2011年11月20日 (日)

読書本に付せんをつけて

私の読書は雑読である。

本は片時もなく手元に積んである。昔は車に積みこんで、信号待ちになると読んでいた。昼休みにも読んでいた。寝るときは寝ていても読める照明付きのスタンドを枕元に置いてある。これに本をセットすれば、寝ながら読める。トイレに入るときも本や広告チラシ、地図、新聞と活字があれば何でもいい。ただパソコンに解説書などという難しい本は持ち込まないようにしている。出るものが出なくなるからだ。

読書中に気になったニュースや記事、文章にポストイットという付せんをつけるクセがある。これは何のためかというと、後でパソコンに「メモとしてフォルダー」に入力しておいて、自分の文章の参考として利用させてもらっている。盗作せずに、引用するのである。もちろん作者や著者の名前をきちんと書き入れる。

雑学本によくある手口は、巻末を見ると、膨大な参考文献・資料が列記されている。それはまるで写し絵の様である。それが堂々と書店に並んでいる。名古屋弁の著書を多数出版しているマイタウンさんが(私のブログにリンクされています)、名古屋弁の出版物が勝手に利用されると嘆いていた。

19日は一日雨で全く出られず、一日中パソコンに向かっていた。読書本の付せんがついたものが、入力されずに放置状態になっていた。それを一日中打ち込んでいた。

もう一度読み直しているようで、忘れていた文面を思い出していた一日であった。

幸いなことに、パソコンを入れ替えて、ウインドウズ7の替わった。これがなかなか手ごわくて、あまりにも多機能で、使い勝手が分からず往生していた。今日はいい練習ができた。

写し絵的雑学本の手口と、わたしの読書本のメモとは、何ら変わりはないようような気がする。ものを書くということは、どこかで誰かの知識・資料を必要としているのは確かだが。

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2011年2月 5日 (土)

魚の名前・方言に出てくる珍名

これは『魚の素顔』安田富士夫著より。この本は福祉のイベントで100円で売られていたものだが、大変面白く読ませていただいた。中古本市場では600円からオークションされている。出版は1975年である。よくこんな本が出てきたなァ。このとき同じダンボールの中に、『一禅僧の自伝』河野宗寛著(1970年出版)があった。これはすでに持っている本だが、この僧侶の値打ちを知らないから人らには無縁の本だ。さっそく100円で購入した。後で調べえると、アマゾンでは1800円で売られている。

さて魚の話に戻る。

イソギンポ科・ヨダレカケ

スズキ科・オヤニラミ、目の後方にあたかも目と同じような斑紋があるから、ヨコメウオという方言がある。

ミノカサゴは背びれや胸びれに毒がある。まるで角を出しているようだから、方言でヤマノカミ

チョウチョウウオはオドリコ

イソギンチャクと共生するクマノミは頭に白い帯があるから、ハチマキとかチンチクリン

タカノハダイ科のミギマキは、昔、色あざやかで常に濃艶はオケイという女がいて、これによく似ていることから、オケイサンと呼ばれた。

タカハダイ科タカハノダイはヒダリマキ。高知県柏島ではオカシカウオと呼ばれている。

ネンブツダイは口に卵をくわえて孵化するまで保護をする。この父性愛にもかかわらず、横浜ではオンシラズという。

イソギンポ科クモギンポは、和歌山県白浜でテガミノオッサンとか、ユウビンという。まさか、ユウビン屋のおっさんに似ているからとは思えないが。

フグ科のサバフグは宮津でサンキュウ。

何か駄洒落のような名前が多い。漁師が楽しんでつけたんだろうか。

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2010年6月20日 (日)

小冊子の季刊号がもう29回になった

創刊が平成15年7月である。愛知トヨタの先輩から声が掛かり、仲間に入った。愛知トヨタに勤務したのは5年で、傍系のトヨタカローラ愛豊でセールスを始めた。

この仲間たちもほとんどが定年退職して、気楽に原稿を書いている。季刊発行だから3カ月に一度、愛知トヨタの組合事務所を借りて製本作業をしている。いつもこの作業には4~5人出てきて、世間話をしながら約1~2時間ほどで終わる。

毎回15人前後の投稿があり、もう8年目に入る。よく続いているものだ。音楽、登山、旅行、マラソン、エッセイ、小説と多岐にわたっている。それぞれの趣味の世界を披露しているようなものだ。

