康維持には小枝や葉を乾燥させたものを、肝臓の健康維持には樹皮を使ったものを、動脈硬化予防には葉を煮出したものを飲むと良いとされる。---

ほう、これは私が欲しくなる木だ。最近老眼が進み、酒は進み、どうにも、目と肝臓関係のこの木を、丸ごと煎じて飲んだほうがいいようである。今度剪定する時には是非頂き、挿し木でもして育ててみようかと思う。

目に差してから、流れ落ちるのを口で受け止めれば、一挙両得ではないか。そっと削り取ろうものなら、罰が当たるかからなァ。

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2009年4月12日 (日)

妙心寺・650年大法要へ

早朝5時45分出発。5分前に行ったらもう最後で、家内と私はバラバラの席となった。こんなものグループ別に席取りしてあると思っていたからだ。うかつであった。

早い分だけ、高速道路は空いていて、土日が1000円になったので、もう少し混むかと思ってたので拍子抜けである。

まったくの計画通り、8時半に妙心寺へたどり着いた。今回は無相大師が開山され、亡くなられて650年になり、3月~4月にかけての法要である。参加費は、初回参拝者は、輪袈裟(首からかけるタスキ状なもの)の分だけ1000円高いという。ところが菩提寺が今回80人募集して80人の檀家の参加で、僧侶を入れると100人になったので、バスが満席であった。キャンセルが出てチョボチョボになる計算だったから余ってしまったという。だから1000円返金された。ありがたやァ。

駐車場には全国の妙心寺派から、バスでドンドン送ってくる。今日は信越地方と愛知西部が多かった。終わって帰るころには、バスが20台を越えていた。これが昼ごろである。そしてまだ入ってくるバスもあった。

今日は一番早い9時からの法要に参拝する。約一組が約1時間、今日一日で3回1500人の法要が営まれたという。私たちのグループは、ざっと数えると、300人と僧侶が40人ぐらいいる。それほどの法要である。勤行(ごんぎょう)聖典というお経の本を渡されて、参拝者も読経する。法堂(はっとう)がでかいので、読経の荘厳さが、心にドドッと迫る程ではなかった。

Photo_2  この法堂を支える屋台骨の何十本も林立する柱が、一抱え2mで、しかもこれは一本の樹を四等分したという。今から350年前、これを富士の裾野で切り出してからいかだに組んで、沿岸沿いを船で引いてきた。紀伊半島を回り、淀川を上り、陸上は一柱30頭ぐらいの牛に引かせて、運び込んだという。このスケールのでかさに驚いた。

350年以上前の何の機材もない時代で、良くぞこんなでかい建物ができたものだ。この周りには46の塔頭(たっちゅう=寺院)がある。あまりもの大きさに驚いた。

法要が終わって外に出ると、法堂の参道には、仏具を売る店、八橋など土産を売る店がドッと出ていた。商売熱心なことだ。

2 山門の基本的な作り、玉鳳院の扉に付いた応仁の乱の矢じりの跡。法堂の天井画の狩野派狩野探幽筆による竜の絵は、「八方にApr1201 らみ竜」という。この竜は、ワニの口、ナマズのヒゲ、シカの角、ウシの目、コイのウロコ、タカの爪という(これは単に画題にしたということなのか?)。350年前に日本にワニがいただろうか。これを8年かけて描かれたという。

普通の竜は、中国から伝わったもので、4本の足はトラ、ウシの耳、シカの角、ラクダの頭、ヘビの首と腹、コイのうろこ、タカの爪のはずだが。なんか気になる竜だ。もう少し調べる必要がありそうだ。

宗教心ない私は、そういうことを気にするばかりだ。

昼は退蔵院の精進料理を頂く。なかなか量が多く食べ応えがあっ7 た。中でも感心したのは、焼きおにぎりを朱塗りの急須に落とし、これを茶代わりにするという。飲んでみると、ほうじ茶のような香りが出ている。(オウ!なかなかやるじゃないか)

満腹状態で庭園や塔頭の寺を見て歩く。

さすが京都、外人の多いこと。日本を代表する街だからなァ。だが、ダラダラとした観光歩きはずいぶんと疲れるのもだ。

京都国立博物館では、特別展覧会「妙心寺」が開催されていた。この開山無相大師650年遠諱記念がコースに入っていた。国宝級なものが館内いっぱいに展示されていた。

帰りも土曜にもかかわらず、スイスイと夕方6時に予定通り帰られた。7時過ぎの交通状態は、もう渋滞が出ていた。旅は早く出て早く帰ることが一番か。

今日は一日、「妙心寺」で満腹状態である。

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2008年12月19日 (金)

柳生の無刀取りは、おにぎりから始まった

Photo_2 柳生無刀取り発祥の寺が妙興寺である。

普段法要とか講演・説教が行われる方丈(客殿)の南門の西に、「上泉伊勢守信綱修道跡」という小さな石碑が立っている。その案内には、柳生無刀取り発祥の碑である。

尾張柳生の本家の当主・柳生巌長(よしなが)氏の著『正伝新陰流』のよると、信綱が清洲から伊勢路への途中、妙興寺あたりにさしかかった時、村中が騒いでいる。村人にたずねると、乱心者が子供をさらい、妙興寺の納屋に立てこもっているという。信綱は寺から法衣を取り寄せ、頭も僧形にまるめて、握りめしを2つ手に持って、乱心者に呼びかけた。

「見ての通り、わしは僧りょだ。仏に仕える身は慈悲を第一とする。聞くところのよると、その子は昨夜から飯つぶ一つ口にしていない。この握りめしを食べさせてやってくれないか。乱心者が手をのばした。信綱はさらに呼びかけた。

「お前も一つ食べんか」

乱心者は抜き身を放して、もう一方の手を出そうとしたその瞬間、信綱は乱心者を取り押さえた。

信綱は弟子の宗巌に、無刀取りの技を完成させるように頼んだ。無刀取りとは、素手で敵に対し、剣を奪って敵を制することである。

宗巌がこの技を完成して、信綱から印可状を授かった。この宗巌がのちの石舟斎で、徳川家康に見いだされてから、忠勤にはげんだ。(テレビや映画では、幕府の裏側でいつも諸大名に隠密を送り、なりふり構わず、幕府を守るためならなんでも画策するという、後ろ暗い人物像がもっぱらだが)

のちの巌延の手記『兵庫由来記』には、信綱が妙興寺で乱心者を捕らえた話を、父祖(信綱・宗巌)伝承として記録している。信綱が妙興寺の庭にかがんで何気なく砂文字を書いていたら、突然乱心者に切り付けられた。とっさに刀のみねを両手で引きすえ、組み伏せたとある。

ずいぶん話が変わっている。兵法者としては、握りめしでごまかしたよりは、パッと素手で刀を受け止める方が、柳生家としてはハクが付く。どちらが本当なんだろうねェ。この分だと『兵庫由来記』が残っていくだろうなァ。

伊勢路にでるのに、妙興寺に寄るのは遠回りになる。そこを探ると、信綱は妙興寺に滞在して、禅の修業に励んでいる。剣禅一致の精神を会得するためだったらしい。(失礼しました。単なる物見遊山の寄り道かと思った)

そういえば、この山門の下で、時々居合の練習をしている人と、よく話し込む。ヒョットして、柳生さんなんだろうか。今度聞いてみよっと。

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2008年10月30日 (木)

国際郵便を追跡せよ

ブラジルに移民している姉から、パスポートを切らしてしまったので、再発行するには、日本の戸籍謄本がいるといってきた。

パスポートは有効期限は10年だから、意外と忘れやすいのだろう。持ったことがないワシは知らないが。

姉は日本国籍なので、日本の戸籍謄本がいる。こんなものは、大使館で代行して市町村から取り寄せないとできない人も出てくる。タマタマ日本に兄弟がいるからできる。だがこれでも相当に不自由する手続きがいる。

まず直系の親族が日本にいれば、代行して手続きができる。直系というのは、祖父→親→本人→子供→孫ということで、本人の兄弟はもう駄目だ。私は兄弟だから、戸籍謄本の取得するには、委任状がいるという。

そこで電話で、詳しく話して聞かせ、直筆の委任状と、本人確認用にパスポートのコピーを取り寄せた。

これを持って市役所に出掛けた。一通450円を3通取り寄せた。これを郵便局から書留で郵送することにした。郵便料金は300円と、かきどめ料金410円を支払、無事郵送した。

書留の控えに「国際郵便物受領証」が発行された。ここに「お問い合わせ番号「RR617●7●・・41JP」という番号が振ってある。これをパソコンで追いかけることができる。

  • 24日 10:30 ●支局 投函する
  • 24日 15:30  〃   発送
  • 24日 21:30 名古屋神宮支店 発送
  • 25日 6:45  東京国際支店 到着
  • 25日 21:05     〃    発送

ドンドン飛行機に近くなる。さてここから、海外の航空をどう経由して、どこまで追いかけられるのだろう。なにか郵便物と旅をしているような気になってきた。

念のために、ブラジルから来た国際郵便物の番号で検索してみたら、

  • ブラジルから成田までは不明
  • 21日 17:17 国際交換支店到着 成田国際空港支店 千葉
  • 21日 17:18 通関検査待ち         〃        〃
  • 21日 21:04 国際交換支店発送      〃        〃
  • 22日 15:10 名古屋神宮支店 発送
  • 22日 19:55 一宮支局到着
  • 23日       不在にため持ち帰り
  • 23日 20:13 お届け先にお届け済み

ブラジルから日本に入るまでの経過が不明である。ということは、日本国内は「日本の郵便事業株式会社」だから、この範囲で追跡できるが、国外は ブラジルの郵便事業だから追跡はできないのか?

今しばらく追跡をしてみよう。

今ブラジルは「日本移民百周年」のイベントが数々行われている。その一環として、記念切手が発行されている。

Photo 送られて来た書留には、2枚セットの切手シートで、左がブラジルの国土を背景に、第一回渡航した「笠戸丸」が波を蹴立てて航海している様子が書かれている。

右はブラジルと日本の国旗を橋渡しするように、折ツルが描かれている。

そのシートの背景には、盆おどりで太鼓をたたき踊る人と桜と移民した当時の人が描かれている。

盆踊りと桜、折ツルに、移民された人々の郷愁を感じる。

姉がこんなことを言った。今帰ってくると、もう帰りたくなるからなかなか来られないと。もう70歳を越えている。子供たちも巣立ちして、孫に囲まれて、自由な時間で、悠々自適な生活をしていると、ふと故郷をより強く感じるのかもしれないなァ。帰りたくないという言葉に、二度と日本の土を踏まないという決意で移民したが、こんなに、自由に行き来できる時代になり、家族同時にメール発信するということもできるし、いつでも電話ができる時代になった。、こんなことは思いもよらンかったであろう。だからよけいに、「帰りたくなくなる」という言葉に哀れさを感じる。

さて国際郵便はどうなったか。それが東京国際支店を出たまではいいが、そこから音信は途絶えた。どうもこの追跡は、国内までで、国外までは今開発中であるらしい。

いずれ、送った手紙と旅ができるのは、もう目の前に来ていることを知った。

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2008年10月 5日 (日)

紅葉は高級バスは避けることだ

そろそろ紅葉に知らせが来るころだ。

この近くでは、紅葉は養老あたりか、谷汲、足助まで出かけないと、いい紅葉は望めない。黄葉なら、祖父江町のイチョウが美しい。だが12月に入り、冷え込まないと見ごたえのある黄葉は見られない。屋台でギンナン食べながらビールもいいよ。

もう30年ほど前のことだ。勤めていた会社の社員旅行で、中禅寺湖へ紅葉を見に出かけたことがある。それも2泊3日という豪華な旅行であった。バスもそんじょそこらの湿気たバスではない。豪華なロイヤルサルーンというバスなんだ。今では当たり前にあるが、当時としては珍しかった。

後ろの席はシャンデリアがぶら下がっていて、コの字型にイスが設置され、真ん中にテーブルが設置されている。

各イスは360度回転して、足元はジュウタンのようなフカフカな敷物である。高速道路のパーキングに着くや、周りがのぞきに来るほどのバスだった。

いよいよ中禅寺湖に着いた。前面の紅葉が見事に広がっている。ところがこの高級バスの欠点が、ここに来て露見した。

このバスの運転席以外は全部、色ガラスであった。それがどうしたと言われるかもしれないが、せっかく紅葉を見に来て、色がくすんでしまった。紅葉を一度サングラスを通して見てごらん、どう見えるか分かるはずだ。

だからみんな、運転席に集中した。

ここで観光会社側に文句を言いたくなった。事実、旅行後に文句を言った。予算から観光会社が豪華バスを用意したんだろうが、紅葉を見るという条件が一気に崩れた。

紅葉でお出かけのせつは、くれぐれも豪華バスは避けるように御注進申し上げます。

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2008年9月17日 (水)

