2015年1月15日 (木)

新入学する子供の親が戸惑う和式トイレ

昔はぼっとんトイレが主流の時で、ウンコが落ちると跳ね返りがあった。それをいかにかわすが主役の業なんだ。主役というのは、いまウンコしている人のこと。ニースはこんな具合に流れていた。

――「入学前に和式トイレを使う練習をした方がいいと言われたが、練習する場もない」。ある母親は困惑した表情で話す。小学校に入って初めて和式トイレを使い、座る位置さえわからず、トイレを汚してしまう子供も多いという。――

そうだなァ、今どきの子供、和式を知らないから、どうやって座ったらいのか。まさかそのまま尻を下してしまうのではないだろうが。金隠しに座るとか背中にして座るとどうなるか、想像するだけでも、なかなかこれも業のいることだなァ。

さてさて知らない人がいるんだなァ。公衆トイレに行けば、多くは和式なんである。なぜだろう。家庭内のものはいつも家族が清潔にしているからいいが、公衆トイレとなると、洋式なら毎日掃除には来るが、翌日まで何人座ったか分からない洋式では、なんとなく不潔な感じがするからだろう。

そうだ、ひとつ伝授してあげよう。我慢できずに飛び込んでから紙の無いことがある。あなたならどうします?トイレットペーパの芯しかない。ならばそれで抉る(えぐる)という手もないでもない。やってみたことがあるが、うまくできればいいが、運が悪いと手におえないぞ。もともとトイレそのものがないところならば、木の葉っぱで縁がトゲのない物、あってもよければやってみろ使い物にならないから。これを丸めて抉るんである。田んぼにフキがあれば、名の通り拭きやすい。

では問題の紙の無い場合は、水洗があるという条件で、水を流しっぱなしにして、水を手ですくいその水で尻を洗う。これはマラソンをやっていた時に覚えた。この後カレー屋に入ると往生する。

でも、ご安心を、インドはほとんど水で洗っている。トイレに入るとき、空き缶に水を入れて入室し、処理をする。そして一日中カレーを食べているから。世界で30%が紙で処理しているっといいうから、水(川や海)、葉っぱ、砂などである。子供を甘やかしていけない。Photo_2

Photoこんな方法も親は教育する方がいいぞ。

そこで一句

えぐる(抉る)わざ ぱっときめて(決めて) こころよし(快し) 泉峰(これはワシの雅号)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年5月28日 (水)

乳幼児のハーネス

ハーネスとは、馬具・パラシュートの装帯・車のシートベルト・幼児の歩行用ベルトともいうが、ここでは幼児の歩行で、飛び出さないようにしたり、迷子にならないようにしたり、転んでの一人で立ち上がれるようにしたりするのに使う。

私は38歳の時の子で、お袋は私と25歳違うから、母親にとっては孫が歩き始めたころは、65歳になっていた。だから子供が転ぶと母親も転ぶから、危ないので、着物の腰ヒモを孫の腰に縛って歩るかせていた。

近所の人は犬みたいと言って笑ったが、子供が転んでも独り立ちできるような自立心をつけさせるからと言い返していた。

日本ではあまり見かけないが、海外ではよく見かけるらしい。

高校を卒業して東京へ出て行ってからもう15年、ずっと一人住まいをしている。自立している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年5月26日 (月)

汚名挽回は間違い?

  • 汚名は返上してください。
  • 日本語でよくある間違い方。「汚名返上」と「名誉挽回」が混ざってしまったもの。
  • 時として、普段は「汚名」通り使えない者が、急に活躍して汚名返上するものの、その後また使えなくなることで「汚名」を「挽回」することを指す。
  • 汚名を持つキャラだった者が、一時期汚名返上していた時期があり、再び汚名を取り戻す事 (ネットでの使われ方参照)。
  • たまたま文章を書いていて、この熟語にぶつかった。そうするとパソコンが文字の下に波型で、この熟語をもう一度確認するようにという指示が出る。間違いか?それで調べると、上で示されている説が一般的であるが、間違いではないという説もある。
    「挽回」という言葉には「巻き返しを図って本来の良い状態に戻る」という意味である。
    そのため「汚名挽回は」「汚名を被っている状態から元に戻る」という解釈が可なため、
    「汚名返上」と同じ意味であるととらえることも出来る。
    実際、一部の辞書には「汚名挽回」は誤用ではないと記されている。

    似たような用法の言葉として「疲労回復」を思い浮かべれば理解しやすいだろう。
    また、同じ「挽回」を用いた言葉でも「遅れを挽回する」「劣勢を挽回する」と言う言葉が一般的に使われているが、これも遅れや劣勢をもう1度得る、と言う意味では使われない。

