2012年3月29日 (木)

ウヒャ!ルンペンの唄を見つけた

先日「ホームレスはいるが、ルンペンはいなくなった」をブログで書いたが、なんと「ルンペン節」という歌があった。昭和17年生まれの私は、子供のころはラジオで育った。軍歌や浪曲、童謡、歌謡曲、ラジオドラマを想像たくましく聞いていたものである。だから相当に古い歌謡曲も知っていたはずだが、この唄は知らなかった。

まずは唄 『ルンペン節』です。

♪(1)青い空から   札の束が降って

    とろり昼寝の  頬っぺた敲く(たたく)

    五両 十両   百両に千両

    費い(使い)切れずに 目がさめた

  ※アーハハハ ワハハハ

    スッカラカンの  空財布

    でも ルンペンのんきだね (※以下繰り返し)

♪(2)酔った 酔った  五勺(しゃく)の酒で 

   酔った目で見りゃ スベタ(ぶおんな)も美人

   バット(たばこの商品名)一本 ふたつに折って

   わけて吸うのも   乙なもの

♪(3)プロの天国 木賃ホテル (木賃宿”もくちん・きっちん”は、旅人が米を持参し、薪代を払って自分で米を炊くかまたは炊いてもらいます。「木賃」とはこのときの薪の代金、つまり木銭”きせん”を意味しています)

   抱いて寝てみりゃ 膝っこも可愛い

   柏布団に    時雨を聴けば

   死んだ女房(おっかあ) 夢に来た

♪(4)金がないとて くよくよするな

   金はあっても  白髪ははえる

   お金持ちでも  お墓はひとつ

   泣くも笑うも   五十年

誰かァ、この歌詞の節・メロディーを教えてちょうだいなァ。

唄の背景……この時勢は、巷に失業者が溢れたいた昭和6年世相を背景にしたコミックソングで、帝キネ映画「ルンペン熊公」の映画の主題歌。この直ぐ後に満州事変が起きている。

作詞 柳 水巴・作曲ビクター文芸部(松平信博)・歌手 徳山 璉・昭和9年5月発売

最近実に腹立たしい詐欺事件が起きている。AIJの年金詐欺である。私も被害に遭う可能性がある。車屋にいたから、そこが加入している可能性大である。だが今はどうしようもない。もしかすると、柏布団で寝ることになるにかも。今から庭に柏を植えても間に合わないだろうなァ。今は段ボールで間に合わせられるが。

「お~い!廃品回収に段ボールを出すのを、しばらく止めてまえんかねェ」

「あいよ!」と、家内の軽快な声が庭から聞こえる。こんなんで、いいのだろうか?

なんとなくゾクッとするが、ルンペン節のようにのん気にいきたいね。あと少しの人生だから。人生80年として、ただいま87,19%まで来た「独りしゃべり」の独りごと。

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2007年10月 3日 (水)

焼肉屋のオヤジはミュージシャン

うまい焼き肉屋でねェ。ここのオヤジとは、気心が通じるようになって、初めて、思ったほど偏屈でもないことが分かった。だがここまで来るまでがなかなか大変だった。ろくに話してもいないし、向こうも、特にこちらと会話するほどのことでもないから、無口でいるだけなのに。それでいてなにかしら疎外感が、2人の周りを包んでいる。だからなかなか話す切っ掛けがなかった。

忙しいと来たお客さんを断ってしまうことがあった。ここの親類が私の友人で、これらと予約して10人ほどで飲み食いしていたら、来店客があった。そうしたら、「今日はもう終わったよ」と一言。それ以外なにも言わない。お客のほうは、時間がまだ早いのに、しかも店ではみんな飲み食いしている。でも不満そうな顔をして帰っていく。それを見て、先入観でそう感じたのだろうか。

ここの焼肉はものすごく量が多くて、ホルモンを頼む時は、2人で一皿がいい。これを間違うと、お持ち帰りとなる。先日家族で出掛けた時は珍しく暇で、オヤジがノコノコ店に出てきて、ビールを飲もうかと話しかけてきた。私はホルモンで、家内と息子はいろいろ頼んでいた。オヤジさんと差しつ差されつしていいたら、私の頼んだホルモンが残ってしまったことがある。