橋の名前 「バシ」と「はし」

以前から気になっていた。一宮の大江川を見ると、全部の橋の名前が、「ばし」でなく、「はし」とついている。同じような疑問を感じた人が、こんな質問をした。その回答が、下記である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「名詞+名詞」で、一語の名詞になる、ということを濁音化が示しているのではないでしょうか。つまり、二つの名詞と解釈されるのを防ぐための濁音化。(日本橋・豊橋(橋)・青空橋・旭川(川)・江戸川・淀川など)
「形容詞(的語)+名詞」であれば、修飾―被修飾の関係から明らかに一語だとわかるので、手は加えない。(高橋・大橋・浮き橋・早川・荒川・大川など/例外:小川など)
「名詞+名詞」でも、ice creamのように意味上は形容詞+名詞になっている場合は、手は加えない。(唐橋など/例外:石橋・土橋(どばし)・かずら橋・どぶ川など)
「名詞+の+名詞」であれば、「の」が連体修飾の意味を表すため、同様に手は加えない。(虹の橋など)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

文法的な回答である。

こういう回答を求めたのではないと思うよ。このことを尾張の郷土史家のマイタウンさんに聞いた。

即座に「川が濁ると橋が流される。それを嫌って、橋の名前を濁らせないようにした」という。非常に納得できる回答だ。

だが、この人と歴史散策すると、まるでそのころの人に会ってきたような話方をする。そしてニコニコしているから、ウソこいているんではないかと思いたくなることがある。

001002 003 004 005 006 007 008 009 010 012 013 017 019 020

こんな風に自分の回りの橋の名前を見て御覧なさい。こだわっている川と意外や「ばし」を連発しているところもある。だから単なる地方の風習かもしれないが。

左上から右へ

   浜橋、神明渡橋、天道橋、日吉橋、花祇橋、

   須ヶ崎橋、花丘橋、花田橋、石野橋、大正橋

   向山橋、町屋橋、朝日橋、南石野橋、川田橋

どうですか。「ばし」といいたくなる綴りもあるでしょ?濁っていないんですよ。

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2008年9月 1日 (月)

つまみ食いウォーキング

昼からウォーキングに出かける。通り掛りにユニーへ入る。食品売り場に入りこみ、涼みながら店内をウォーキングする。

所々で食品の試食がある。揚げ物屋では小魚やさつま揚げなどを細かくして爪楊枝で食べさせてくれる。イヤジャといっても目の前に突き出される。仕方なしに手を出す。ウインナーのコーナーでは、これも手を出す前に、爪楊枝が目に前に出てくる。

うれしいなァ、何もしないのに食べさせてくれる。では今度は刺身コーナーへ。ないがねェ、刺身がないがねェ。ショボクレて地方物産展へ行くと、なんと塩辛や、さつま揚げも出ているじゃないか。だれも爪楊枝を出さないので、自分で食べた。

いい気分で「ごちそうさま」といって、ユニーを出る。

後ろめたさはない。4kmほど歩いて行くと、最近できた「もち吉」という店が気になった。今日はどういう訳か、物おじしない日である。店に入って、「すみません、少しお店を見せてください」と言いながら、試食のせんべい類をかじる。

一度ここの餅を買うのもいいなァ。

お世辞に聞こえるが、「最近よく見かけるが、どのくらい店舗があるんですか」というと、全国展開していて、162店舗という。驚いた。

ホームページで「もち吉」を調べると、「もち吉」の「吉」は、社長の森田長吉から来ている。おそらく代々「吉」を世襲しているんだろう。売り上げが165億円、従業員1464人、店舗数181店舗、創業昭和4年という。おそれいいりました。

友人にこの話をすると、こういう店が出てくると、地方色がなくなるという。でもつい10年ほど前に「日東あられ」が全国制覇して、全国どこの土産のあられも、90%が日東あられだった。

以前、日帰りで岐阜の羽島の「カンポの湯」へ家内と行って、「ほたて浜煮」を買った。いつも友人に土産をもらうから、友人用にもう一個買った。

友人宅へ土産を届けた。友人も浜名湖へ行って来たという。そこでみやげを買ったというので、なんと土産の交換になった。ところが問題が起きた。浜名湖もカンポの湯のみやげも同じ「ほたて浜煮」で、包装がそれぞれ浜松であったりカンポであったりと、販売元の名前が違うだけだった。

家に帰ると近所の友人が、伊勢の「あさりやわ煮」と「真珠漬」の土産を持ってきた。うれしくなり浜名湖もカンポも伊勢も全部開封して驚いた。001

開封すると、同じ寸法の包装で、中の風袋には同じ文句が書いてある。「御食け国=(みつけくに)の珍味・四季折々の風味 豊かな味わいそのままに」であった。これはおそらく同じ「真珠漬本舗」のものだとことが分かる。

「あられ」も「やわ煮」も「真珠漬」も全国制覇されている。だから何を買っていいのやら。以外や地元のスーパーの食品売り場で、その地方の日常食品を求めたほうが、土産にいいかも。

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2008年7月 4日 (金)

本当のカラオケタクシーさんからのコメント

先日「居酒屋タクシー」のことを、「オレは二種免許でカラオケタクシーを国会前でするぞ」

https://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=52473993&blog_id=116845

とブログで書いたら、本物の世界一を自負する博多のカラオケタクシーさんからコメントが入った。

そこで、物怖じしないオジさんは、根掘り葉掘り質問してみた。この4 利用者はどんな人で、どこから乗って、カラオケ途中で自宅に着いたらどうするの、拍手機能はあるかなど、しつこく聞いたら、なんとこんなご返事を頂いた。カラオケタクシーさんありがとう御座いました。あなたのメールをブログにお借りします。

  • 博多の場合歓楽街は中州ですが、
  • 私はカラオケを積んでいる関係上、営業時間は夕方から深夜までとしています。でもたまには朝になることも
  • だいたいのお客様は飲み屋から自宅に帰るまでの間。でも中洲に行く時、唄の練習をする方もいらっしゃいます。
  • ほとんどの方は音の良さとマイクのエコーがすばらしいと感激されます。なにしろ世界初、業務用カラオケ搭載、JASRAC承認カラオケタクシー2万3千曲ありますから、しかも無料サービスですよ。
  • もう一回りしてくださいとか、なるべく信号で止まるように走ってくださいとか、急がないからゆっくり走ってとか言われます。
  • 自宅に到着しても最後まで歌わしてくれと降りない方もありました。
  • 1998年には日本経済新聞に掲載され、TVでも紹介されましPhoto た。
  • 今ではほとんどお得意さんですね。携帯で動いています。自宅はナビに登録しているので乗りすぎる事はありませんが遠方の場合寝てしまわれてもマイクで(私の)起こすことができます。
  • それから気になっている拍手ですが!ご心配なくちゃんとあります。別のステレオデッキに拍手だけのCDが入っていましてボタン一つでOKです。
  • 以前歌い終わると点数がでる装置も積んでいましたが、点数が悪いとタクシー代を払わないぞと言ったお客様がいて、気分を悪くされたらいけないのでやめました。何でも聞いてください。タクシー暦33年です。

ギャハ~ッ!これなんですよ。驚いたのなんのって。どうせするなら、なんでも一番をねらわにゃ。

ヤイ居酒屋タクシーよ、少しは見習ったらどうか。金品を渡すセコイことするより、もっとゆっくり走ってというお客さん。タクシー代が高くなること承知しているところが、うれしいではないか。

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2008年6月27日 (金)

リックを背負ったマウンテンバイカー

今日は旅行予定表を参加者に配達しながら走った。ついでに『小冊子・小さな足跡』も配達した。

この『小さな足跡』は、私が所属している季刊誌で、愛知トヨタ系列の仲間で作っている。もう5年、21号になる。よく続いている。これに予定表を挟んで配達してきた。

私たちの旅行は、現地集合で、私が腰を痛める前は、一宮からマラソンで行ける距離を選んでいた。おおよそ100kmぐらい離れた所を選んでいた。

下呂110km。伊良湖岬130km。知多半島の先90kmである。

これぐらいなら、土曜日の午後5時の集合をかければ、走って行けるし、できない人でも途中から走ったり歩いたりして現地入りして、宴会の突入したものだ。

手術後腰の具合も良くなり、今回は雨が降らないかぎり、マウンテンバイクで往復180km、知多半島一周を狙っている。

もう一つ、三河湾一周もしてみたい。師崎で宿泊して、翌日は渥美半島へ連絡船で渡り、豊橋、名古屋経由で220km走ってみたい。これは来年の楽しみに残しておくことにしよう。

今年は、参加者16名中、車で6名、河和から13km雨天決行で歩くものが5名、マウンテンバイク等で3名、マラソン2名となった。マウンテンバイクは雨になったら、歩くほうに参加するという条件付である。とにかくそれぞれが道中を違った方法で楽しんで、汗をかいて現地入りする。そして宴会に突入するのだ。

今年は、師崎の「ビラ・マリーン南知多」という、60歳以上は、料理によって値段が少し変わるが、潮騒7400円、黒潮8400円、漁火9400円、大漁10900円という格安さ。また設備がきれいな、特別老人保養施設だ。

わがランニングクラブ(RC)は、今や老人クラブのRCに成り果てたのだ。

今日は小冊子と予定表を配達するからリックを背負ってきた。Hさん家に寄ると、おみやげに家庭菜園で取れたナスやキュウリ、漬物を頂いた。もう一件N君は準農家で、大地主。ここでもナスやキュウリを頂いて、リックはパンパンに膨らんだ。

こうなると、いつもリックを自転車のどこかに保管しておかないとイカンねェ。物が高くなるのでいつも心掛けていないと。

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東尋坊のサザエのつぼ焼きを食べ損ねる

五箇山で宿泊して、304号線で金沢へ入る。兼六公園に寄って、金沢から高速を使って、加賀で降りた。地図は高速道路でもらった「北陸自動車道」55万分の一である。昨日からこれ一枚。10万分の一を持つと、余計に分りづらく、ページを絶えずめくる羽目になる。地理が分かる人が側にいれば、そいつにめくらせればいいが、今日は地理音痴ばかり。

家内は新潟生まれ。この愛知県に嫁に来たとき、「へっ?ここの北はこんな方向ですか。新潟ではコッチでしたが」という始末。(これは単なる方向音痴ではなく、アホに近い)

お袋がブラジルの娘に会いに行った。ブラジルは南半球で、陽の昇る方向が北に出る。これで完全に狂ってしまったといった。約一カ月ブラジルにいて、こちらに帰ってきてからが大変で、時差ぼけと方向感覚が狂ってしまった。

太平洋側は海から陽が登るが、日本海は山から登る。でも、ワシは何にも感じんがなァ。ワシが変かや?

私が妹婦婦を尋ねて九州へ行った時でも、地図も見なくて、ほとんど感で運転して、渋滞をくぐり抜けた。それを地元に住んでいる妹婦婦が驚いていた。天気がよくて方向が分れば、何とかなるものさ。渋滞をくぐり抜けるのは、地元の車に付いていくが一番。(これ極意)

ところが今回は厄介だった。標識に従って入ると、その先にいくつもの交差点がある。それも十字路やT字路があるが、東尋坊への指示が出ない。これには参った。でも海の方角が分っているから、迷うことはなかった。

バッチシ東尋坊に出た。ここには何度も来たが、最近高いところが怖くなった。高度恐怖症ではないが、怖さを感じるようになった。先日高度恐怖症で、つり橋が渡れない人を、10分で渡れる方法をやっていた。これはその場でジッと立って下を見ているだけで、慣れが出てくるから、高度の恐怖心が消えるという。

帰り際、売店の前を通るときに、いい匂いに悩まされた。食べたい、「サザエのつぼ焼き」「イカ焼」「ホタテ焼」がごろごろしている。備長炭の上でごろごろしている。タベタ~イ!これだけは、じっとしていても慣れは出てこない。

この気持ちは、いつも悔やむのよ。会社勤めのころ、ここへ社員旅Photo行に来たときだ。バスが出るというので慌ててこのこの売店を通り過ぎた。いいイカ焼きの匂いが、今も鼻の中の記憶に残っている。中学校の時、伊勢に修学旅行に行ったときだ。金がなくてね、サザエのつぼ焼きが食べられなかったという、深層心理が今も左右しているのかもしれない。

今回は意識的に、食べると眠くなる。これから約200km以上運転しなけれがならないからだ。だから思い切り匂いをかいできた。

旅から帰ると、なんとイカ釣り船がいっせい休業だと?