    なお、この説を正とする場合、「汚名挽回」は「汚名の有る状態から、良い状態へと回復する」と言う意味である。
    「汚名返上」は、汚名を返上した後の状態を問わないため、根本的に意味の違う新語である、とする説もある。

    この説への再反論としては、そもそも「汚名返上」「名誉挽回」と言う言葉が正しい熟語として存在するのだから、それらを使わずわざわざ別の熟語を使おうとするのはおかしい、と言う物がある。
    例えば「変幻自在」を「変幻自由」と言う事はない。「一刀両断」を「一太刀両断」とは言わない。

    池上彰氏も後者の意見を指示している。つい使ってしまいそうな熟語だ。どちらを使っても、マァ通じないことはないが。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2013年12月29日 (日)

    あと十年たったら何歳?…町内行事の思う

    この言葉をよく噛み締めてください。

    我が町内が限界集落に突入してしまった。一宮市内のど真ん中にある町内だ。その件数は先日独居老人が一人亡くなったので、29軒になってしまった。ここは徳山ダム・八場ダムとは違う町のど真ん中だ。

    「限界集落」はこのブログを読んで見える方なら、検索して知ることが可能です。それで自分の町内の年齢をよく見てご覧なさい。ビックリするから。いま個人情報の関係で住民台帳が町内会長すら持っていませんので、この家に何人住んでいて何歳かもわからないのが現状なんです。だから孤独死なんて出てくる。

    我が町内も、いろんな行事を抱えていた時期は若いのがどんどん動き回っていた。今から20年も前に、30年途絶えたいた桃花祭を復活させた。あの頃、一宮で一番激しい祭りをやってのけた。

    その仲間が今ほとんどは70歳になっている。祭りが途絶えてしまったのは、高齢化が始まったことにある。町内の行事を今から5年ほど前に大改革をやった。先に述べた限界集落化が始まったからだ。あらゆる行事を改革して、軽減化を図った。おかげで誰もが思っていたことが改革ができたが、高齢化はどうにもならない。止めようがない。行事を何もかも無くすという訳には行かない。最小限でも、しかも高齢者をいたわりつつ、交流の場を設ける行事が必要になる。

    なんの行事を仕掛けるにしても、タイトルの通り、「あと十年経ったら何歳…でなく、あと十年経ったら何人生き残っているか」ということを考えて行事を決めないと、後任が苦労する。

    一度受けた町内の大役が、それ以降誰も受けてがないのが現状だ。それをジックリ考えていかないと町内行事が行き詰まる。

    市内のど真ん中なのに。

    私の所属しているマラソンクラブではもう4人の脳梗塞や脳溢血などの障害を持っている仲間が4人いる。この人らとどういう付き合いをしていくか。排除するか脱会させるなんてことはできっこない。それが仲間だからだ。ならどうするという、批判は出ても発展的な発想が出てこないのが残念だ。これは町内でも同じことだ。

    高齢者社会の現実は、こんな小さな小さなクラブや町内会まで押し寄せてきている。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2012年10月24日 (水)

    妙興寺の自然

    妙興寺にギターを練習に来ている方が、蛇の抜け殻を見つけたというので、竜王池の橋の周りの植え込みに行った。植え込みの中に頭を突っ込んだ形で抜け殻があった。7

    ギターリストが引っ張ったらシッポが少しちぎれた。全部引き出したら、なんと160cmはあろう。皮 は少し乾いて縮んでいるから、生きた状態のヘビならば2mはあろうと思われる。この妙興寺というところは自然が生きている証拠だ。

    頭の端を小枝に引っ掛けて、抜き初めの取っ掛かりを付けたんだろうか。それから全身を振るわせながら脱いでいくんだろうなァ。身長が長い分、脱ぐのに時間がかかってであろう。この抜け殻をビニールの買いもの袋に入れて近所の仲間に見せてやったら、皆のけぞっていた。さっそく宝くじを買いに行こう。

    Photo_2 以前参道をマウンテンバイクで走り込んでいったとき、横切っている最中の蛇に出遭った。私もビックリしたが、蛇もピックリした。そこでヘビが取った態度は、固まることだった。1,5mほどのシマヘビらしい。これが1.2mほどに固まった。皮の中でまるで力コブのように凸凹した状態で固まった。こう状態の時に頭の方に足を出すと、ヘビの身長分は飛びかかる。これ以上いじめると今度はシッポを震わせる。それはまるでガラガラヘビの様である。Photo_3