最近定年して時間ができたんだろうか、旅行記が多くなってきたのも、そういう年齢層の投稿者が多いということだ。

いま29号ですので、11月には30号記念号となり、読者から原稿を募集しようかという話になった。

7年も経つと、亡くなった人も2人いる。時間の経過はいかんともしがたい。

そういえば、同窓会でも、2年毎にやっていたら、こんなことを言うヤツが出てきた。「オレもう2年先は生きていないかもしれん。だから毎年やって欲しい」という。高校の同窓会で、先生は早く亡くなってしまった。他のクラスの同窓会の先生は、「毎年やってくれんと、ワシはもう80歳になる。先が無い」とぼやくらしい。

この小冊子の製本作業も、短時間だが8年も続くと同窓会のようなもの。全部印刷会社にやらせると、仲間の顔も分からなくなる。これだけは私らでやろうと、笑った。

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2009年12月 2日 (水)

なんと、『一禅僧の自伝』が、バザーで100円で出ていた

妙興寺の帰り道、彦田公園に人がたくさん出ているのでのぞいてみた。テントがたくさん並び、人で埋まっていた。

福祉関係のバザーと分かった。一通り見て、八百屋のダイコンがとてもでかく、葉がしっかり付いている。このダイコン葉の味噌汁がとても好きだし、ダイコンの葉とシーチキンの煮付けがうまい。ギンナンが一袋300円が気に入った。これも購入した。

すぐそばで餅つきが始まった。すぐに行列ができた。大根おろしやきな粉で食べられる。

障害者が自分の福祉施設のテントへ呼び込みをやっている。こんなにたくさんの人を集める力がある。恥ずかしいがもう何年のやっているというのに、まったく知らなかった。

コスモスなどから提供された古着が、山と詰まれている。それに人がたくさん物色している。以前ここへ古着を持っていったときに、古着は売れないとぼやいていた。いまの景気ではさもありなんと思う。

後ろには、古本やCDが100円で売られていた。それもプラスチックの箱が山と詰まれていた。この箱を何度も積みなおして、おや?という本を見付けた。宝物を発見したような気がした。すでにこの本は一冊もっている。

妙興寺の第十八世老師・河野宗鑑が書いた、『一禅僧の自伝』である。書いたというのでなく、録音して文字に起こしたものである。あまり自分のことを話したがらない老師が、自伝を書く話を持ち込まれたときに、それが「何かの役に立つなら」と、取材に応じられたという。彼の人生が語られている。

妙興寺の仏殿の南西に、小さな歌碑が立っている。それに掘り込まれた歌は、「親のなき子等をともない荒海を渡り帰らんこの荒海を」である。満州から孤児を300人救い出して連れ帰ってきたときの歌だ。この『一禅僧の自伝』の函に、こんなタイトルが書いてある。

ーー妻をめとらず、財をもとめず、三世因縁を信じて、参禅学道三十年、硬骨をもって鳴る一師家が、一変して戦争孤児の親となり三百の子らを擁して敗戦の満州から引き上げてきた。ーー

古本の市場では、高値7000円が付いているしろものだ。値で買ったのでなく、もう一冊あってもいい本だと思ったからだ。

この河野宗鑑氏は、満州においても、終戦前後、多くの僧侶が迫害を受けたが、彼だけには触るなというくらい、人格者だったという。敵味方無く誰にも愛された僧侶だった。そして敵味方の支援を受けて孤児を連れ帰った。壮絶な歌日記である。

この本のことを、歌碑の裏の説明から『慈眼堂歌日記』からの引用と知り、その足で図書館の走った。借りて読んでとても感動した。この老師をぜひ知って欲しいと、こ002のブログに書いて紹介させてもらった。

ある時、オヤジの在所で法事があり、そこへ妙興寺の老師が来てみえた。食事のとき、老師に、河野宗鑑氏をブログで紹介させてもらった話をしたら、なんと老師が読んで見えた。書いた私のことを、きっとこの近くの人だと思っていた。一度会ってみたいと思っておられたという。一度妙興寺へ来るようにというお招きをいただいた。宗教心はないが、妙興寺という場所が好きで、最近は毎日行っている。