食べ損ねたわ~っ。グヤジ~イヨ~ッ。

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2008年6月23日 (月)

65歳になると、兼六園は入場料金がただだった

兼六園に行ってきた。金沢は案内表示が全く悪い。しかも駐車場はこの公園にはないのである。下調べもしなかったワシが悪いが。今頃ナビも持たないなんてというかもしれないが、大体方向が分ればナビ以上だと自負している。

やっと見つけた(偶然じゃが)駐車場で、公園の入り口を聞いたら、ここが一番近いという。ワシのナビもたいしたものだ。

入り口で入場料金を大人300円支払う。受付嬢がワシの顔を見て歳を聞くから、「男性の歳を聞くなんて失礼な」というと、「65歳以上はただです」という。

すかさず「65歳65歳」を連発した。疑い深く、

「何年生まれですか」

「17年」

「なったばかりですね」

「7月がくりゃ66歳だわ」といって、「顔を見りゃ歳相応でしょ」

「いいえ、若く見えるます」

普段なら喜ばしいが、今日はいけません。「いや歳歳」と65歳にこだわった。

「何か証明になる免許証などありますか?」

「いや、持っていない」

というと、隣の息子が、

「ヘッ?今まで無免許で乗ってきたの」

「い~やッ、無くすと困るから、車のシートの下に入れっぱなしになっている」

私は年間3000kmしか乗らないドライバー。ましてや他人の車には全く乗らない。

ということで、300円が無料になった。こうなると、いつも免許証を持ち歩いていたほうがいいのかもしれない。免許を無くすと再発行が面倒だから、一宮市発行の「シルバー優待カード」(写真付き)なるものをさっそく身分証明者代りに持ち歩くようにした。このカードはPhoto

  1. 一宮市博物館(無料)
  2. 一宮市三岸節子記念美術館(無料)
  3. ツインアーチ138(半額)
  4. 名古屋港ポートビル(無料)
  5. 南極観測船ふじ(無料)
  6. 名古屋港水族館(半額)

という、地域限定型のもの。それと、相当広範囲に徘徊しているから、職務質問に遭うかもしれないので、その時の身分証明代わりにもなるかもしれない。

アハッ、そうだ!緊急連絡先もキチンと書いてあるから、行き倒れ防止策のもなるかも。

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2008年6月22日 (日)

雨の歩けば♪

Just Walkin' In The Rain http://www.fukuchan.ac/music/popular/walkinintherain.html

雨に歩けば♪などと歌いつつ、傘をさした。真清田神社に来ると、カ004_2 ラスが山門で雨宿りしている。近づくとスキップして逃げる。飛び上がるんではない。スキップである。私の顔を見ながら、横っ飛びスキップである。

よく見ると、羽がグッショリと濡れている。濡れていて飛び上がれないのと分かると、面白くてね、追い回していた。何とかカメラに収めようとするがいち早く逃げられる。ハトは濡れていない。撥水効果があるが、普段の生活態度が悪いから、十分な供えがないんだろう。バカめ!

本町のアーケードはこれから店を開けるところが多く、アッチコッチで006 シャッターの上がる音が聞こえる。電気屋の前を通ると、なんとニクロム線の電気コンロが売られていた。思わず写真を撮った。女将さんが出てきて、これが結構売れているという。ガスと電気とどちらが安いんだろう。テーブルでの煮炊きには便利という。

アーケードを潜り抜けると、傘を差そうか閉じようか迷うような雨が降っている。しばらく傘を閉じて歩いたら、ジワッと体が濡れてくる。厄介な雨だ。

雨に歩けば♪などと歌おうと思うが、後が続かないので、ルルルルでつないだ。下は半ズボン、上着は半そでにマラソン大会でもらったウインドブレーカーの袖もちぎったもの。ジョギングシューズでは濡れが早いから、ウォーキングシューズを履いてきた。これなら多少の水溜りでも気にならない。

ぴちぴちじゃぶじゃぶランランラン♪を頭に中で歌った。

傘は安物のビニールの傘。風が強ければ骨だけになる代物だ。

市内を突き切って妙興寺に入る。実は昨日、中日新聞に妙興寺仏殿開放のニュースが出た。このことは私のブログでも紹介したが、ここの仏殿の中の天井画は、油絵では日本一大きい。これと中日ドラゴンズをかけて、ドラゴンズファンが、「日本一」の祈願に参拝に来たらどうかと書いた。

もう一つ、中日新聞社一宮総局にも同じ「仏殿開放」を知らせた。それを仏殿管理人に話したおいた。私のせいかどうかは知らないが、先日立ち寄ったら、仏殿の管理人が、今日新聞社が来たと喜んで話しかけてきた。

翌日尾張版に大きく報道された。

雨の中を境内に入ると、もう参拝者らしい人に出会った。もしや効果が出てきたか。そうすると管理人が私を見つけて、「驚いた。新聞が出たとたんに、70人来てくださった」と喜んでいた。

せっかく解放しても参拝者が少ないと、張り合いがないからなァ。今日この雨の中、1時間半でもう10人を越えているという。さすが中日新聞。

仏殿の中では、手を合わせる人が見える。できれば、案内板を立てて、目で案内することも必要かも。天井画の竜が、まさに目を入れる「画竜点睛」のその瞬間に、ウオ~ッと唸った話。油絵では日本一だというようなこと。

河野宗寛さんの歌碑の説明など、参拝者も案内書にない面白い話を知りたいと思う。(妙興寺、寺外報道員・独りしゃべりより)

ワシを雇うかい。でもだめだぞ、ジッとしていないから。2日に一度は来ているから、その時偶然に出会った人には説明してあげるがね。その人は運がいい。

今日は自転車でも車でもないから、コンビニでビールを手に入れる。店の前のイスに座り込み、ふとコンビニとは何の略か。コンビニエンスのことだということを思い出した。実は先日これを調べていて、「便利さ、重宝さ、都合、好都合、便宜、便益、安楽など」が出てくる。だがしかし、「公衆便所」が出てきたのには驚いた。

なるほど、店の看板には「トイレ」のマークを出しているところもある。私はね、ずいぶん近くなったから、出ても出なくても一応使わせてもらう。犬の匂い付けか?

歩くようになったら、トイレまでの時間が掛かるからだ。コンビニさんありがとうと、感謝している。あとガソリンスタンドも捨てがたい存在だ。

途中オープンしたばかりのラーメン屋に入り、ビールギョウザセットとラーメンを頼んだ。小雨だが結構濡れてしまった。

雨に歩いて、8,5km2時間であった。

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思い出のさくら道270kmウルトラマラソンの地を尋ねて、家族旅行

一宮をスタートして、北陸自動車道に乗る。郡上で降りて、郡上市内に入る。さくら道270kmウルトラマラソンの時は、名古屋を7時にスタートして、私がここにたどり着くころはもう23時ごろである。16時間掛かってたどり着いたが、車ではわずか1時間である。ありがたみに欠けるし、家族に苦労話を説明しても、説得力に欠ける。

ここで「喫茶チロル」の村井さんに会うためだ。さくら道270kmウルトラマラソンの郡上の美人エイドステーションをやって頂いた縁で、何度かチロルを訪れた。美人ママさんでねェ、しかもこの町の若手のリーダー格である。また世話焼きで、嫁の世話までするというから、息子の顔見世に行った。ワシも頼まにゃいなんからさァ。

顔を見るなり「ヒャ~独りしゃべりさんだ」と奇声を上げた。向かいに座るお客さんに、さくら道270kmウルトラマラソンの事情を説明し始めた。皆ここの人はこのウルトラマラソンのことをよく知っている。話はマラソンで盛り上がった。この後、この町のどこが見所かを聞くと、お客さんが、てんでに、あそこがいいとかここがいいとか話しかける。市内を散策してウナギを食べた。お勧めの城には家内が及び腰なので行かなかった。

郡上から156号を8kmほど北に行くと、大和町に「母情」が銘柄の平野醸造がある。この女将さんには、4月に岐阜市内で行われた「酒蔵の集い」で会ったばかりだ。このとき、五箇山に行くといったらぜひ家に寄れという。お言葉に甘えて店に寄ると、待ち構えていたかのように、迎えに来てくださった。

この女将さんは、郡上の女性全体のリーダーである。いま観光協会の理事でなかったかなァ。さくら道270kmウルトラマラソンとは関係はないが、「酒蔵の集い」で気が合いお付き合いをしている。とにかくここの女性は元気がいいし、美人が多い。今度嫁をもらうなら、絶対にここ郡上からもらいたい。誰がって?ワシじゃがやァ。仕方がないので、息子の嫁をチロルのママに頼んできたが。

女将は、冷蔵庫から冷えた酒をドンドン持ってきて、「運転は息子がPhoto するんだろう」と一方的に決めつけて、私に飲めという。家内とドンドン飲んだ。おチョコでは小さいので、ぐいのみで飲んだ。これから泊る五箇山の民宿に土産の酒を買った。もちろん自分の分も買った。

平野醸造が「鈍足ランナーの独りしゃべり」と知り合いだというので、ワシの名前を使ってランナーがずいぶん出入するらしい。輪が広がっていて、いいことだ。女将さんもいやな顔一つしないで迎えてくれるという。

いい酒を飲んだのに、息子の運転が怖くって、酔いが覚めてしまった。

懐かしい156号線を蛭ケ野に上り詰めると、分水嶺がある。ミズバショウは遅かったが、ここを散策して、500m先の「てぬきうどん」をやっていた売店の駐車場にでた。ここで多くのランナーにうどんを食べさせた思い出の地である。ドラム缶で火を焚いたせいで、アスファルトが溶けて、今でもケロイドのように丸い後を残していた。てぬきうどんの痕跡である。

平成13年、ここの売店の裏に住むという、福手豊丸翁に出会った。そして自叙伝『ひるがの』を頂いた。そこには昭和の始めにここに開拓団として入植して、今の蛭ケ野にした苦労話が書いてある。これに感動した私は、私の書いたエッセイ集『鈍足ランナーの独りしゃべり』を贈った。

ご存じない方が多いが、明治時代の末期のころ、この峠に郵便物交換所として一軒だけ中屋さんが住まってみえた。昭和17年に福手さんは移住され、この蛭ケ野を開拓して、今のようなスキー場やリゾート地にされた。本を頂いたときから、この人に会いたいと思いつめていた。やっとその機会ができた。

この福手さんのことを書いたエッセイがありますので、気になる方は、少し長いが読んで見て下さい。「14.doc」をダウンロード

ご老人は畑をやって見えた。耳が遠いから、孫娘さんの通訳でさくら道 270kmウルトラマラソンの話や、名古屋金沢を走るバスの運転手で、この名金線(156号)を桜のトンネルのしようと植樹し続けた佐藤良二さんに、随分桜の苗木の世話をされたという裏話を聞いた。腰がシャンとして、93歳とはとても思えなかった。

「アンタらがまだ走っているから、ワシもがんばらにゃ」と、93歳が笑っ93_2た。息子がこの気迫にのけぞっていた。いい出会いであった。記念写真を撮って、「また来ますので、いつまでもお元気で」「あんたもなァ」といって別れた。手を握ると、ガシッとした手ごたえは、長年ここを開拓した力強い手だった。この人にとってこの蛭ケ野は、自分の庭なんだろうなァ。開かれた蛭ケ野を眺めながら、ふとそう思った。

とっても新鮮な出会いであった。うれしかった。蛭ケ野の主に会えて感動した。

いまは「さくら道ネイチャーラン」が行われているが、この福手さんを忘れてはいかんぞ。佐藤良二さんの影の支援者ということが分かったからだ。この街道の桜の何割かは、この福手さんの支援になるものであったからだ。

荘川桜を改めに見ると、実に大きい。良くぞ育ったものだ。私のさくら道270kmウルトラマラソンのゴール154.7km地点である。

御母布ダムまで、いくつものトンネルが続く。今日は金曜日なので、車は仕事の車が多い。片側一車線で、対向車には大きなトラックがすれすれに突っ込んでくる。息子もビビッたが、乗せてもらっている私も縮んだ。

白川を過ぎると、下梨から急坂を登ると「相倉合掌造り集落」の大きな看板が出る。これ過ぎてしまうと、五箇山トンネルの3kmもする長いトンネルに入ってしまう。

五箇山で民宿をされてみえる友人の母親の在所「勇助」と従兄弟の「与茂四郎」さんを宿泊先として紹介してもらった。特に今日泊る「与茂四郎」さんは、「さくら道ネイチャーラン」のときに、障害者の宿泊の世話をして下さったという。奇遇というんだろうか、偶然にしては1出来過ぎている。

夕ご飯のときに、同宿の人も交えて、与茂四郎の奥さんに「ささら」や「こきりこ」の使い方を教えてもらいながら、静かな合掌造りの夜を迎えた。暗くなれば寝るしかない夜長を満喫した。

Photo_2 あまりにも早い就寝に、朝早く目が覚めた。起きて誰もいない村内を散策す4る。朝もやが少しかかっている。朝日が朝もやを押しのけながら上がってくる。

撮影ポイントが、すこし小高いところにあるというから、案内板に従った。なるほど村内が一望できる。すでに望遠カメラを構えている人がいた。この早朝に福井から来たという。もう少し待つと、陽が出る。そうするとカヤブキの屋根が光るという。

犬を連れた勇助の親父さんが登ってきた。朝この運動が体にいいという。山育ちが変なことを言うと思ったら、少し前まで町でカメラマンをして2いたという。この勇助がここで初めて民宿を手がけたという。このオヤジさんで2代目だという。民宿が8軒ある中で、ウチだけが本業でやっていて、後は兼業だという。昔修学旅行生200人を総出で泊めたことがあるという。いろんな話を聞かせてもらった。ニホンカモシカやイノシシが飛び出してくる。そうすると人懐っこいゴールデン・レトリバーが喜んで追いかけるという。ちょうどこのあたりによく出る、と山道を指差す。

朝食後に近くの資料館を見に行く。「夕べ、みやげの酒をありがという」と、勇助の奥さんが、資料館にいる私に、赤カブラやウドなどの漬物を届けてくださった。小さな村だ、本日この集落の宿泊者10人と分っているから、どこにいるか直ぐに知れる。なにか、みやげを強要したようで恐縮した。しかも与茂四郎からも、五箇山の一つ利賀村清流素麺と黒部の氷筍水も頂いてしまった。済みませんといいつつうれしかった。この心根が私の心を暖かくしてくれた。