    Photo_5前雨上がりに、この境内をマウンテンバイクで走っていたら、後ろでドサッと音がする。振り向くと大きなヘビが濡れた木の枝から滑って落ちてきた。見ると動かないアオダイショウであった。どうしたんだろうと眺めていると、仏殿の管理人と脳震とうでも起こしたんだろうかと笑った。だがヘビに脳震とうを起すほど脳があるかという問題になった。では腰でも打ったんだろうかというと、どこに腰がある?という難題にぶつかった。そうしているうちに回復したのか、恥ずかしそうに(そう見えた)森に消えて行った。

    この池の周りはよくヘビが出る。池の中にはコイやカメがたくさんいる。こんな面白い写真を撮った。これを地元の中日新聞へ送ったら、「これはいつ撮りましたか」というので、「2年ほど前だ」というと、前過ぎますという。こんなの2年池を見ていても撮れない写真なのに、変なの。

    ♫親亀の背中に子亀が乗って 子亀に背中に孫亀乗せて 親亀こけたら皆こけた ♫と思わず歌いたくなるような写真である。

    3 春になると、親子がここの森に入り、潮干刈りに使う熊手を持ち込んで、真黒な落ち葉をかき回している。何取ってんのと聞くと、カブトムシの幼虫である。それが見事な太さで、頑丈そうなカブトムシだった。子供は本当にうれしそうだった。

    0425ここにアマチュアカメラマンというと失礼かなァ。Yカメラマンがやってきてこの森の鳥を撮って私の送信して下さった。
    左はキビタキ・右はコマドリ0416_2である。こんな美しい鳥をついぞ私が見つけられないのが悔しい。鳥の声を聴いて双眼鏡で探し、カメラに収める。この声を聴く段階で耳鳴りが邪魔をして聞こえないのである。実に美しい写真だ。これを引き延ばして額に入れた。

    いい森だ。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2011年9月 3日 (土)

    台風12号に向かって走る

    気象庁の発表している「レーダー・ナウキャスト」を見ると、尾張西部は雲の切れ間になっている。それ今だと、マウンテンバイクに飛び乗った。ところが強烈な風が襲ってきた。

    台風の位置は風を背に受けえて、左手を真横に揚げた方向に台風がいる。10時現在、尾張から見ると、南西にいることになる。地図と磁石で調べると、まさに四国に上陸せんとするところであった。

    名岐バイパスで強烈な横から殴り付けるような雨に出会ったが逃げ場がない。こんなこともあるかも知れないので、マラソン大会でもらった走路員用のウインドブレーカーの袖を切ったのを羽織ってきたので、ずぶ濡れにはならなかった。

    必死になって空を仰ぎ、明るい方へ明るい方へとハンドル切って、やっと妙興寺へたどり着いた。

    なんと、妙興寺の境内は、ものすごい数の赤トンボ(アキアカネ)が飛びかっているではないか。そうか御在所から12号台風の風に飛ばされてきたか。

    子供が小さかったころ、木曽川の羽島右岸堤防の水溜りに出かけ、タモで藻をすくう。その中に小魚やトンボのヤゴや、巻貝のモノアラガイ、エビ 、オタマジャクシ、タナゴなどがとれた。藻といしょにそれを水槽で飼った。そうすると次々とトンボが羽化をする。庭に時ならぬトンボの群れを見ることが出来た。

    モノアラガイは水槽に入れると、水槽のガラスについた藻を、せっせと食べて掃除をしてくれる。子供と観察するのではなく、獲ることが楽しかった。懐かしいことを思い出した。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2009年10月21日 (水)

    アレルギーは奇麗過ぎる家庭から生まれる?

    体にいい寄生虫「子供の青っぱな」

    これが減ったら、花粉症が増えた。『青っぱな』は細菌感染症。

    結核のBCGを受けた子供は花粉症になりにくいことを免疫学的に証明された。日本ほどBCGをキチ

    ンと接種している国は世界にない。

    今花粉症が多くなったのは、寄生虫や結核菌の感染をなくしてしまったこと。『きれい』すぎる環境に

    したことではないか。

    「顔ダニ」

    顔ダニ対策石鹸AIDソープをいまも大々的に売り出している。

      