参拝者があれば、寺の歴史や裏話、妙興寺のパンフレットにない面白話をしてあげている。臨時案内人を勝手にやっている。

後日改めて、妙興寺の老師の部屋でお会いできた。宗教心のない私が老師と話す内容は、なんでもない世間話であった。その帰りに、この『一禅僧の日記』『妙興寺散歩』『慈眼堂歌日記』を三冊頂いてしまった。

これらは全て初版本で、しかも発行部数が少なくて増刷していないから、高値が付く。また値段のことを言ったが、私の本はそうと読み込んでいるから、本の状態からするとよくはないので高値を付かない。だが私のお宝であるから、売らないのである。

  • 『一禅僧の自伝』7000円
  • 『慈眼堂歌日記』8000円
  • 『妙興寺散歩』  3000円

私のブログで、『すごい和尚がいた』というタイトルで七話にして連載しましたので、検索してご覧下さい。感動しますよ。

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2009年9月23日 (水)

メール便に出る苦情

近くの酒屋に頼んで、3カ月に一度小冊子の発送を頼んでいる。

今までは郵便局で発送していたが、値段が140円も付く。今年に入って発送部数が増えたので、この金額に年金生活者はいささか往生していた。30部を郵便局で送ると、4200円。一回飲みにいける。悩んでいたら、小冊子の編集者が、運送会社がやっている「メール便」ならば、80円ですむから、それにしたらという。

そこで近くの酒屋のメール便を使って送ろうとすると、そこは運送会社とメール便の契約をしていないという。そこで運転手が取次店に気を使って、近くのコンビニでやってくれたという。

先回は当たり前と思ってたが、今回は酒屋が断ってきた。契約しても、10%もない手数料で、その割には、苦情が多いらしい。苦情の内容は、「届いていない、どうしてくれるんだ」というのがほとんどだという。だからいま運送会社との契約を断ってくる取次店が増えてきているという。

郵便局なら苦情が出ないのだろうか。書留にしないと届かないこともあることは、送り主は承知しているはずだし、窓口でそれを確認されている。

だからこれからは、コンビニで送ることにした。私の場合は、届かなくても、送られたことすら知らない相手に、無理やり私が書いた小冊子のエッセイを読ませようという魂胆が、せっせと書き込んでいる。いまの私には、いいストレス解消と、ボケ防止になっている。

送られた方よ、我慢してちョ。

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2009年4月26日 (日)

まんじゅう本

私が生涯でただ一冊出版したのが、『鈍足ランナーの独 りしゃべり』 Apr2503_2 なんです。でも生涯というが、まだ終わっていないけれApr2502_2 ど。

私が車のセールスをしていたころに、お客さんとのコミュニケーションにと、エッセイを月に2号ずつ9年間発行していた。それも手書きのエッセイを届けていた。なぜ手書きかというと、パソコンが使えなかったのと、手書きの方が温かみがあり、活字だと、たぶん読んでもらえなかったからだろう。それが退職する時に190号までたまっていた。

いつかきっと、これを本にしたいという、淡い気持ちを持ち続けていた。お客さんからも、「本にしやァ」とよく勧められていた。書くことの好きな人はそんな気持ちが強いだろう。

いま、昔勤めていたAトヨタの小冊子のグループに所属して、季刊発行しているが、それも23号で、もう6年続いている。よく続いているよなァ。この中の何人かは、自費出版している。本当に活字が好きな人らだ。

先日親友の車屋のY君の店に寄った。彼の店に、私の本をいつも置いていてくれて、時々入院されたお客さんのお見舞に、この本を持っていくと喜ばれると笑っていた。そこでもう5冊持ってきてと注文を受けた。ギャハッ!臨時収入だがやァ。なんてったって一冊2000円もする。

高いって?冗談抜きに、まず重い、内容は軽いジョークの連続だが、自重750g、350頁、145項目もある重い本である。片手で読んだら手を捻挫する。電車で読んでいたら、本の角で他人が怪我をする。三冊で枕になるし五冊で漬物の石の代わりができるという代物が出来上がった。

この本の出版にあたって、校正などずいぶん世話になったマイタウンさんのところで、最初300冊刷った。それが3カ月でアッという間に出ていってしまった。今までの手書きのエッセイのファンがいて、しかも前宣伝が行き届いていたから、売れ行きは早かった。追加して100冊印刷した。この時に彼は、これからは「まんじゅう本になるぞ」と言った。「そりゃどういうことか」と言うと、なんぞごとあるたびに、まんじゅうの代わりに持って行く本のことを言う、といわれた。