昨日といい今日といい、ずいぶん心が洗われた。

みんなに別れを告げて、156号を金沢に向かった。道がアチコチ広くなり、昔の道がたどれなかった。東海北陸自動車道がこの7月に開通すると、観光客の流れが変わるだろうなァ。

さくら道270kmウルトラマラソンのゴール地点の金沢に入る。兼六公園、東尋坊をのぞいて、思い出の旅は終わった。後口のいいお茶を飲んだようで、さわやかな気分が体を包んでいる。

これから少しの間、この感触を味わえそうである。

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2008年6月16日 (月)

五箇山の墓

6月13日、富山県南砥市の五箇山へ家族旅行をしてきた。合掌造りで、素朴な民泊をしてきた。

友人Yの母親の在所が「勇助」という民宿をこの集落で最初に開業した。その従兄弟が「与茂四郎」という民宿もしているというから、ぜひ世界遺産の中に泊ってみたくなった。世界遺産だぞ~っ。

「勇助」に最初頼んだが、ご不幸があって、喪中は休業されるという2 ので、急きょ従兄弟の「与茂四郎」へ変更してくださった。

相倉は行き止まりで、車は入り口で止められてしまう。江戸時代には、赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となった。五箇山は、前田加賀藩の秘密の場所であり、地図には載っていない場所であった。

加賀藩は密かにここで火薬を作っていたところで、流刑の地ともいわれる僻地である。山に囲まれたこじんまりとした集落で、いまここには20棟あまりの合掌造りが現存する。今から約100年~200年のものが多く、古いものは400年前に建造されたといわれる。

家の大黒柱は、わが家の6倍ぐらいあった。黒光りした大黒柱に圧倒された。

散歩の途中、集落の墓に出合ったので、好奇心からのぞいてみると、普通は「山田家の墓」「伊藤家累代の墓」と書かれているが、ここのは通称名で書いてある。例えば「(仮)三五郎家の墓」「(仮)左平治家の墓」と書いて、脇には「(仮)伊藤権兵」とか、「(仮)加藤次郎左衛門」と実名が書いてある。

これを与茂四郎の奥さん(この人がナカナカ愛嬌があって、なつきのいい奥さんである)に聞くと、ほとんど通称名で日常済ませているから、子供が向かいの人の苗字を知らないと笑った。「与茂四郎んちの興ちゃんがねェ、先生に叱られて廊下に立たされた」という会話で通じる。そうすると「勇助んちの志賀ちゃんがよう、今日学校でちびったぞ」ということになる。

ついでに言うが、この奥さんは、九州出身で、ここに泊ったのが、縁という。なつきのいい人である。しっかりこの地に根付いている。

京都の知人の家は、京都唯一の村、南山城村である。三重県と京都の境の山の中。いまだに仏さんは土葬をしていた。(平成13年に、私が葬儀に参列したから事実である)

でも五箇山は火葬をするといった。焼き場のことをサンマエと言っていた。「サンマエ」か、実は尾張地方でも「サンマエ」と言っていた。でも辞書には何一つ「サンマエ」は出てこない。気になる。

この会話は、朝食のときにである。同宿の新潟から来たご婦人は顔をしかめていた。でも、家内も新潟出身で、通称屋号で呼び合う風習は同じと、意気投合していた。

この話を帰ってきてから、この宿を紹介したY君に言うと、墓は一度も行ったことがなかったという。怖かったらしい。そう言えば、「地主神社」の裏山を歩いたと言うと、そこはマムシが多いから、怖いので一度も行ったことがないという。なんと、在所に行くが何も知らないらしいので、少しおかしかった。他所もんの方が好奇心があるから、調べるだけ、こちらに分がある。

マムシなんか踏んづけなきゃ、喰いつかれないのに。という私も、山を走るようになってから慣れてきただけだが。墓をのぞくという体験は、好奇心Photoからだった。

もう一つ、合掌造りは皆さんが思っているのは上の写真でしょう。私 も初めて知りましたが、原始合掌造りは、まるで竪穴式住居と同じで、後になって一階を付け、2階を付けて持ち上げて行ったという。それが右の写真です。

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2008年5月 2日 (金)

曼陀羅寺の藤とランナーの木、ハナミズキ

随分きれいに公園整備された。庫裏の正面にあるハナミズキは、きれいに咲いていた。012 これは私たちが植樹させてもらった「ランナーの木」である。

平成6年に55人のランナーで植樹祭をした。このころ「ランナーよ曼陀羅寺を目指せ」と言うイベントをやっていた。朝7時に、この場所を目指し走って来いという、マラソン大会の逆モーションである。だから走って来る人は、40km10km5kmとマチマチだが、みんな7時からここで、いい汗かいてビールを飲みながら、歓談する。要するに、仲間作りにもってこいのイベントをやっていた。

今は、私の故障と、クラブ員の故障で参加できなくなってきた。自然消滅の形になってしまった。残念である。

あの時、仲間と植えたハナミズキが、もう5mほどになって、木の剪定もしてもらって、美しく咲いていた。009

004_2 藤は満開のものもあるが、これからのものもあるから、 相当長く楽しめそうである。屋台からビールを買ってきて、藤棚の下に座り込んだ。

ここで少し話がそれるが、「藤」という姓はたくさんある。これは、源平の時代に、裏で藤原が勢力を振るっていた。それより古いのが「橘(たちばな)」という名族で、これを「源平藤橘」として、四大氏姓といわれている。

この中の「藤」は、藤原の藤で、これから藤の付く氏姓のいわれを、『日本苗字読み解き事典』丹羽基二著から、拾い書きします。

官職由来の武家藤原

  • 斉藤 伊勢に奉仕する役所の長官、斎宮頭が由来。その藤原が斉藤を名乗った。
  • 工藤 木工助(もくのすけ) 宮殿の造営、修理
  • 佐藤 左衛門尉(さえもんのじょう) 日本の律令制下の官職のひとつ。左衛門府の判官であり、六位相当の官職であった。
  • 左藤 〃
  • 進藤 修理進 皇居などの修理、造営を司った。
  • 首藤 主馬首 乗馬、鞍具の類の供進を職掌とします。
  • 主藤 〃
  • 内藤 内舎人(うどべり) 宮中の警備、雑役、行幸の警護
  • 武藤 院の御所警備の詰め所、武者所

国名・地名の武家藤原

  • 伊藤 伊勢国の藤原が伊藤を名乗った。
  • 遠藤 遠江国
  • 加藤 加賀国
  • 尾藤 尾張国
  • 武藤 武蔵国
  • 後藤 備後または肥後
  • 須藤 下野国那須
  • 進藤 信濃国
  • 権藤 肥後国飽田郡権藤村
  • 佐藤 下野国佐野庄

他族との結合のよる苗字 

  • 安藤 安部氏と藤原氏と結合し安藤を名乗った。
  • 春藤 春日氏と藤原氏
  • 海藤 海部氏と藤原氏
  • 江藤 大江氏と藤原氏

こうして多くの「藤」の字を付け、多くの苗字が生まれた。日本人の苗字の数は約27万種は世界一という。家紋は約2万といわれる。

家紋の五大紋は、「藤」「木瓜(もっこう)」「酢漿草・片喰(かたばみ)」「鷹の羽」「桐」である。Photo_4Photo_5Photo_2Photo_3Photo

「藤原系」が必ず「藤」の家紋とは限らない。念のために、墓へ行って、「藤」の付く墓の家紋を観察すると、色々あることが分かる。

家紋は一家に一個とは限らない。長い歴史の中に、家紋は変わったり増えたりする。増える場合は、

  1. 婚姻などで婚家の家紋も採用する。
  2. 主家などから下賜される。
  3. 記念に新しい紋を採用する(戦勝記念など)。
  4. 兄弟の契りなどその他。

私の友人の車屋が、家紋が分からんと言うから、墓で調べれば分かると言うと、新しく作るという。家紋を作る商売もあるから、それもありか。なら「ベンツ」「ワーゲン」のマークがいい。「トヨタ」はありふれているからいかん、と大笑いした。

稲沢の「禅源寺」は黄門様から葵の紋を拝領している。なんでもここを通りかかったとき、黄門様が「おこり=マラリア」にかかり、この寺で介抱してもらったお礼という。以来寺紋として使われている。だから、もともとあった家紋は、裏家紋になり、表家紋は「葵」になる。

藤の花を見ながら、フトこんなことを考えていた。

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2008年4月21日 (月)

世界遺産の五箇山は、その昔は火薬生産地であった

私の友人Y君の母親の在所が、この五箇山なんです。この在所が民宿「勇助」をやってみえる。さっそく6月にここへ家族旅行をすることになった。今日予約の電話をして、色々話を聞いてみた。「そろそろ山菜が採れるころですよねェ」というと、「ここは草一本抜いてはいけない」という。世界遺産だから、合掌造りは全て博物館と同じと思い、勝手に人の家をのぞきに来る人が多かったという。

昔は家の中まで入ってこられたという。今はそれも、広報活動のお蔭で随分改善されたといった。

世界遺産の中の生活というのは、誰かにのぞかれているという厳しい生活環境を余儀なくされるものだと思った。

しかし、7月には「東海北陸自動車道」が開通する。そうなると都会からドンと人が短時間に入る。さてこのルールが、はたして守られるだろうか心配になる。

至れり尽くせりのホテルもいいが、昔そのままが残っている五箇山がなんともうれしい。なにがあるのかワクワクする。山登りやマラソンをやっていたころならば、五箇山を走ってみたい衝動に駆られるだろうなァ。でもご心配なく、折り畳み自転車を持ち込むつもりではいる。

この五箇山はその昔、鉄砲伝来と変わらないころ、すでに火薬が製造された記録があるそうだ。雑穀しか採れない村としては、オシッコが産業の基盤になったのだから、悪い話ではない。熟成された下肥にはアンモニヤ分がいっぱいで、これを田畑にまくと、土壌の中の硝化菌という細菌と酸素の作用で、硝酸塩ができる。これのイオウや木炭を調合すると火薬となる。

1543年、種子島に鉄砲がきたが火薬がなく、中国から硝石を輸入Photo_3 していた。1570年、加賀の五箇山の村で硝酸塩をつくり、黒色火薬をつくっていた。これは日本が下肥を溜めていたことがきっかけとなった。何の科学的施設もない村で火薬つくりは始まった。床下に穴を掘り、下肥を少量仕込んで土をかぶせ、1年ほどおくと硝酸塩ができた。

その昔は、築後半世紀した古い家の床下、とくに便所、台所、馬小Photo_4 屋などの床下の土を集めて水に溶き、その溶液にワラ灰を水に溶いた上澄み(灰汁)を加え、一度煮立ててから冷ますと硝酸塩の結晶がとれる。

でもこれだと半世紀もかかる。世の中が落ち着いた天文年間(1736~40)に年間生産量は1260貫目(4725kg)というから相当なものであった。

床下で火薬を作り、一階で和紙を作り、2・3階で蚕を飼っていた。あの立派な建物は、ただの民家ではない。立派な生産工場であった。

「勇助」が気になる方は、下記のホームページをご覧あれ。

http://ww2.ctt.ne.jp/~dhayashi/

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2008年3月 3日 (月)

キャノンデールで春を探しに

暖かくなったので、そろそろ春を探しにいこう。

一宮の郊外へ出て、江南に入った。ここは道が狭いから歩道を走ることになる。ところがどういう訳か、飛び出す車が多くて、何度もヒヤッhappy02とした。こんな言葉を知っていますか、「ヒヤリ・ハットの法則」(ハインリッヒの法則)と呼ばれる。これは、重大事故の陰に30倍の軽度事故と300倍のニアミスが存在するとされるため、このヒヤリ・ハット事例の収集と分析が医療事故の予防において重要である。

これを安全運転管理者をやっていた時に、警察の講習でイヤッというほど叩き込まれた。要するに、ハッと300回すると一度大きな事故を起こす、ヒヤッする軽度の事故を30回すると重大な事故を起こす可能性を表している。この医療行為の事故を防ぐのに重要とされている法則を、運転に応用したものだ。

私は転倒しても、手術した腰や首へのダメージが大きい。だから慎重に走っているから、あまりヒヤッとしたことはない。だが今日は出掛けから連続してヒヤリ・ハットとしている。今日は慎重に走らんと何事か起こるかもしれない。

狭い歩道のデコボコをガタガタ走った。この江南は随分と賑やかになって、元気がありそうな町だ。ただ道が縦横無尽に走っているから、天気が悪いと方向が取りづらい町だ。昔の農道をそのまま舗装して、さらに新しい大きな道路がドンドンできたから、道が複雑に交叉している。002_2

001_2木曽川に出て「スイトピア江南(57m)」を右に見て、少し下ると新しくできた「フラワーパーク」がある。ガラス張りの3階建てで、中には観葉植物が展示してある。何となく雑然としている感じだ。屋上に出ると、遠くは御岳や西濃の山々、伊吹山が一望できる。

話は戻るが、「スイトピア江南」に展望風呂がある。ここの見晴らし006 は素晴らしい。一度寄って見てはいかがですか。

外の公園はまだ植樹されたばかりの桜で、木が若い。外の花壇の管理は、ボランテアと協力しながら花を植え付けている。これからの公園だ。

今日一日で4回もヒヤリハットとした。これは私の1年分ぐらいの相当する。あと290回ぐらいで事故を起こすかも。気を付けようっと。

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2008年2月 2日 (土)

