2013年11月22日 (金)

妙興寺の剣士

妙興寺という寺に毎日寄っている。ここにもうずいぶん前から、木刀で居合いの練習をして2


いる人がいる。確か薩摩の方の居合だと聞いたが気がないのですぐに忘れた。ところが最近3人に増えた。弟子ができたらしい。

この剣法は、
――無双直伝英信流(むそうじきでんえいしんりゅう)とは、江戸時代に長谷川英信が開いた武術の流派である。土佐および信州で継承された。長谷川英信流ともいわれる。土佐では長谷川流長谷川英信流無双直伝流無雙神傳流等さまざまな流派名が名乗られた。幾つもの分派があったと思われるが、明治以降残った二派を大江正路の門人達は谷村派下村派と呼んだ。谷村派は無双直伝英信流を、下村派は無双神伝英信流を称している。現在では土佐に伝わったもののみ残っており、別名土佐居合とよばれている。――である。

薩摩でなく、土佐だったか。八段の方の指導を受けて、いろんなことを想定して立ち合いをしている。木刀がカチンカチンと静かな境内に響く。その脇で木刀の響きを避けるようにギターの音色が流れる。ここの仏殿の管理人と、石段に座ってじっと聞き耳を立てる。

先日清須の方がここで映画を撮りたいという。それならば寺の事務方に頼んできなさいと口案内をした。話を聞くと、結構武者姿に憧れている方が多いらしい。信長が好きだとか、秀吉、家康、清正が…など好みが多いらしい。そんな方と神社仏閣を背景に撮影をしていると、またそれを見ている人の中に、そういう趣味の方が多くて、仲間が増えてきて、今では相当数の方が自家製の鎧兜で参加してくるという。

そこでこの妙興寺は無刀取りの発祥の地で、その説明をしてあげた。

――[柳生無刀取り発祥の寺]

普段法要とか講演・説教が行われる方丈(客殿)の南門の西に、「上泉伊勢守信綱修道跡」という小さな石碑が立っている。その案内には、柳生無刀取り発祥の碑である。

尾張柳生の本家の当主・柳生巌長(よしなが)氏の著『正伝新陰流』のよると、信綱が清洲から伊勢路への途中、妙興寺あたりにさしかかった時、村中が騒いでいる。

村人にたずねると、乱心者が子供をさらい、妙興寺の納屋に立てこもっているという。信綱は寺から法衣を取り寄せ、頭も僧形にまるめて、握りめしを2つ手に持って、乱心者に呼びかけた。

「見ての通り、わしは僧りょだ。仏に仕える身は慈悲を第一とする。聞くところのよると、その子は昨夜から飯つぶ一つ口にしていない。この握りめしを食べさせてやってくれないか。

乱心者が手をのばした。信綱はさらに呼びかけた。

「お前も一つ食べんか」

乱心者は抜き身を放して、もう一方の手を出そうとしたその瞬間、信綱は乱心者を取り押さえた。

信綱は弟子の宗巌に、無刀取りの技を完成させるように頼んだ。無刀取りとは、素手で敵に対し、剣を奪って敵を制することである。

宗巌がこの技を完成して、信綱から印可状を授かった。この宗巌がのちの石舟斎で、徳川家康に見いだされてから、忠勤にはげんだ。(テレビや映画では、幕府の裏側でいつも諸大名に隠密を送り、なりふり構わず、幕府を守るためならなんでも画策するという、後ろ暗い人物像がもっぱらだが)

のちの巌延の手記『兵庫由来記』には、信綱が妙興寺で乱心者を捕らえた話を、父祖(信綱・宗巌)伝承として記録している。信綱が妙興寺の庭にかがんで何気なく砂文字を書いていたら、突然乱心者に切り付けられた。とっさに刀のみねを両手で引きすえ、組み伏せたとある。

ずいぶん話が変わっている。兵法者としては、握りめしでごまかしたよりは、パッと素手で刀を受け止める方が、柳生家としてはハクが付く。どちらが本当なんだろうねェ。この分だと『兵庫由来記』が残っていくだろうなァ。

伊勢路にでるのに、妙興寺に寄るのは遠回りになる。そこを探ると、信綱は妙興寺Photo_2


に滞在して、禅の修業に励んでいる。剣禅一致の精神を会得するためだったらしい。――

剣士は、その話は「七人の侍」のおにぎりはここから出た話かと感心していた。

12月9日に撮影に来るという。楽しみにしている。
念の為に、この撮影監督のホームページは、http://kiyosu-movie.jimdo.com/でご覧下さい。侍も募集しているらしい。近々合戦があるかも。

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2010年4月12日 (月)

イカンがやァ、「水戸黄門」がなくなるって

ワシの生活サイクルはこの水戸黄門が起点になっている。頚椎と脊椎の手術をして以来、私のリハビリは、午前中はマウンテンバイクで30km前後走り、午後からうたた寝後に、ウォーキング&スロージョギング7km前後に出かける。