大手の焼肉チェ-ン店の、量は倍で値段は60%ぐらい。そして味がものすごくいい。これをみんなに教えてやりたいが、店が込むと私が入店拒否されそうで、なかなか紹介できないのだ。2

このオヤジさんが、市のイベントになると街頭でバンジョウをかき鳴らして歌っている。私はこういう音楽が大好きで、身をくねらせて聞いている。これを見たオヤジさんと少し距離が近づいた。

最初カントリー・ウエスタンかと思ったら、ブルーグラスというんだそうだ。不勉強だが区別が分からなかった。

勉強のために調べてみた。

北米大陸へ移住してきたアイルランド・スコットランド・イングランドなどのケルト系やアングロ・サクソン系を中心とした西欧・北欧系の移民が持ち込んだ音楽、特にケルト民謡やヨーデルなどがアパラチ山脈やオザーク地方といった、いわゆるアメリカ北東部からアメリカ南部にかけての山岳丘陵地帯の農村などで様々な音楽の影響を受け、オールドタイム・ミュージック(Old-time music)やヒルビリー・ミュージック(Hillbilly music)と呼ばれるアメリカ民謡の基礎を形成する。 それが19世紀後半の鉄道網の発達、蓄音機(Phonograph)の発明、20世紀前半のラジオの普及になどにともなって北米大陸全土に広まり、その伝統民謡的な部分を保ち続け1940年代にビル・モンロー(Bill Monroe)等により確立された民謡スタイルの音楽をブルーグラス(Bluegrass)と呼び、逆に様々な音楽を取り入れ大衆音楽化して、変化し続けているタイプの音楽をカントリー(アンドウエスタン)・ミュージックと呼ぶ。出典・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

テンポのいいリズムが実に心地よい。これを「いちのみやタワーパークマラソン」で演奏したらどうかとフト思って交渉を始めた。マラソン前のランナーは、みんなウキウキしているから、波長が合うのではないかと思った。

オヤジさんは、「いいよ仲間に聞いておくわ」と言うから、一応の許可をもらったと思う。受付して、着替えして、スタート前までの時間を使ってはどうかと、いま市と交渉を始めた。

市当局に掛けあったら、OKが出た。そうだわなァ、河川敷の大会をいろいろ面倒見てやっているから。それと結構面白いアイデアがこの大会で生かされて、参加人数もドンと増えてきている。ここ3年でおよそですが、3300人、4400人、5700人と増えてきている。私のせいではないよ。事務局もみんな頑張っているからだ。

河川敷だからこそ楽しい大会を目指している。焼肉屋のオヤジさんのブルーグラスをみんなに聞かせてやりたい。

ところが、大会開催時間を聞いて断られた。このバンドのメンバーは、ブルーグラスという特殊性もあって、愛知県内に広がっていて、朝の7時半にはとても会場に入られないことが分かった。残念だ。いいテンポのリズムが会場を浮き立たせると思ったのに。

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2006年12月25日 (月)

カラオケ亡国論ってもう古い?

先日北朝鮮の首領が、カラオケを使って士気を高めるというニュースが流れた。日本海側で歌のうまい人は、拉致されるから気をつけなよ。

ワシのクラブの宴会では、一度もカラオケを鳴らしたことがない。士気が高まってこないからだ。これをすると会話ができなくなるし、話がしたいのにそれができない。言っとくけれどね、だれもあんたの歌なんか聞いていないよ。次ぎに歌う人もその次の人も、なにを歌おうかと思案しているからだ。そんでもってあんたの歌が終わると義理に手をたたくが、目は歌のメニューを見ている。うまいね~とかなんとか言いながら。

以前、町内の宴会でカラオケをやりかけた。話し込んでいるいると、「シッ!静かに聞いたやらにゃ」と注意された。以来カラオケの宴会には参加しないことにしている。

歌いたければ、カラオケスタジオに行けと言ってやる。ワシはね、歌はうまいよ。歌手になろうかと思ったぐらいだ。今でも楽譜ならたくさん持っている。念のために書庫を捜したら、『愛唱歌シリーズ軍歌集』『全音声楽世界名曲全集』。私はこれが好きだった。「さらばナポPhoto_146 リ」「かえれソレント」「チリビリビン」「宵待草」などが収集されていた。『世界名歌集』には世界の民謡が入っている。『ギター指盤表付ヒット・パレーダー』私はギターはしなかったが。『戦前昭和歌謡』などがでてきた。