はんらんする土産

この二日間、わが家はみやげ物が出入した。

いつも友人からよくみやげを頂く。今朝もイチゴ狩りに行ってきたので、イチゴを取りに来るようにと電話があった。久しぶりに羽島のカンポの宿に行ったので、お返しにみやげを買った。

友人宅に行くと、イチゴともう一品、ホタテの「やわらか煮」が入っていた。実は私が買ってきたものも同じで、片や浜松、片や羽島。でも、どう見ても包装が変わっているだけだ。これには大笑いした。ならばアサリの方がよかったかねェ、と大笑いした。

ところが、近所の友人が伊勢神宮に行ってきたと、土産を持ってきた。この伊勢行きの権利を、年頭に真清田神社から私がもらった。昨年まで町内の神社担当をしていたので、お礼に持ってきた。実は腰の手術後で、あまり長時間の移動と、長時間の歩行に自信がないからだ。それで代りに行ってもらったそのお礼に、みやげを持ってきた。

そのお礼を見てまた笑った。なんと「アサリのやわらか煮」「真珠漬」であった。開封すると、同じ寸法の包装で、中の風袋には同じ文句が書いてある。「御食け国=(みつけくに)の珍味・四季折々の風味001 豊かな味わいそのままに」である。浜名湖、伊勢、羽島がまるで同じ中身で、外の包装が、それぞれの販売元の名前が入っている。それが違っているだけだった。

(浜名湖、伊勢、羽島の中身。相変わらず、写真の撮り方が下手だなァ)

これをつまみにボチボチ飲むか。でもなァ、歯に挟まるものばっかっじゃ。

一昔前に、岐阜の日東あられが、全国のあられのみやげ市場の90%を占めていたのと同じ現象が、この煮物と佃煮でも起きていることを実感した。

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2008年1月14日 (月)

嗚呼とうとう、氏子総代になってまった

いよいよ決戦の時が来た。10時から「新高山登れ」である。少し早めに社務所に行き、暖房を入れる。机を並べて座布団を敷く。何でも少し早めに行き、会場の雰囲気に体を慣らしておくといい。何でもというと、なにがといわれるかもしれんが、結婚式の司会とか、公演会の講師をするときに、早めに会場に入っておくと、気が休まるのである。ドキドキが収まったころに始められるからだ。言っとくけど、結婚式の司会は5回と公演会の講師は1回やったでね。

この町内は、たった32軒しかない。そのうち60歳以上が52人ぐらいいる。ワシなんか65歳やでェ、相撲で言うなら序の口だ。今年は真清田神社の祭り担当の、大年行司の当番が回ってきた。

仕事はたいしたことなく、もう引き継ぎの次期に来ているが、土壇場になって、この町内にある神社の氏子総代が止めると言い出した。家族から止めさせて欲しいと申し出があった。どうも『アサッテの人』になりかけているという。

私が見ていても、急に悪化してきた感じだ。申し出を受けた町会長が、アンタが総会を引っ張ってくれと命令されてしまった。ワシね序の口だでねッ、でも昔の町内のガキのころからのボスに命令されると、文句が言えないのよ。

仕方無しに引き受けた時に、うすうす総代をワシに押し付ける雰囲気があった。

総会には町内の半分ぐらい参加してきた。今回初めて総会をするが、不参加した時は、総会の決議に同意したと見なしますという、脅しを回覧板で回した。欠席裁判で、出て行かないと総代にされると思った人もあったと思う。それでいいのじゃ!

こういう時に下書きになる、式次第を作っておいて、配布した。これがないと支離滅裂になる。会議は紛糾するだろう。これを配布して、特に決議を取る時には、できるだけ二者択一方式を取った。文句を言わせないようにした。

今回はだれもがやりたくないから、あまり発言をしないだろうと予想をしていた。案の定、発言を控えめにしているから、うるさ型に指名するように発言を求めた。

最後に「では、どなたか総代をしようという方はいませんか」と言うとみんな私と顔を合わせないように下を向く。そしらぬ顔で、隣の人と会話をする。

「アンタが受けたらどうか、適任だと思うが」とうるさ型が言ったのをキッカケに、一斉に「そうだそうだ」とうなずく。この機を逃したら、今度は私に番が回ってくるとばかりに、ウンウンとうなずく。

私はチョットトイレに立った。少し意地悪をしたくなった。この変な間合いが、みんなにどんな心理が働くかを楽しみたかった。友人の3人には、なり手がなかったら、最後はワシがするが、その時は応援をよろしくと頼んでいた。

最後にもう一度なり手がないのを確認して、私が2年限定で引き受けることを宣言すると、満を持して拍手をしてくる。

クッソ~ッ!そんで言ってやったわさァ、「ワシはね『安部だでねッ』、なんぞごと物議を起されたら、チャッチャと総辞職をするでねッ」と。「これから先輩の顔を伺いながらやっていくのは、気苦労だ。『ワシは安部だでね』そんでもいいかね」というが、なんでもいいやってくれとうなずく。

この小さな神社は、土地持ちでね、いま1千万ぐらい金を持っている。ワシよりぎょうさん持っている。だからワシを金から離さないと危険だから、会計を別の人に任せた。

「わしは総代じゃ」と叫んだ。だれかしなければかたが付かんから、でも少しぐらい町内の役にたつことをする、年になったと思う。

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2008年1月13日 (日)

氏子総会の決戦前夜

行きがかり上、議事進行をつかさどることになってしまった。昨年は真清田神社と町内のパイプ役である、大年行司が順番で回ってきた。

時期半ばにして、町内の神社の氏子総代がもう止めると言い出した。これを聞いた町内会長が、なんとかしなければということで、今まで一度として開いたことがない、氏子総会を開くことになった。そこで大年行司のあんたがするべきだと言ってきた。

この町内の神社と真清田神社とは別の宗教団体だ。私は真清田神社の担当だが、だれもやり手がないから、仕方無しに引き受けた。

困ったことに、神社の資産を記す権利諸関係がなにもない。今の総代がどこかに仕舞い忘れている。それを思い出せない状態の人になりつつある。それを気にした奥さんも、パニック状態になっている。もう攻め立てることができない状態だ。

神社の周りには、賃貸をしている土地がある。この契約書がない。社務所の建物の登記書もない。保険証もない。何もない。これでは引継ぎができないが、現状の総代では継続してやらせることはできない。土地の権利書は、なければ登記簿の登記移転で成立すると、インターネットで出てきたからいい。賃貸契約は平成7年で、30年契約をしているというメモがあるから、これは借りている方に事情を話して、コピーをもらうしかない。

これで見切り発車をしなければならん。またもめることを前提に、議事進行のストーリーを作り、仲間内に配布して、進行の助力を頼んだ。おそらく総会に参加する人は少ないだろう。自分が携わりたくないから、出てこないだろうから、あらかじめ、回覧板で、当日不参加の場合は、「総会の決議に従うことに同意します」というサインをもらっておいた。

ここまですると、間違いなく、ワシが総代にされるが、誰かがしなければかたがつかん。町内32軒の内、60歳以上が52人、ワシは65歳で、相撲の番付で言えば、序の口だ。後は横綱から大関から幕内はみんな逃げ出している。けしからん。

総会で宣言したる。「オレは安部だでねッ、すぐ解散するから覚悟しておけ」と。いよいよ決戦のときだ。ワシは安部だでねッ・・・。

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2008年1月 8日 (火)

神社の初めての氏子総会の草案つくり

町内は32軒と大変少ない。この神社は昔は随分遠くまで氏子であったが、大きな道路ができるたびに、神社とのかかわりが途絶えて、今は3町内だけ、だが、実際はわが町内だけが維持管理しているのが現状だ。

この町内には、少し前までは3グループに分かれていた。私たちが祭りをやっていたころの5人の仲間、本人達は若者と言っているが、平均年齢は64歳。今でも奉賛会という名でうごめいている。もう一つのグループは、Hというのを中心に、この若者が祭りで暴走するのを防ぐために作られたらしい、平均年齢約75歳の7人グループである。そして無関心グループもある。

ところがこの7人グループというのが、このHというのが原因で、一人離れ一人離れて事実上空中分解のバラバラになってしまった。口うるさい7人の中で、特別口がうるさいHというのが、どんな会議でも潰してしまう。私はコイツの胸倉をつかんだことがある犬猿の仲だ。

肝心なのは、口うるさいのがグループを組んでいるうちはまとまりがあったが、バラバラになった口うるさいのができてしまったことになる。始末が悪い。

Hと話していると10分持たない。口から泡が吹き出てくる(お前はカニさんか?)。それほど口がうるさいが、理路整然としているなら納得するが。それが人の話しを聞かなくて押さえ込むばかりだ。こいつは人を主役にしておいて、裏で操りたいヤツだ。自分が主役になれば、叩きのめされるのが分っているからだ。

さて、この7人グループの一人が、仲間に押し出されて氏子総代をしていたが、最近ボケが始まったらしく、家族から止めさせてと急に言い出した。今まで氏子総代は、昔からここに住んでいる人が、できるだけ永くやって、できなくなったら、申し送りのように個人から個人へバトンタッチされてきた。32軒の氏子に総代一人という体制が古来から続いていた。

今回は誰もなりてがいないから、初めて氏子総会を開催することになった。私は今年、祭りの担当責任者、大年行司になっている。そこで町会長から、総会を引っ張っていてくれという。そういう町会長も逃げ腰なのが十分分かる。

まるで交通事故である。誰かしなくちゃいかんので、仕方なく引き受けたが、今までだれも経験がないから、逆にやりやすいかも知れないが。

議事進行のストーリーを考えながら、あァ言ったらこうい言う、こう言ったらこう言うと、ブツブツ独りしゃべりをしながら、草案を作っている。

決戦は13日10時からだ。おのれ!佐々木小次郎メ!覚悟せよ。ぶった切ってやる。(お~い、返り討ちになるなよ、アーメン、南無阿弥陀仏)

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2007年12月12日 (水)

正月は世界食べ歩き、安近短をお勧め

手早く世界の料理を食べ歩き、それでいて、安く、その日に帰られる身近さがなんともいい。ではさっそく中部国際空港へ。

アハッ、パスポートがないから、電車にした。ここ一宮から名古屋の大須まで25km。電車で行けば家から1時間半ぐらいで行ける。ここ大須は、若い人が多く店をやっている。この町の大家は、若い人に格安で貸しているから、若い人が店をやるから、自然と若い人を呼び込む。人が多ければまた人が来るという相乗効果がある。いつ行ってもにぎわっている。それと道が適度に狭いということがいい。同じ人数でも広いとガランとしてしまうからだ。

この名古屋の大曽根に「オズモール」という商店街がある。アーケードを取り払い道を広く取り、オズの魔法使いが出てくるとがった城を連想させる建築で統一されている。ここに100人いても、ガラガラなイメージである。だから客が遠のいている。全国からこの両極端の商店街を視察に来ていると聞いた。

大曽根よりもっとひどいのが、一宮の本町だ。むかし南北の両側に百貨店があった。北側に、あとからダイエーが百貨店を作るときは猛反対したものだ。商店の品が売れなくなるという理由からだ。人が来れば自然と商店にも流れるこの理屈が、この一宮の我田引水型の商人が猛反対する。その随分あとの現在、南北の百貨店はつぶれてしまったら、いま本町通りはシャッター通りになっている。それに空き家になった商店のテナント料が高いから、誰も入りたがらない。大家が欲が深いのか。

今日はマラソン仲間3人で来た。大須で、まず手始めにブラジル料理店へ入る。鳥の串から揚げとビンビールを頼んだ。ビンビールにはコップが付いていなくて、ラッパ飲みをすることになった。この後ピンガという、トウモロコシから作る焼酎を頼んだ。これが強烈で、40度もある。あまりたらふく食べると、まだ後があるから早めに切り上げる。

次は100m先のトルコ料理店へ入る。流ちょうな日本語で注文を取りに来たのは、日本のウエートレスであった。メニューを見ても分からんので、写真と値段を見ながら、ナスの上に刻み野菜を乗せて煮付けたもの。ピーマンをくり貫き中に五目飯を詰め込んで煮付けたもの。シシカバブが2本乗ったご飯を取った。そしてトルコビールはもちろん頼んだ。

ピーマンの料理はナカナカいける。この名前を聞いたが何度聞いても分からなかった。その意味は、「坊主が気絶した」というそうだ。シシカバブを辞書でひくと、シシーカバブとある。ラムは子羊で、シシーカバブは羊だという。ビールは軽い感じで、度数は5%。先ほどのピンガがまだ口に残っているから、余計に軽く感じる。

その向かいには、台湾の屋台風の小さな店がある。ここはたこ焼きのような団子を揚げていた。メニューから、たこ焼きゴマ団子、イカ団子、鳥のから揚げを頼んだ。台湾ビールを頼むと、アサヒビールが出てきた。

ゴマ団子の中はあんこであった。イカ団子はイカをすりつぶしてあり、これはうまかった。から揚げは少しピリピリと辛く、これもいけると並んでいる客に宣伝したら、つられてみんな注文していた。いい客引きができた。