そこで今まで印刷した400冊の内、贈呈したのが何冊あるか調べたら、79冊贈呈になっていた。アハッ、なるほど、それも追加印刷したものほど贈呈が多いこっとを知った。さすが出版を手がけているだけよく知っている。恐れいりました。

これを売るうたい文句は、「トイレに一冊」である。一勝負する内に一項目読める。これは入院中の暇な人にはもってこいの、肩の凝らないショートエッセイ集だからだ。

まだ40冊の在庫があります。お急ぎ下さい。

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2009年3月25日 (水)

脱稿するということの難しさ

私が『鈍足ランナーの独りしゃべり』というエッセイを書いたとき、友人のマイタウンさんに校正していただいた。この時私はまだ校正とか推こうとかの意味が分からず、何度も返されてくる原稿に、相手をうらんだ事がある。どうしてそこまで意地悪なことを言ってくるのかと。

いま小冊子のグループに入り季刊号を発行してもう24号になった。この編集者と校正のやり取りをして、初めて校正推こうの大切さを教えられた。

いまはパソコンで原稿を書く。これをそのままで校正推こうすると、必ず間違いを起す。一度紙面に移して校正しないと、まったくできないことを知った。

誰だったか覚えていないが、「編集者は、一番大切な読者」と言った作家がいた。今それを痛感している。

阿刀田高さんが、『まじめ半分』の中で、こんなことを言ってみえる。

脱稿は、ホッチキスで“ガャチャン”と音がして脱稿ではない。一応完成は見たものの、何度も読み直して手を入れる。優柔不断なのよねという本人。

音読してリズムのおかしなところがないか、論理の矛盾がないか、同じ表現を何度も使っていないか、誤字脱字は。「今度こそ」と思い机に中に入れておいてまた読み直すと、陳腐な表現や誤字が出てくる。

校正推こうは、おろそかにできない。

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2008年12月13日 (土)

廃品回収で拾った本

今日は廃品回収の日だ。町内の回収場所に出かけると、なんと8冊ほどの古いがキチンとしている本が、函に入った状態で縛ってある。よく見ると図鑑のようである。

以前故伊藤一宮市長が書いた自費出版された本が2冊出ていたので、拾ってきて読んだら、戦後の一宮が実によく書かれてあった。こういうことがあるから、廃品で出された本をつぶさに眺めるのである。他所の町内まで出かけることはない。

今日拾ってきた本は、

  1. 世界の酒 ひかりのくに刊 農学博士 住江金之著 昭和38年(定価2800円)函付
  2. 高山植物 保育社 前沢秋彦著 昭和49年 (1800円)函付
  3. 戸隠の植物 信濃毎日新聞 丸山利雄著 昭和57年 (1600円)
  4. 原色花卉図鑑 上下 保育社 塚本洋太郎著 昭和37年 (各1100円)函付

これである。図鑑はいいねェ、眺めているだけで時間が過ぎて行くから。こういう高額な図鑑を買う気にはなれない。

白米10kgの値段から換算してみよう。現在は4576円する。

  • 昭和37年当時白米が980円だから、2200円の本は10274円の当たる。
  • 昭和38年、白米が1100円、2800円の本は11648円
  • 昭和49年、白米が2520円、1800円の本は3240円

結構値がついている。1万円もする本はおいそれと手が出ない。

まてよ、これって中古本ではいくらで流通しているだろうと、バカなことを考えた。

「スーパー源氏」で価格を調べてみた。そうするとなんと結構いい値段で売られているものがある。

1と3は流通していなかったが、2は1980円~500円。4は上下揃っていて4200円~2000円の値段がついていた。だから今日は6180円から2500円の拾い物をしたことになる。

さて、これをわが町内のどなたが捨てたんだろうか。手がかりを捜し始めた。山好きで、花好きで、酒好きということだ。酒の本をペラペラやっていたら、ブランデーの項に赤丸がついている。なんと高級な、ヘネシー5品種、マーテル3品種、ビスキー4品種、クルボアジェ4品ラーセン、レミーマルタン、サリニャック種等など。他にもウイスキーシーバス・リーアル、クイーンズ・キャッスル、ホワイト・ホース等にもたくさんの丸がついている。ワシの飲んだこともないものばっかし。