帰る時間が決まって、午後3時45分ごろと決めている。3時55分から、「水戸黄門」の再放送が始まるからだ。仲間もよく知っていて、その時間までは私と音信不通になることを知っている。携帯電話を持って歩いているが、出たためしがない。というよりラジオのイヤホーンが耳に入っているから聞こえない。それと少し耳が遠くなったのと騒音の中では、なかなか聞こえないからだ。(言い訳)

再放送だけはつづけて欲しいという嘆願書を出したい。

この水戸の黄門様に会えなくなると、生活のサイクルがクルクル狂ってくる。困った~っ。困った困ったこまどり姉妹。

以前こんなブログを書いた。

ーーー「エーイ控えおろ~う! この紋所が目に入らぬか!」

というセリフでご存じの、水戸黄門の印篭に入った葵の御紋、この葵の紋が大変たくさんの種類があるのを知った。

調べてみると、代表的なのが、丸に三つ葵、徳川葵、尾州葵、紀州葵、水戸葵、松平葵、会津葵、それから各将軍らが使った家康、秀忠、家光の紋、家綱の紋、吉宗の紋、家重、家治、家斉の紋、家慶の紋と全部で204種類もあった。

驚いたねェ、さすが名門。だからさァ、黄門様が

「助さん、角さん、もういいでしょう」

と、のたまうのが8時45分で、そして、

「静まれ~ッ静まれ!・・・・・この紋所が・・・・」

と、くるんですわ。

そこで、ヘヘェーと素直に平伏さずに、ちょっと疑い深く、

「チョット見せて?」

といって、よーく見てみる。(どこかのコマーシャルで聞いたセリフだなァ)

ひょっとして、別の紋所を出しているかもしれないからねェ。 

あの紋所を掲げるたびに、世の中がどんどん平和になる。たまには、Photo

「なァ助さんや角さんや、今日は印篭を出さなくてよかったね」

といえる日があるといいのにねェ。

そうなると視聴者は怒るだろうなァ。テレビが壊れない程度に、タマゴやトマトをぶつけたりして・・・・・。ーーー

必ず正義か勝つという安心感が、ボ~ッと見ていても、心休まる。由美かおるが出ないのが寂しい。

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2009年2月 2日 (月)

女がドキッとする男の魅力とは? でも 白州次郎は知らないだろう

こんなニュースが流れた。

ーー毎日コミュニケーションが運営する女性向けポータルサイトは、2009年1月27日、「ココにドキッ!? 20代女性が思う『女性をトリコにする「男の武器」』ランキング」を発表した。1位は「声」(22%)、2位は「指先」(16.6%)で、その後には「背の高さ」(16.2%)、「筋肉」(14.8%)、「肩幅」(11.8%)と続いた。この調査は08年12月、escale cafeサイト内で、20代の女性約500人に「男性のどこに一番魅力を感じるのか」と聞いたもの。ーー

である。最近の私は、人畜無害と見られているのか、若い女性からもよく声を掛けられる。尋ねられる内容は、大方住所を聞かれるか、駅や病院を聞かれるぐらいだが。

でも不安がられるよりはいい。でも人畜無害という扱いは、少し寂しいが、事実であるから仕方がない。

1位:声はどちらかと言えば、かん高いほうで、声は大きい。さて魅力がある声とは言い難い。

2位:指はとても長くて白いとは言い難い。どちらかといえば、日に当たり過ぎた日焼け色で、短くて、節くれだっている。

3位:背の高さは168cmで、このごろは、175以上ないととても魅力がありドキッとはしない。170を切ると、人陰に隠れてしまい、見向きもされない。こうなると残り少ない中に、当てはまるものがあるのだろうか。

4位:筋肉は隆々という訳ではないが、プックリと乳房が出ているのは、普段からの不摂生の成せる業、アルコールの副作用で、女性型に近い存在だ。

5位:肩幅というが、もうだめだ。何も当てはまるものがないではないかっと、ガックリと肩を落とす。

まァ、他人事と諦める。だが、世間にはそういう男がいたんである。以下週刊誌を書き写したものがある。

白州次郎は、昭和60年に83歳で没しているが、比較的最近の人である。こんな凄い日本人がいたことを、私が知ったのは、昨年の5月の雑誌「サライ」の特集を見てからである。
 
写真を見るとたしかにカッコいい。戦後間もない頃なのに、ジーパンとTシャツ姿をしている。アメリカ映画の一場面のようで、何となくジェームス・ディーンを彷彿させる。公式の席ではイギリス流の紳士スタイルを貫いた。

結婚相手は樺島伯爵令嬢正子で、後に古美術や古典文学関係の作家として有名になった「白州正子」である。

兵庫県芦屋の富豪・白州商店の御曹司。イギリス・ケンブリッジ大学を卒業し、イギリス流の紳士道を身につけた。身長180cmのハンサムボーイで、生涯スポーツカーを乗り回した。