大須を東から入り、そろそろ西の出口に近くなった。そろそろ日本料理を食べたくなった。そこで仕上げに一番庶民的なトンチャン屋へ入ることにした。串カツだのトンチャンだのをキャベツをつつきながら、日本酒をすすった。Tky200712110325

ブラジルから始まり、トルコ、台湾、日本を回っても、一軒当たりの費用がせいぜい、1500円ぐらいで済んだ。非常に安く、世界早駆けをしたことになる。

話は関係ない方向へ。きょうのアサヒドットコムのニュースから。 悩ましい大根をご覧あれ。「夫婦大根」というタイトルです。笑っちゃうね。

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2007年12月 3日 (月)

ギンナンとビールと自転車時々歩き時々走り

11月26日に祖父江のイチョウ黄葉祭りに行ってきたが、黄葉には 009 006まだ早かった。それがたった6日の間に、見事に黄葉した。同じ場所から色の違いを見てご覧なさい。急に寒くなったわけでもないのに、これほど違う。007

12月1日の天気は最高によく、イチョウ畑には多くのカメラマンが入 り込んでいた。田んぼの真ん中にあるイチョウ畑から空を見たら、紺碧に見えた。こんな色の空を見たことがない。

近くの小学校ではマラソン大会が行われていた。学童が息を切らせてイチョウの下を駆け抜けていった。

イチョウ黄葉祭りのイベント会場のある祐専寺の前には、多くの人が出てきている。この祐専寺には、祖父江町天然記念物で周辺の銀杏の原木とされる、幹周り3m弱、樹齢250年(推定)がある。これを撮ろうと思ったら、デジカメの電源が切れた。

写真が撮れないなら食べるしかない。テントには先ほどからいい匂いをさせているトン汁が、一杯150円で売られている。さっそく頂く。具がシッカリ入ってうまかった。

隣で缶ビール300円で仕入れ、その隣ではギンナンの試食をやっている。少し前にコンクリートに座り込んで金づちでギンナンを割っていた兄ちゃんが、フライパンでギンナンを焼いていた。「ドンドン食べて」と言うから、ビール片手にドンドン食べた。

道路では子供たちの太鼓の演奏が始まり、ドンドンと腹を揺さぶる音で、ギンナンがドンドンと腹に収まった。ギンナンではあまり料理ができそうにないと思ったら、テントの中には「ぎんなんきしめん」「ぎんなんラーメン」「銀杏入りさしみコンニャク」「銀杏入りおこわ饅頭」があった。

ぎんなんきしめんを食べている親子に、「ぎんなんはどこに入っているか?」と聞くと、「ないない、うどんの練り込んであるらしい」と言う。「アハハッ、ゴロゴロ入っているかと思った」と言って笑った。そうだわなァ、ゴロゴロ入っていたら食べにくくて仕方がないわァ。

風もなくいい気分なので、時々自転車を降りて、イチョウ並木を小走(h/8km)時々歩き(h/6km)を繰り返して、15kmほどを帰ってきた。いい汗をかいた。でも走る筋肉の低下が著しく落ちているのに気が付いた。翌日は足首が痛かった。

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2007年11月28日 (水)

今度の家族旅行は白川郷五箇山の合掌村へ

11月27日の中日新聞の朝刊に、ナショナルの「世界遺産の里に、エコが灯った夜」というコマーシャルが、1ページまるまるでていた。

ここに友人のY君の母親の在所が「民宿勇助」をやっている。ここには小泉総理や鶴太郎も訪れたことがあるという。Y君からメールで、この一番手前の家がそれだと知らせてきた。http://ww2.ctt.ne.jp/~dhayashi/

すぐ近くには姉さんが嫁いでいて、「民宿与茂四郎」をやっているという。http://www4.ocn.ne.jp/~gassyou/yomosiro.html

来年、この合掌村へ行こうと思う。

知人がいるということは、なんとも頼りになる。それを知ってすぐに、私のエッセイ集『鈍足ランナーの独りしゃべり』をお近づきに送っておいた。両家とも上記のホームページを持ってみえるから、一度ご覧ください。

年に一、二度、社会人になった息子と家族3人で旅行をするのが楽しみになった。今までは東京で下宿しながらの学生で、思うように帰ってこれなかった。帰るときも夜行で、しかも安い鈍行に乗ってやってきた。今はいつでも休暇を取り、新幹線でこれるようになったから、平日の透いた時を狙って予約を入れると、観光地も楽に行ける。

この白川は、さくら道270kmウルトラマラソンで何度も通ったところで、思い出が深い。途中の郡上には、「チロル」という喫茶店のママさんらが、このマラソンのためにエイドステーションをやってくださり、随分世話になった。郡上というところの女性は随分美人が多くてね、それでいてシッカリしている。オレもう一度結婚するなら郡上の人がいいなァ。町もきれいだし活気がある。

ここの少し北には、「母情」という酒蔵がある。ここのお上さんとも仲がいい。もう75歳ぐらいの人だか、郡上の女性を引っ張っているリーダー格だと思う。竹を割ったような気性で、藤間紫、水之江滝子、越路吹雪をホウフツさせる人だ。私と気が合ってね。ここへ20人ぐらいの仲間と寄ったら、倉庫の出荷用のテーブルに10本ぐらい酒を並べて、好きなだけ飲んでいけと言われたことがある。

あるとき店の名前の入ったTシャツを20着もらった。これにわがランニングクラブのマークを入れて、1着お返ししたら、それを額に入れて店に飾ってあった。今でもあると思うよ。

蛭ケ野に行けば、昭和初期、この荒れ野を今のリゾート地にまで開拓した「福手豊丸」さん(90歳)がみえる。この人から、さくら道270kmウルトラマラソンのときに、自叙伝を頂いたことがある。答礼に私のエッセイ集を贈ったら、350ページもある本を2日で読んだと手紙が来た。この年でたいしたものだと驚いたことがある。

だからこの156号線沿いには、私の会いたい人がたくさんいる。ぜひもう一度さくら道270kmウルトラマラソンを思い出しながら、走ってみたい。頚椎と脊椎の手術後だから、仕方がないが今度は車で行こう。

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2007年11月27日 (火)

祖父江のイチョウの黄葉はまだ早かった

一宮の日光川の左岸堤防を萩原の万葉公園まで走り、ここから中玉野へ少し500mほど西進してから、信号交差点を南進する。3kmほど行くと、もう両側をイチョウが並木を作る。黄葉祭りののぼり旗がはためくと、そこが山崎だ。

祖父江は11月24日から12月2日まで、津島線の山崎駅から祖父江の町中の善光寺までの間で、黄葉祭りをやっている。だがすこし黄葉には早かった。残念でした。多くのウォーカーが徘徊していた。コッチは自転車だから動きは早い。集落の中を動き回って、ここはという場所を探した。こんなのウロウロする私を村民に見られると、不審者と思われても不思議でない。

なぜここはこんなにイチョウが多いのか不思議の思った。調べると、ここは木曽川の土壌が流れ着いた肥沃な土地だ。ここに伊吹颪に強く、しかも火災の類焼を防ぐのにイチョウの木が一番。しかも現金収入になるからと植えたのが始まりだという。

公園のイチョウの葉は、火にくべても燃えにくいからなァ。

地元の人に古い屋敷を教えてもらい、それを背景に写真を撮ろうと 005 思ったが、黄葉が今一で背景とうまくかみ合わなかった。
見どころは山崎の尾西病院の北あたりにある集落の真ん中に、大きな屋敷が細い道を挟んで両側にあるある。もう一度出直しである。

途中、ギンナンを観光客が拾っているので、「ここは個人のギンナンの畑だ006から」と注意するが無視されたことを農家の人に話すと、いまは出荷も終わりマァいいかという感じで、無視しているという。祭りをやっている都合で文句も言いにくいと思う。痛しかゆしだ。だが最盛期と値段が高い時期は、丁度黄葉していないときなので、人が入るのを警戒しているという。

もう一つ、ギンナンの最盛期は相当にウンコ臭いが、果実をどう処理しているかと聞くと、機械でむいて、臭い皮はギンナンの木下に埋めるという。

「近所の人は文句を言わないか」と聞くと、「そのころは町中がウンコ臭いし、お互い様で誰も何も言わない」という。「そりゃ、聞いた私のほうがおかしいかァ」と、臭いイチョウの木下で大笑いした。009

今度ガクッと寒くなったらもう一度来てみようと思う。毎日ラジオ体操に行く一宮市内の公園のイチョウの方がきれいに黄葉している。

善光寺がいまだ工事中だが、随分きれいに改修された。ところが祖父江のイチョウ祭りのポスターの「善光寺をバックにイチョウが黄葉している」写真のイチョウは、善光寺を一周して捜しても見つからなかった。ヒョットして合成写真か?不思議だなァ。

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2007年11月26日 (月)

なばなの里の夜と昼

Nov2401 051夜と昼間の違い。でも両方ともハット息を飲むよう できれいだった。左はパンフレットから。右は夜景を見損ねた私の作品。

昼のダリアが美しく、ベゴニアガーデンも捨てがたい。

2

4Photo_23Photo

    

この温室の中にはベゴニアばかりでなく、ホクシャも負けていなかった。

先日入園料が2000円と高いと言ったが、実はこの中に金券が1000円分付いているのに気が付かなかった。悔しいがそれを利用せずに土産を買って帰ってきた。3人で行ってきたから、3000円分の金券が残っている。

これを金券ショップか、もう一度、出直さにゃイカン。今度は夫婦で出掛けるとしても、3000円取り戻すのに4000円使わにゃいかん。困ったもんだ。そうするとまた2000円金券がたまる。5000円もあると相当いいものが食べられそうだ。

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2007年11月18日 (日)

名古屋市休養温泉ホーム松ケ島へ遊びに

久しぶりに家族旅行である。

脊柱管手術後3ヶ月目で腰がいうことをきかないので、仕方がないがあまり動かずに行ける所を探した。友人がここは安くて料理を追加したら余ってしまったというウソのような話を聞いたので、とにかく申し込んだ。

どうせ行くなら体の試運転に、名古屋港水族館に行こうということになった。最近ね長い時間立っていることができず、展覧会や博物館などには行きたいイベントも敬遠してきた。今日は一大決心して出掛けた。

ちょうど入った時間がよかった。シャチとイルカのショーが始まったからだ。ナカナカの迫力で、あんな大きなものが笛や指先の指図で動くんだ。ワシなんか自分の体がナカナカいうことが利かないのに。

小魚の水槽をのぞいて歩いて会場を出たのが2時間半後であった。この間立ちっぱなしで動いていたが、心配していた足のシビレや股関節がスコンと抜けるような症状は出なかった。これからの時期はマラソン大会の走路員をたくさんしなければならない。これはほとんどが立ち仕事だからだ。試運転はまずまず成功である。

今日の泊りは長島温泉の北、ほとんど国道1号線に近いところにあPhotoるこの「名古屋市休養温泉ホーム・松ヶ島」である。2階建ての小さな施設である。ここは市の施設を民間の会社が4年契約で借り受けて運営している旅館である。今年の4月からは、トヨタエンタプライズが運営している。

トヨタエンタプライスは、ーー100%トヨタの子会社で、ビルメンテナンス、セキュリティ、人材派遣を中心にテクニカルサポート、駐車場運営管理、レストラン、造園・緑地管理、商品販売、保険代理店など企業の活動にともなう幅広いサービスを提供していますーーという。

市ではこういうサービス運営はできまい。ただ公営らしい規則が残っている。

  • 部屋に入る「利用時間」は4時以降翌日10時まで。利用時間という表現が面白い。
  • 利用料金・60歳以上、障害者手帳を持っている方とその付き添い。被爆者手帳持参の方。ひとり親家庭の親子。中学生。6000円。小学生5600円。一般の方6300円。休憩料700円と格安である。館内はバリアフリーで、二階まで車椅子で移動できるスロープでつながっている。車椅子の宿泊者に話しを聞いてみたら、毎月泊りに来ているというし、不満はないというから、お勧めである。
  • 予約は2カ月前の10日から受付される。土日はすぐに詰まるから、お勧めは平日の泊りだ。
  • 宿泊定員・2名以上80名まで。全体にお年寄りが多い。団体での宴会には少し無理がありそう。
  • 料理はすべて予約制。追加ができないからご注意。アルコールのビン物は、注文でドンドン持ってくる。
  • 詳しくは・http://www.matsugashima.com/

これだけの料金でどれほどの料理が出るだろう。少し心配になったので刺身の盛り合わせを頼んでおいた。意外や料理の品数の多く、鍋の具の中にはマッタケが混入していたぞ。今年は値段が高いから初めて口にした。追加に焼酎のボトルを頼んで出来上がった。

この焼酎でおかしなことがあった。持ってきたボトルの中身がすこし少ないのに気が付いた。よく見ると開封してある。それを仲居に言うと、慌てて取り替えてくれた。そしてあまりにも頭を下げるので、そんなに気になるなら何かツマミで持っておいで、とからかってやったら、支配人まで飛んできて平謝り。(やりすぎたか)

ワシいじめるつもりなんてなくて、からかっただけなのに。翌日この代金を取ってくれなかった。意外やこういうところが、問題解決に神経を使っている証拠で、また行こうという気にさせてくれる。これをまったく無視されたら、怒り心頭に発しただろう。そうすると二度とこなくなる。よし大いに仲間に宣伝してやるからな。ワシはもともとトヨタファンだから。

パンフレットをたくさんもらってきた。「苦情をしてくださるお客さんは、最高のお客さんだ」という接客の鉄則を守っている。お客さんのアンケートを掲示板の公表して、それにキチンと答えている。トヨタの改善がここに生きている。

温泉は長島温泉から引いている。松ヶ島のすぐ南に姫御前給湯所というのがあり、長島温泉の湯が一旦ここに集められ、ここを中継して、権利を持っている民家や施設に給湯しているという。この湯の権利は、話しを聞くと、温泉を掘る時に協力された方(主に旧家の地主などの方)や、団地で権利を買い取ったところで、夕方5時から10時までという時間制限で給湯しているという。

松ヶ島のすぐ東は木曽川で、堤防下には舗装された二車線ほどの2道が5kmほど河口まで続いている。私は折り畳み自転車を持ち込んで河口まで走った。ここでスズキを狙っている釣人を何人も見かけた。河口近くまできたら、日が登ってきた。

9時に施設をチェックアウトして、車で5分のところの「なばなの里」に行った。昨夜は「ウインターイルミネーション」の開催日で、行きたかったが、とてPhoto_2 も入られないと言われたのであきらめた。それでも昼間の花を見に行った。ベゴニアガーデンとダリアは見ごたえがあった。5kmも走れば長島のスパーランドもあるから丸一日遊べる格好の場所は「松ヶ島」です。

「なばなの里」ですこし不満を言うならば、入場料が2000円と高い。しかもここでは食事はとてもできない。普通の倍は取られるからだ。ラーメンが1300円だからね。

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2007年10月10日 (水)

ロータリー旅行 破たんは、一年前から分かっていた!