こりゃ、もうこの本の持ち主は判明した。この町内には2軒のT家があり、AクラスとBクラスのお大尽住んでござる。念のためわが家はH~Zクラスだからね。そのうちのどちらかだろう。他はこんな高級酒には縁がないからだ。せいぜい日本酒か焼酎だから。でもAクラスの人は山に行くだろうか、そんな時間はないはずだ。なにせ社長をやっていて、公の仕事もずいぶん抱えているからだ。

図鑑を開いたら、名刺が落ちてきた。見るとなんと思った通り、BクラスのT家の若旦那のものだった。読みが深いね。

こういう本に出くわすから癖になる。乞食を3日やったら止められんというからなァ。

これで年末の宝くじでも買ってくるか。

チョット待て!!2007年に芥川賞を取った『アサッテの人』諏訪哲史著がエライ値段ついている。初版本で帯付き上物で5000円だと(定価1500円)。ワシと、この諏訪さんは一番近い他人(マタイトコの子)という血族関係にあたり、しかも本人のサイン入りをもらった。恐ろしい。金庫にしまっておこっと。

ワシの友人に古本を商売にしているにが、チョクチョク家に遊びに来るからな。隠しておこっと。

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2008年1月16日 (水)

なんだと~ッ! ワシに本のカバーをデザインをしよってか?

近くに住むマラソン仲間の、マイタウンさんが、出版する著者から本のカバーを依頼されたという。

少し水ににじんだ暖色がなんとも柔らいかい雰囲気が好きだから、と自分の好きなカバーを持ち込んできたという。

それを持ってわが家に来た。なぜワシに頼みに来たかというと、実は、マイタウンさんが絵の具を持っていないから、アンタがいつも描いているから、絵の具があるだろうから描いて、と持ってきただけだ。これぐらいなら自分でも描けるがという。ならば自分で描けばいいのに。

でも最後に、「飲み代ぐらいは払えるから」という甘い言葉に引き受けた。

今年はなんか年頭から、引き受けることが多いな。氏子総代を引きPhoto 受けたり、カバーのイラストレーターを引き受けたりと。ワシねっ、この近くのマラソンクラブから大会のイラストを頼まれたことがある。県立木曽川高校ブラスバンド部の、定期演奏会のポスターも友人から頼まれて、酒一升で描いたことがある。その時から「酒一升のイラストレーター」として名を馳せている。

今回は飲み代が出るという。早く描いてやろうっと。現物支給か現金に替わっただけだが、酒につながりがあることに変わりはない。

そのうちに、宝くじの当たり券を引き受けることでもありゃいいんだが。

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2008年1月 9日 (水)

自費出版の手口

「う~ん、う~ん」

「何やってんだ?」

「産みの苦しみ。う~ん」

「男のおまえが産みの苦しみだって?」

「いま50号目を書いているの」

5年前に出版した『鈍足ランナーの独りしゃべり』が、まだ生まれて間もない、やっと待望の50号を迎えるころの話である。このごろ今回の出版で大変世話になったマイタウンさんから、

「50号になったら本にしようよ」

という甘い言葉にセコセコ書いていた。これで50号になったというなにか一つのハードルを越えたような気がしていた。

「本か・・・・いつかこれが本になるといいのになァ・・・・」

という気持ちが、心のどかに芽生えていたころだった。

そこで以前から気になっていた、自分の文章が専門家からどう評価されるかということであった。よく新聞で「あなたの原稿を募集しています」という出版社の広告があるでしょう。ここに原稿を送ってみようと決心した。新聞や公募ガイドという本なんかには、6社ぐらい原稿を募集している広告がでている。そのうちでよく見かけるN社とT社に原稿のコピーを送った。

半月ほどしたら大きな封筒が両社から送られてきた。

封筒を開けるときの気持ちは、期待半分恐ろしさ半分。こんな気持ちどこかで感じたことがある。そうか、通信簿をもらうときの気持ちだ。もらった通信簿をそっと開けて頭を突っ込み、目を点にして見ても、ちっとも代わり栄えしない成績に、「ヤッパシ」と納得したものだった。あの時と同じだ。