生まれも、育ちも、容姿も申し分ない。しかし、これだけでは「日本で一番カッコいい男」とは言えない。白州次郎が、「カッコいい」真骨頂を発揮したのは、戦後占領下である。

戦後GHQに平身低頭していた官僚たちの中で、一人自分を押し通し、「従順ならざる唯一の日本人」と、GHQが本国に連絡した骨のある人物だった。

気になる方は、検索するとたくさん出てくる。ぜひお調べを。http://www.page.sannet.ne.jp/tsekine/syouzou.htm

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2008年3月 5日 (水)

右と左 どちらが偉いか

NHKの朝ドラで、「ちりとてちん」をやっている。この中の落語で、一人で二役の会話をする場合、どっちを向いて話すかで、どちらが身分の上で、どっちが下かをやっていた。

演技者の右が(大家・旦那)上で、左(店子・丁稚)が下であるといPhoto う。へっ?これは初めて知った。

まァ結婚式で、向かって左が男性で、上座になる。(ゴメンね、またこんなこと言うと、噛み付いてくる田邊何とかというやかましい女が、看護婦の「婦」は蔑称だと、騒ぐバカがいる)

今回はネタ切れで、以前に書いた私のエッセイ集、『鈍足ランナーの独りしゃべり』を読んでちょうだい。

「152.doc」をダウンロード

ゴメンね。てぬきで。

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2008年2月 5日 (火)

なんでも鑑定団の裏側

もう4年も前に尾西へ「なんでも鑑定団」が来たことがある。友人がこれに出演するというので、誘われた。

一人の出場者に家族友人5~6人までは、特別に誘ってもいいことになっているらしい。座る席は舞台の真ん前の正面5~6列が家族席になる。いつもよくテレビに映るところだ。

しかも会場は、もう今日の観客が並んでるのを横目に見て、事務所から「関係者です」と伝えると入られた。しかも入場するとなんと弁当が出た。関係者全員に弁当が出たのである。

舞台の裏側で、女性がアイロンをかけている。なにをかけているのか聞くと、お宝にかける紫色の布であった。色々あるんですねェ、裏側と表の落差がおかしかった。

観客より少し早めに席に座ると、デレクターからいろんな注意事項を聞かされる。まず拍手の仕方である。

  1. こまかく
  2. 早く
  3. ハギレよく

注意事項は、

  1. 拍手をする
  2. フラッシュをたかない
  3. 携帯の音声を出さない

そしていよいよ司会役の大きなネクタイのお兄ちゃんと、女性が出てきた。「なんでも鑑定団in尾西」と声高らかに開会を宣言する。そして鑑定士の田中太、中島城之助、安岡路洋が登場した。

この出場者のトップは、誰か知らされていないという。トップと言われると相当に緊張するから、わざと言わないらしい。これは初めて知った手口だ。

友人の出品は、「香口という小鉢」である。名古屋の吹上の古物市で4万円で購入した物を持ち込んだ。底には「加藤為吉」と銘が入っている。鑑定結果はなんと35万円ついて大喜びをしていた。彼の宝物がまた増えた。

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2006年9月 8日 (金)

松本引越しセンターのコマーシャルの子役は今どこに

今から何年も前のコマーシャルを、堂々と使っている。松本引越センターだ。経費が無いのかと思いたくなるが、その一方、この子が可愛いんだわ。

「キリンさんが好きです。でもゾウさんはもっと好きです」

このコマーシャルなんだわ。これを見ていて、ついつい私もうなずいてPhoto_58 しまう。僕もゾウさんが好きですと。この子はもう幾つになったんだろう。もう中学生か高校生か。

今どうなってるか知りたいものだ。なかなかの美人になっているんではないかね。チョコット調べてみるか。

2002年当時3歳という。この子は利久ちゃんといい、オーディション人数は東京・大阪・名古屋で合せて150名ぐらい。モデルとしてすでに活躍している子もいれば、一般の子もいる。そんな中から9~10人を選び、全員を撮影しました。なにしろ小さな子供たちですから、カメラの前でイザ本番となると、泣く子、奇声を発して走り回る子、いろいろいますよー。中には本番待ちの間に熱を出す子もいたし、お母さんは必死なのに子供さんは固まってしまって声もでない・・・とかね。ホント、毎回たいへんですよ。と、当時の撮影を回想する。

この話は松本引越しセンターのホームページに出ていた話(気になる方はご覧あれ)。私はもう10年ぐらい使っているコマーシャルかと思っていた。だからもう中学か高校生になっているかな、なんて思っていた。そりゃ美人になっているだろうなと思いにふけっていた。だが只今小学校1年生か。女性の年なんか暴露して、失礼しました。

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