とうとうこんな記事が出た。私にとっては、そうなるべくしてなったと思っている。

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「ロータリー旅行破たん・6000人ツアー取りやめ」弁済は2割程度

名古屋市中村区則武の国内外旅行業「ロータリー旅行」が資金繰りに行き詰まり、9日以降に予定していた約6千人分の全旅行を取りやめたことがわかった。名古屋市では8月、別会社の「ロータリーツアーズ」が経営破たんしており、ロータリー旅行の宇佐美求社長(49)は「名前が似ているため、風評被害による客離れが大きく響いた」と話している。

 同社は近く名古屋地裁に破産宣告を申し立てる。日本旅行業協会(JATA)の弁済業務保証制度で、支払い済み代金の2割程度が還付される見通しという。

 同社によると、ツアー中止分の支払い済み代金は約2千人(約850組)の約5700万円。これに対しJATAの弁済限度額は1400万円で、同社は「全額返還は難しい」と話している。還付は清算手続きが終わる約3カ月後の見通し。負債総額は約2億5千万円。

 同社は8日付の配達記録郵便で、旅行の申込者と債権者に「おわび状」を送った。

 宇佐美社長は「ロータリーツアーズの破たん報道の後、キャンセルが急激に増えた。新聞広告などで風評被害を抑えるよう努めたが、止められなかった。根強く応援していただいた方々に申し訳ない」と悔しさをにじませた。

(中日新聞)

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昨年の6月に旅行を申し込んで、人数に足りないから中止になった。だが金がなかなか戻らなかった。このいきさつをこのブログの「安売り旅行の不安 中止になっても旅行代金は戻らない」で書いている。

最近この件に関して、アクセスが多いので変だなァ、と思っていた。今日の夕刊でやっとその真実が分かった。

私の憶測ですが、最低人数が確保できない場合に、当然旅行は駄目になる。そこで預かった旅行代金を返さなければならない。返す金が無いから、申込者があれば、その旅行代金を流用するという、いわゆる自転車操業を繰り返していたと思う。こうなると旅館やバス会社も被害にあっていると思う。(フン、オレに相談すればよかったのに)

今年の8月、別会社の「ロータリーツアーズ」が経営破たんしており、ロータリー旅行の宇佐美求社長(49)は「名前が似ているため、風評被害による客離れが大きく響いた」と話している。ウソこけ!今年の8月でなく、もう一年も前から資金繰りが悪かったんだろう。

ところが別会社でなく、同じ系列の出身者で、体質は似ていると思っている。

これは2006年6月16日9時17分に中日新聞の某支社にメールした文言です。

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ツアー名 R266 四国秘境・祖谷渓谷と倉敷散策
募集会社 ロータリー旅行(株) 名古屋市中村区則武

5月に旅行を計画した。5月29日までに振り込むようにという案内があり25日に私は振り込んだ。

6月6日に参加人数が少ないので中止の案内が電話であった。

12日になっても金額が振り込まれていないので、催促するメールを入れた。(この時チョット変だぞと思ったので、証拠になるようにメールにした)

13日に「返金の件ですが、当方の手違いがございまして、本日返金処理をさせて頂きます」というメールがあり、それが最後で返事が来なくなった。

16日の今朝、メールで強く返金を要求したら、メールが届かなくなった。電話も出ない状態。

中日さんでなにかニュースをつかんでいないでしょうか。被害が出ているかもしれません。

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これについては、中日新聞から、なんら返事が無かった。昔、名古屋タイムズにいたマイタウンさんから、マスコミというのはこうしたもんだよ、と教えられた。

当然と言Photo_2えばそうだろう。マスコミはこれで収入を得ているから、絶対に広告料金をもらっているところを、記事にはしないだろう。えげつない。真実を追求する立場にあるものが、利益優先で真実を追究しない。事件が起きてから、昨日の広告主は今日の記事で動き始める。

でもそれによって多くの被害が出るならば、それの立ち向かって行く正義感の強い記者がいてもいいのではないかい?マスコミさん。

結局何億もの被害が出る。未然に防げたのに。情けない。

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2007年7月 2日 (月)

おい!老人保養施設へランニングクラブが旅行ってか?

この地区の仲間を集めて年に一回旅行をしている。昔はキチンとランニングクラブらしい旅行をしていた。

  • 一宮→下呂120km
  • 一宮→内海90km
  • 一宮→伊良湖岬130km

これを走るもよし、歩くもよし、土曜の午後5時に宿に着き、6時より宴会開始とした。それこそ私はまともに走って参加していた。下呂や伊良湖岬となると金曜の夕方スタートして土曜に現地に着く。それから大宴会をする。

体から水気を全部切って走っているから、砂に水をまくようにドンドンアルコールが吸い込んで行き、1時間もするともう寝ている。何のために走っていたのは分からないほどだった。

土曜に一宮駅前に集合した14人の仲間が、2台のワゴン車に分乗して嬉しそうに出発して行った。私は腰痛が酷くって、みんなに迷惑をかけるから遠慮した。どこか見学するというだけで、私に気を遣わせるのが目に見えているからだ。

いつも私が幹事をやり、行き先も決めていたが、今回は幹事が変わり安い宿を探すことになった。そうしたら仲間の息子が勤めている会社が、県から運営を任されている保養施設があるという。

それもなんということか、「愛知県南知多老人福祉館(愛称 ビラ・マリーPhoto_447ン南知多) 」という。ワシは怒った、「おい!卑しくもランニングクラブがなんで老人保養施設なのか」と。そして 仲間から聞いた施設の名前を調べたら、なんというお値打ちな宿だ。ワシらァの旅行基準は、

  1. 汗をかいて現地入りする。車持ち込み禁止。
  2. 料金が安いこと。
  3. 仰山飲みたい。

の以上3点だ。ところが最近私も含めて故障者が多く、走れなくなっているのが現状だ。だから汗をかけなくなっているから、(1)は外れた。では(2)と(3)の旅行の基準はどうだろうか。まずこれを検索して見て。

http://www.villa-marine.jp/outline/index.html

いかがですか。60歳以上になるとなんと2食付で7400円。チョット待てよ、60歳以上って?今回の参加者で60歳以上のものは何人いるかと勘定するより、それ以下のものを勘定したほうがよかった。誰もいない。全員が60歳以上である。

それなら老人保養施設だろうが介護施設だろうが、保護施設だろうがどこでも行ける。安心していける。安くって仰山飲めればどこでもいい。

みんな楽しんで来い。私は一人チビチビイジイジ飲んでいるから、土産ぐらい持って来いよ、と涙ながら見送った。

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2006年11月22日 (水)

一宮市議会の身勝手さ

 どうも腑に落ちん。市民が嘆願書を出した。これがその内容である。

1.     一宮市条例改正請求の要旨
 
平成15年8月の第1回合併協議会から約1年間にわたり、2市1町の合併協議が進められ、平成17年4月1日に新一宮市が誕生いたしました。ただ、その合併協議の結果のすべてが、私たち住民にとって諸手をあげて受け入れられるものばかりということではありませんでした。なかでも、議員の在任特例について、私たちは行財政改革の観点から望ましい判断ではないと思いつつも、2年間の期限付きであること、また、合併で消滅してしまう旧尾西市、旧木曽川町の地域の声を新一宮市に反映させる意味合いから、やむをえないものとして受け入れてまいりました。そして、その後の議員定数は、いかなる定数が一宮市にとって適正であるかについて、「最少の経費で最大の効果を挙げる」等の観点から十分な審議を踏まえて、市議会において時宜にかなった、的確な決定がなされるものと信じておりました。
 しかし、去る平成18年2月の臨時市議会において、次回(平成19年4月執行予定)の選挙は、旧市町ごとに選挙区を設け、定数44名で行う旨の条例が制定されました。私たちの期待は、無残にも打ち砕かれました。
 改めて申し上げるまでもなく、一宮市の財政状況には大変厳しいものがあります。歳入が落ち込む一方で、多額の借金を抱え、職員の給与の削減、市民に対して、補助金の一律5%カット、放課後児童保育の有料化などをしなければならないほど深刻な状況なのです。そのような中で、44名という定数を市議会が決められたのは、市民感情から程遠い、まったく納得できないものであります。
 一宮市議会は、現下の市財政の状況を今一度真摯に見据えられ、議員自らが総人件費削減に踏み切るべきであると考えます。私たちは、「人口1万人に対し、議員1名」が適正な基準であると考え、一宮市の人口約38万人でありますから議員定数を38名とする条例改正の直接請求を行うものであります。

2.     有効署名数(必要署名数)
 
23041人(5955)人以上(選挙権を有する者の総数の50分の1以上))

今後の手続
 
市長は、請求を受理した日から20日以内(平成18年9月7日まで)に議会を招集し、条例案について意見を付して議会に提案することになります。現在のところ、平成18年9月市議会定例会(同月4日開会予定)に提案される予定です。

市議会で谷市長は「市民はすべてを首長と議会に委任している訳ではない。今回は議会と市民にズレがあった」と指摘。「議員と同様に市長も市民に選ばれた立場。(請求を)極めて重く受け止める責任がある」として定数の削減に賛成する姿勢を強調した。こういうコメントを発表していたのはゼスチャーかリップサービスか。

9月の定例市議会は、9月4日~29日に26日間の会期で開かれ、その中に「議員定数に関する条例を求める直接請求に係わる議案は、継続審査となった。(広報11月号・市制ニュースより)

ところが、18年11月20日に、定数是正はならず。33対38?で否決されたという。申し合わせた出来レースであったというウワサが流れてきた。こんなことありか?