    2000年に出版された『体にいい寄生虫』藤田紘一郎著によると、そのころからダニのことで世の中

    騒々しくなっている。ある化粧品会社と一部の皮膚科医が組んで、仕掛けた「顔ダニ」のことだ。顔ダ

    ニはヒトには必ず存在する。毛のうの中に、2~3匹棲んでいるので、1人あたリ、顔のなかに200

    万から300万匹いるという計算になる。

    仕掛け人たちは六本木を歩いているギャルたちをつかまえて、鼻の横の皮膚を圧迫すると、毛のうから

    皮脂を出し、そのかたまりを顕微鏡に写して見せた。そこにはクャニャクニャ活発に動いている顔ダニ

    が見えた。

    「あなたの顔には、こんな気味の悪いダニがいるんですよ。寝ているときに、このダニが顔の表面に出

    てきて、皮膚を荒らします。この化粧品はそんなダニを殺して、皮膚をきれいに保ちます」と化粧品の

    宣伝をする。

    冗談じゃない。この顔ダニがいなければ僕たちの顔は納豆のようにベタベタし、ナメクジのようにヌル

    ヌルして、どうしょうもなくなる。この顔ダニが皮膚の脂肪を食べてくれるから、顔はツルツルした状

    態にいられるのだ。

    いかがですか、これは私が好きな本で、『体にいい寄生虫』藤田紘一郎著からいただきました。講談社

    から文庫本で出ています。文をお借りするばかりですので、宣伝をしてお返しします。

    アレルギーの人が多くなった。これからまた花粉症にシーズンである。幸い私はいまのところどうもないが、時々だが目が痒くなるときがあるのは、花粉症なのかも知れないと、フト不安になる。

    子供を育てるときに、親があまり神経質になると、かえってアレルギー体質になる。3歳までは口に毒物以外はあまり気にせずに、放っておくほうが免疫ができるからいいという。どうです、無菌無菌と騒いでいる方いませんか、この子の将来を考えることです。

    最近私の周りでも、孫が増えてきた。その中の一人が、0歳児なのに、もうアレルギー検査をしているという。やりすぎだわ。これからこの子が免疫をつける時期なのに。医者もそういう指導をしないのかね。

    昨日テレビでやっていた一番いい方法は、動物園に連れて行くことだという。動物園の空気に中に、動物が出す寄生虫が一杯いる。それを子供が吸い込むことで免疫を作るという。昔は犬猫はいつも同居していた。そういう環境の子供は、アレルギーにはならないという。こらはお勧めだね。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2009年10月19日 (月)

    頭の良くなる子育てがあるという

    先日読んだ本に、子供の頭がいいのは、2歳~10歳までの親の指導、教育によるもので、遺伝ではないという。東大出をドンドン出している家系は、親の指導、教育がいいから兄弟が同じように学力が高い子に育つという。こういうと、この期間に塾という他人任せな教育をするようになる。思い通りに学力がつかない場合は、塾にせいするだろうね、こういう親は。親の教育をしたいが、もう手遅れなのだ。

    Dr志賀貢著『おもしろ健康診断』によると、

    ---人間の脳細胞の数は約140億個で、体の細胞が赤ちゃんから大人になるまでに25倍に増えるのに対して、脳細胞数は生まれたときからまったく同じで、変わることはない。ところが脳の重さに関していえば、生まれたときの400グラムから、日々重さをましていき、成人すると3~4倍もの重さになります。これは、脳の中の神経突起が成長するにつけてのび、お互いに複雑にからみあて脳の重さを増しているからです。

    普通、われわれの脳は、つぎのような段階をへて成長します。

    まず、2歳までの間に、性格にかかわる部分が形成され、つぎに6歳くらいで、考え方の基本路線がしかれます。10歳になると、将来、自分の精神的にどのように成長するかが、だいたい見えてくるといわれます

    ですから、この2歳、6歳、10歳という節目に神経突起のからみあいをしっかりとつくれば、率直で、高い思考力を持った、意志の強い子にそだつというわけです。ーーー

    しまった、もっと早くこの本を読めばよかった。そうすれば、「灯台」ぐらいにはいけたかもしれないのに。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2009年3月14日 (土)

    子供の「なぜ?」「なにこれ?」は、好奇心を育てる

    「なぜ?」「どうして?」「なァに?」「なんで?」という質問を「根問い」という。恥ずかしい話が、私は「根問い」という言葉を知らなかった。

    昨日の中日新聞の「中日春秋」のコラムで、いまNHKの土曜のドラマで、白州次郎が評判になっている。戦後GHQとの交渉中で疑問にぶつかると、「なぜ=ホワィ?」を連発して、相手を攻め立てたというところから、「ミスター・ホワィ」と呼ばれていたらしい。

    私に長男を授かったのが38歳のときである。子育ても、38歳という大人の目で、ゆっくりと育てることができたと思っている。子供を好奇心の強い子にしようと心掛けた。それには、いつも「なぜ?」という気持ちを付けさせたかった。