封筒の中から出版社の会社案内や出版物の広告が入っており、そして成績表というか、あなたの原稿を当社はどういう評価をして、どういう販売タイプにするかが、細かく書いてある説明書があった。まずN社は、

「ご応募ありがとうございました。弊社社長による審査の結果、Bタイプでご案内できることになりました。ご相談などできますので、一度ご連絡いただければと思います」

ではT社はというと、

「大変貴重な原稿お寄せいただきまして恐縮でございます。全編を拝読させていただきました。大変な力作でぜひ世に出して欲しい一冊と存じます。よろしければ以下ご検討いただければ幸甚でございます」

とあった。そして両社ともBタイプを勧めている。

このタイプには、A,B,Cと3段階あり(T社ではⅠ、Ⅱ、Ⅲ)、

Aタイプは、必ず5000部(T社は、3000部)以上売れるであろうと予想できるもの。これは企画出版となります。発売元は全国書店ルートにコード番号を持っている会社に委託販売する出版。

Bタイプは、原稿はとても魅力的であるためAタイプにしたいけれど、3~5000部以上売れるかどうか踏ん切りがつかない、さりとて完全自費出版のCタイプでは著者の労に報いることができない・・・・・そこでこの本に書籍コードをつけて書店注文より販売できる形をととのえて出版してみよう、その売れ行きが良好なら二刷りから著者持ち出しなしで、印税率を上げて出版を続けていこう。ただ初版に関してはCタイプと同じ金額、四六判140ページで175万円(T社では、B6判200ページで165万)のところを155万円(T社では、120万円)。そして本は著者に500部(T社は100~200)とし、預かりを500部(T社は、600~700)とします。

●Cタイプは全額個人負担する。

全体の80%がBタイプらしい。

ここでマイタウンさんにこれを見てもらったら、恐ろしいことを言った。

この商法はインチキが多くて、たくさんの人が泣かされているという。ねずみ講のように多額の金額を損するのでなく、夢を奪われるという。

本にしたい、書店に自分の本が並ぶのが見たいという夢が筆を走らせているのだが、そこをこういう出版社は巧みについてくる。

このBタイプの預かり分に、書籍コードをつけて書店からの注文に応じられるようにする。

国会図書館に納入する。

あなたの書籍は書店に。

印税は初版から支払います。

新聞など広告も当社の負担で行います。

日本全国書籍、蔵書目録、日本書籍総目録、ウイークリー出版情報、出版ニュースなどの本の紹介がのりますので、それによって書店から注文が入ります。

全国書店15000店の中から厳選された有力書店に販売促進ができます。

全国のどこの書店からも注文の応じられますから、返品率はゼロです。

ところがマイタウンさんの話によると、積極的にPRどころか,製本するだけで書店には並べてくれないという。

「あ~ァ何ということを、印税で豊かな老後を考えていたのに・・・・・つれないことを言う」(印税は大げさですが)

でもねェ、マイタウンさんは出版もやっている。同じ部数を彼に製本を頼んだら、完全版下(校正しないでそのまま本にする状態)にして原稿を渡せば、同じ部数で100万円以上違ってくる。ただし書店には並ばないよ。(書籍コードを持っていないので、流通にのらない)

自費出版なら、自分が納得していればいい。だからと言って、納得できる内容でないといかんぞ。自分だけ納得していてはやっぱり印税は夢のまた夢だし、上達がない、とマイタウンさんは笑う。

「ア~ッ甘い夢を見すぎていたか」

これが今問題になっている、自費出版である。もう少しで私も引っかかるところでした。

私は車のセールスをしていて、お客さんにA4サイズに手書きのエッセイをコピーして渡していた。定期訪問するときに持って行った。これが結構人気でしてねェ。9年間に190号ぐらい書いていた。これをまとめて、退職を機会に本にした。もちろん流通にのらない本だから、これも手書きのPRを書いて、今ままで読んでいてだいたお客さんや友人に配布した。お客さんの本屋さんにもおいて頂いた。300冊刷って、2カ月ぐらいで売れので、100冊増刷した。もう手元には50冊もない。

でも本屋に『鈍足ランナーの独りしゃべり』が並んだ写真は、シッカリ撮ったわさァ。少しだけ夢が実現した。

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