一宮市議会:定数削減案を否決 直接請求の市民ら「残念」 /愛知
 一宮市議会は17日、住民直接請求による次期市議選の定数44を38に減らす条例改正案の採決を行い、無記名投票の結果、賛成35票、反対38票の小差で否決した。議場傍聴席には直接請求に携わった市民らが詰めかけたが、否決の結果に不満の声が聞かれた。
 同市では、昨春、旧尾西市と旧木曽川町を編入合併し、現在の議員定数は78。同市議会は2月、次期市議選に限り定数44とし以降は40とする条例を定めた。これに対し、市民団体が次期市議選から定数を38に減らすための直接請求を行い、谷一夫市長も賛成の立場を示していた。
 この日は、任期満了に伴う次期市長選を12月に控えて日程を早めた12月定例議会の初日。議案説明に先立ち、9月議会から継続審査となっていた同条例改正案について審議した。採決方法については投票の結果、無記名投票方式となり、請求代表者らが希望した記名投票は実現しなかった。
 請求代表者の佐野毅男さん(65)は「通ると思っていたので残念。2月議会では記名投票だったのになぜ今回は無記名投票なのか。議員の保身としか思えない」と不満げ。また、谷市長は「市民の期待に応えられず申し訳ない。賛成が半数近くあったので(審議の中で言及した)住民投票条例案の提案については、議員とも相談し慎重に検討したい」と述べた。【井上章】
11月18日朝刊      (毎日新聞) - 11月18日11時1分更新

何か政治の世界は、市民感情とは程遠い身勝手さがある。身に掛かる火の粉は、右も左も同じように、自分に都合のいい結論を出す。

議員の定年制、議員報酬の削減、議員定数是正など、共産党から自民党まで、同じ答えを出す。賛成35、反対38だと?こんなもの出来レースに違いない。一応これで決着をしたと見せているだけだ。

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2006年11月 7日 (火)

豪勢な食事の老人会

神社の脇の街路樹に銀杏が実を付けている。梯子と伸びる剪定バサミでギンナンを採ることにした。1本の木から、100粒ほど収穫できた。ビニール袋に入れて手に触れないようにして揉みほぐす。それを炭バサミを使って実を取り出す。それを水で洗って新聞紙の上に干した。

さて今日は老人会である。代表がアユを大量に持ち込んできた。ガPhoto_106リ釣り(転がし釣り)で釣り上げたものだが、全部で50~60匹はいる。今年は雨が少なくて、川藻が無いから小さめだという。これを塩焼きにする。網焼きにして、手づかみで食べる。

この代表の息子が、魚市場の運転手をしていて、もらい物の冷凍のPhoto_107ブリ、タイのカマ、タコの冷凍、マグロの中落ちの冷凍がどさっと持ち込まれた。これ全部ただだという。タコは湯で戻して町内のご夫人がマリネに変身させた。

マグロの中落ちはまだ冷凍状態なので、天日干にされた。少しずつ溶けてきたのを、皿に盛ってモサモサ食べた。

ブリとタイのカマは、アユの隣で燃え盛る炭の上に油を滴り落としていPhoto_108る。これがまた食欲をそそる。

そして今日の主役のマッタケご飯の登場である。

町内35軒86人の住民の内、57人の老人会である。今日の参加者は20人ほどで、老人会予備軍も出てきてお手伝い。食べきれないほど出た獲物に、満足した。Photo_109

最後に、今日採れたてのギンナンを焼いて食べた。これがまた新鮮でよかった。帰り際にタコとブリカマの冷凍を頂いてきた。 明日これでまた飲める。

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2006年10月 8日 (日)

カラスの大量捕獲方法があった

段々日暮れが早くなってきたのか、カラスが市内に戻って来た。早朝起きるともうカラスは自分のテリトリーに出勤した後なので、姿は見えない。

ラジオ体操に行く途中の電線の下には、ものすごいフン害である。_002_11 写真は民家の玄関先である。_001_6

大通りには昨年も真っ黒になるほどカラスが止まっていた。場所によっては民家の屋敷の中を電線が通っているところもある。そんな民家はフン害で憤慨するが、どこに文句をいたらいいのか分からん。保健所、市役所、警察?

市役所の農業振興課には毎年相当数の苦情が寄せられているが、効果的な対策がないという。そこで近所の民家(お大尽の家)は屋敷が大きく、屋敷の中を電線が通っている。この家主は地元業界での実力者。憤慨して電柱をどけろ!と叫んだかどうかは知らないが、中電に苦情を言ったら、誠に素早く電線に太目のカバーを掛けた。確かにこの大きな屋敷の周りがぐるっと糞で囲まれていた。その時ばかりは、いつもきれいに掃除をしてみえる奥さんの姿は見えなかった。

このカバーは工事中の建築物のそばを通っている電線に被せてある、黄色いゴムカバーのこと。今のところカラスが止まっている様子はないから、効果はあるようだ。Oct0601_1

以前テレビで実験していた。生ゴミの周りを釣り糸で囲むと、どういう理由かは知らないが、カラスが来ないという。さて頭の良いカラスのにいつまで通用するか。

我が家の庭にカラスが来るようになったので、母屋と離れに一本釣り糸を張ったらそれ以後来なくなった。もう3年ぐらいカラスは来ていない。友人が柿をカラスの食べられると言うから、柿の木の上に長い竹竿を立てて、四方に釣り糸を張ったらと言ったやった。そうしたら柿の被害がなくなったというから、以外に、この手が有効かも。保障はしないが。

カラスの鳴き声の音符掲載したら、なんと京都大学霊長類研究所からメールで、犬山の山の中で「サルの鳴き声をまねするカラスがいる」という相談ではないが、私がカラスの声に造詣が深いと思われたのか、問い合わせがあった。驚いたのは私だ。京大から?それだけで私は「カァ~」と鳴いたがねェ。

この話しを妹にメールしたら、なんとこんなことを言ってきた。

「私も信じられないカラスを見た事あるよ!友人宅の近くの家が犬を飼っていて、その前を通り掛かったら犬が門扉の上にとまっているカラスに向かって吠えていたのよね、そしたらそのカラスも犬の鳴き声のマネして、あのカラスの声でワンワンだって!しばらく犬とカラスの合唱だったよ。
犬がカラスにバカにされているみたいだった。信じられない光景。友人宅に集まった、お茶のお稽古仲間に話したら、仲間達も半信半疑半笑い。そ~だよね」
ま~っ、キュウカンチョウとよく似ているかもね。
カラスを駆除して食べたらどうかね。
私のエッセイ集『鈍足ランナーの独りしゃべり』にカラスを書いた一項がありますのでよろしかったら読んでみて下さい。
この中にカラスの大量捕獲の方法が書いてあるぞ。

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2006年10月 6日 (金)

YS11引退で思い出した新幹線初乗り

Oct0106 私ね、YS11に一度乗ったことあるんだよね。某トヨタカローラ店でのセールスをやっていたころだ。

昭和45年セールスコンテストがあった。アルバムと販売記録を捜したら出てきた(この当時から記録魔でね、何でも残してあるから、記録してあった)。この年の1月に10台、2月8台、3月12台売れて、所内の誰もが活気付いていた。このお蔭で営業所は団体入賞して、白浜温泉の飛行機の旅が副賞に付いた。

この時乗ったのがYS11 であった。小牧飛行場から出発した。そのころは飛行機には一度乗ったきりだった。友人の雄次が昭和40年ごろ結婚して九州へ新婚旅行に行ったのをねたんで、もう一人の友人俊夫と、どうしても飛行機が乗りたいと、小牧の遊覧飛行機に搭乗したことがある。

コースは3コースあり、庄内川、名古屋テレビ塔、名古屋港の各折り返しであった。私たちが乗ったのは、テレビ塔折り返しであった。4人乗りで、パイロットと私たち2人と、もう1人が乗ってフライトした。タイヤがガタビシと音がするし、ドアーがガタガタ音を出すのが聞こえてくる。このようなセスナは怖かった。着地する時はドスンと落ちて、タイヤから煙が上がるのが足元に見えた。あの当時3500円ぐらいしたと思った。

今はどうかというと、あるんですね。名古屋キャッスルコース(名古屋城~熱田神宮~名古屋駅の15分)が大人7200円。ビックコース(名古屋キャッスルコース+名古屋港ガーデン埠頭)が9200円である。

YS11に搭乗した私たちは、ウキウキしながら白浜に向かった。伊勢湾から紀伊半島を迂回するように飛んで、白浜空港が見えてきた。それはそれは小さな空港で、本当にこれで着陸できるんだろうかと思ったほどだ。

機内は倉庫のようで、映画で見るような豪華な飛行機ではなかった。そうか、この懐かしい飛行機が引退するのか。思い出よ、さようなら。

そういえば、新幹線もこのころだった。昭和39年10月に走り始めた。私は直ぐに新幹線に乗りにいった。ボストンバックにナニヤカヤようもないものを詰め込んで、旅行を装って、名古屋から乗車した。

初乗りは米原までで、ここで降りて在来線に乗り換えて帰ってくるという、見栄を張った日帰り旅行の思い出がある。好奇心が強かったんだね。

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2006年8月30日 (水)

ガン封じ寺の真実

町内の遠足があった。途中西浦の無量寺というガン封じ寺に寄った。冗談で先代がガンで亡くなっているという話になった。住職の講話があるというから行くと、全編がお札の売り込みであった。

表の運転手に先代はガンで死んだという冗談話をしたら、どうもそれは本当らしい。バスガイドの中には、そのことをバスの中で話すのもいるという。考えようによっては、みんなの難病を一身に背負ったという解釈も成り立つ。そのせいか、境内に身代わり不動があったのは。秋葉神社が何度も火災を出しているのと同じか。

むかしはガンと言わず難病だったと門前の売店の人が話していた。寺は平安時代からの古刹で、厄除け難病の信仰の対象になっていた。

今日の参加者の中に、銃砲店の店主がいたので聞いてみた。「ガン=鉄砲」封じは宿敵ではないのか、これを真剣に拝んでいいのかと笑ったが余分なことか。

近隣の遠足程度だと、ガイドは案内も何もしなくていい。同じ県内を日帰りすると、案内なんて必要ない。こういうときのガイドは、ほとんど新人が来る。ほとんどウエイトレスと同じで、お茶を運んだりビールを運んだりと笑顔を売るだけでいい。時間が余ればビデオをかける。

ビンゴゲームはスイッチを押すだけ。ビデオになると「寅さんシリーズ」「釣りバカシリーズ」になるとイスに座って前を向いているだけで2時間は持つ。昨日は綾小路きみ麻呂の漫談を音声だけ流した。

岡崎の八丁味噌の「カクキュー」に寄った。ここはNHKの「純情きらり」の舞台になり、観光客で繁盛していた。味噌味風味のアイスクリームやビールも全てが味噌がらみだった。

ホームページには、「八丁味噌は、徳川家康に代表される三河武士も兵糧として持ち歩いた、固くて色の黒い濃厚な豆味噌。その名は、岡崎城から西へ向かって8丁(約872m)、矢作川と東海道が交差する八丁村で盛んに造られたことにちなんでおります。『カクキュー八丁味噌』は、今からおよそ360年前の正保2年(1645)に創業した、八丁味噌の老舗であります」

とある。大きな味噌蔵にはテレビで見た味噌樽の上には石が山積みになっていて、一樽が20万人の一日の味噌汁という。

「八丁味噌は、大豆6トン 石3トン 約2年寝かせたもの。桶の上で山をなす重石は、矢作川の河原の転石。これも八丁味噌にはなくてはならない重要な道具である。職人が、地震があっても崩れないほどしっかり積めるようになるまで、5年はかかるという」

小さな町内だからできる遠足で、和気あいあいの楽しい一日であった。

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2006年7月 2日 (日)

安売り旅行の不安 中止になっても旅行代金が戻らない

国内旅行を計画した。6月6日になって、最低催行人数に満たないから、中止と相成った。残念だが仕方がない。

こういう場合は、すみやかに返金されるのは当然である。ある旅行社の規定は下記の通りである。

●旅行中止の場合

  • お客様が最少催行人数(パンフレットに明記)に満たない場合は、旅行実施をとりやめることがあります
    この場合には、国内旅行にあっては、1泊以上の旅行は、出発日の14日前までにご連絡し、日帰り旅行
    は4日前までにご連絡いたします。海外旅行にあっては24日前、ピーク時に旅行を開始するものは34日前までにご連絡いたします。その場合は、お客様からいただいている旅行代金を全額お返しいたします

一週間たってもなんの返事もないので、13日にメールを入れたら、「当方の手違いで本日返金処理をさせていただきます」というメールが当日に来た。

6月15日に再度いつ処理をされるかの問い合わせのメールをした。ところがこれにはなんの返事も来なかった

それどころか16日になって同じメールアドレスに催促をすると、今度はメールが通信不可能になっていた。

このことを友人に話すと、電話で催促した。この時「まだこちらにありますから、20日には入金するでしょう」という返事であったという。

なんとなく胡散臭い気はしていたので、克明に記録は残しておいた。もしもの時には、これを消費生活センターに持ち込んでも、警察に被害届けもしてもいいと思っていた。金額も2万円そこそこで、数人分である。被害は少ないからという安心感もある。ドイツサッカーのチケットが手に入らないことを考えると、やけどは少ないと諦めかけていた。

21日に今回の返金を私の郵便振替口座に一括返金を依頼していたので、郵便局で確認したら、入金はないという。またもやうそを言った。

友人と私は交互に電話で抗議をしたら、これから払いに行きますという

そして22日の今日、やっと入金の確認ができた。返金の約束を何度も守らず、メールまで切って、こちらとの連絡を断とういという魂胆は、なにを意味するのか。今もって明快な返事が来ていないし、謝辞も来ていない。

この会社の実名は、ロータリー旅行(株)名古屋市中村区則武である。どこよリも安くという旅行を計画している。今回の教訓で、安かろう良かろうということに、いささか不安を感じた。とにかく金は戻ったが、二度とこの会社には近づかないだろう。

今回の件を、消費生活センターへ参考書類として提出、マスコミの友人とホテル関係の友人に情報提供を依頼した。被害者を未然に防ぐことになるかも知れないから。

旅行の手付けは、全額を払うもんでない。最小限度の支払いをしておいて、決定したら残金を払うことだという教訓ももらった。返金に不安を持った場合は、しつこく請求しながら記録をとる。あなたが交渉にたけた方ならいいが、そうでなければ、この記録を消費生活センターへ持ち込むといい。

蛇足になるが、こんな旅行社もある。突然キャンセルが出たので部屋を空けておくよりは埋めたほうがいい。どうせキャンセル料も入ることだからという募集がある。その代わり1週間以内の募集が多い。また日にちと人数を決めて募集を掛ける。でもよく読んでからにして下さいよ。読んでいるだけで面白いから。下のアドレスから「こだわり検索」で探すと面白い。

http://www.tocoo.jp/UserUI/do/uTop010Init.aspx?asp_id=0

あまり腹が立ったので、いろいろな色を使っちゃった。ごめん。

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