    息子が幼稚園の年中のときだった。一宮から名古屋のオバちゃんの桜山まで歩いていこうということになった。片道30kmである。

    退屈させないように、あらゆる物に「なぜ?」と話しかけて根気よく答えて歩いた。

    だから歩くスピードがものすごくゆっくりだ。10km進むのに4時間掛かった。道路の白線の意味、道路に埋設されているガス、水道の鉄のフタ、これをそっと開けて見る。

    電柱のトランス、鉄塔、電車、車、倉庫の看板、カラスの鳴き声と目に付く物あらゆるものに興味を持ったし持たせた。だから答える方も大変だ。分からないところがあるとメモをして後で一緒になって調べた。

    夕方、ゴールの桜山に着いた。子供の顔に何かをやり遂げたという自信に溢れていた。私にとっては、好奇心よりこの30km踏破の方がうれしかった。

    子供の頃に養われた息子の好奇心は、26歳の社会人になった今も、鋭い質問が私を襲うからたじろいでいる。育て方を間違えたか、今ごろ往生している。Photo

    情報工学で学士になり、電気電子工学で修士をとって卒業した。だからパソコンは全て息子任せ。パソコンに行き詰ると、今度は私が「なんで?」とつぶやいている。そこへ息子が来て、「なぜ分からんの?」とくる。育て方を間違えた。思いやりを込めて教えることを忘れていた。

    でも「ホワィ」のおかげで、好奇心は育った。

    修士を取ってから就職をした。でも追いかけたい研究を一人続けて、8年かかって論文博士(工学)を取った。

    でもワシは孫が欲しい。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2008年6月 5日 (木)

    子供の名前

    モンゴルでは子供のころの名前に、とんでもない名前を付けるという。

    意味がわかるとびっくりするような名前もある。たとえば「名無し」「誰が知るか」「くそったれ」「醜い娘」(男の子に対して)など。これは、モンゴルでは子供の死亡率が高かったため、それを「悪霊に子供の命をとられる」と解釈し、悪霊の目を欺くためにわざとおかしな名前をつけたという事情がある。自然環境の厳しい地方、とくにゴビ地方などでは今だにそのような習慣があるとも聞く。以下のホームページを参照

    http://www.geocities.jp/mmitsuya3/mongol/namae.html

    実はこういうことは、むかし日本にもあった。『トイレで笑える雑学』講談社には、南方熊楠が古代の人名を紹介している。

    紀貫之は幼名を阿古久曾麻呂(あこくそまろ)という。阿古は吾子で久曾は糞と同音。「わがウンコちゃん」というわけ。ほかにも、押坂史毛屎(おしさかのひとけくそ)、錦織首久僧(にしきこりのおびとくそ)、阿部朝臣男屎(あべのあそみおぐそ)、卜部乙屎麻呂(うらべのおとくそまろ)これが男の部門、女性部門では、巨勢朝臣屎子(こせのあさみくそこ)、下野屎子(しもつけくそこ)がある。

    今ならイジメに合いそうな名前だが、古代には排泄物には呪力があるという信仰があって、魔よけの意味がある。「丸」という名前も頻繁に使われている。「丸」はおマル(便器)の意味で、屎の付く名前と同じ願いからつけられた。

    『語源辞典』で「おまる」を調べると、幼児や病人が用いる持ち運びできる便器。動詞マル(放る)の接頭語「お」がついてできた語。単に「まる」といっていたこともある。

    『古事記』にマルは「殿には尿まり散らかしき」とあり、排泄する意の 動詞とある。Photo

    古代は、自分のことを「まろ」といい、卑下した意味に用いていた。が、平安時代から親しみのある言葉となり、果ては小児の名に何丸などと呼んだ。そして、ついには高貴な摘子か寺院のみに用いられるようになり、下層階級でははばかるべき文字になった。

    でも「悪魔」という名前は、いけませんぞ。

    字数で名前を決める人も多い。この近くで「〇本万△」という字画の占い師がいる。ここに兄弟が別々に頼みに行った人がいた。この人は数少ない苗字で、先生も予備に名前がなかったのか、兄弟の子に同じ名前を付けたという。伊藤、安藤、佐藤なら量産できるように、名前もたくさん作って用意してあってであろうに。気の毒なのは兄弟の親子だ。自分の子ぐらい、生産者として責任とって自分で付けろと言いたい。字画で運命が決まってたまるか。アラビヤ語なんか一筆書きに近いぞ、〇本万△さん。どうする?

    「〇本万△」に付けられて、いい運命がたどれなかったら、先生のせいにするんかねェ。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)