随分昔の話だが、私がスナックに行くと、ママさんがリクエストもしないのにいきなり「思い出のサンフランシスコ」「慕情」「マイウエイ」「雪は降る」などを勝手に流し始める。店に入るや否や、飲む前にもう歌わされた。僕の入店テーマソングが流れると、後は歌うことはしなかった。もともと飲んで騒ぐのが好きだからである。どちらかと言うと、手拍子なら、替え歌や民謡をドンドン踊って歌ったものだが。

青春時代は、「青い山脈」や労働歌やロシヤ民謡、カンツオーネ、「オーソレミヨ」などのナポリ民謡、日本の歌謡曲でも「長崎の鐘」「山の煙」のような、どちらかと言うと浪々と歌う方が好みだった。

カラオケでは嫌われるような歌が好きだ。これも随分前のことだが、カラオケで点数が出るのがあるでしょう、あれをやったら、なんと48点であった。あれ以来カラオケでは歌わないから、声と音程に自信がなくなった。今日の日刊スポーツで、河島英五のカラオケの話が出ていた。自分の持ち歌を点数付きで歌ったら何度やっても、70点台で80点出なかったという話しが書いてあった。これを読んで私は何十年振りかに胸を撫で下ろした。

久しぶりに楽譜の音符をたどりながら、カンツオーネを歌ったが声がでなかった。歌を検索していたらこんなのがでてきた。バックミュージック付きなのが。これなら自宅で歌えるぞ。チョット練習するか。

http://www.duarbo.jp/songs.htm

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2006年8月27日 (日)

妙興寺とギター

私が3日に空けず立ち寄る妙興寺がある。ここは我が家の旦那寺でもあるが、市内南方にこんもりとした森を作っている名刹である。

うっそうと茂る参道をくぐると、勅使門があり、その裏には竜王池がある。山門に来ると、正面に仏殿がある。禅宗伽藍の配置が鎌倉時代の建築の特徴である。本寺の境内には七カ寺ある。

山門の下で、時々近所からギターを持って、楽譜立てに向かって練Photo_52習をしている初老の男性がいる。静かな境内にギタ-ってなんていい響きなんだろう。

私は以前はジョギングで、今はマウンテンバイクで走り込んでいく。練習の邪魔にならないように、背後で静かに聞かせていただいている。男性が気が付けば挨拶するくらいである。こういうところでコンサートなんていいなァ。

2_2 ここの和尚から、「いい修行ですね」といわれましたと笑った。私は今もって満足に奏でる楽器を持てない。中学のころ吹奏楽に籍を置いていた。1年生コルネット、2年生トロンボーン、3年生ドラムとあまり役には立っていなかった。社会人になってから、スチールギター、ウクレレ、マンドリンといろいろやったがついぞモノにはならなかった。唯一ハーモニカは今でも手元にあるが、これだけはなんとかしとめた。

最近になって私のようないい加減なブログにギター教室をやってみえる増井容子さんからアクセスがあった。以来彼女のブログを時々覗かせて貰っている。私の周りにはもう一人、岐阜県山県市の山の中でギターを制作してみえる寺町誠さんを知っている。でも彼と会うのは私の作っている「山天の会(山で天ぷらをする会)」といういい加減なクラブで、彼の裏山で、天ぷらをするときだけだ。ステンドグラスの作家の奥さんと、近所の陶芸家を引き連れて、山頂で大騒ぎをする。

とても芸術的なお付き合いではない。弦が5本もあるともう神経衰弱になる。できたら1弦琴ならなんとかなりそうだが。

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2005年7月 9日 (土)

昭和20年ごろ チンドン屋が来た

tindonya 遠くのほうから「チンチンドンドンチンドンドン」と浮き立つようなジンタの音が聞こえてくる。あのころの曲は「空にさえずる鳥の声・・・・の天然の美」とか「サーカスの唄」「丘を越えて」とか、テンポのいい曲を流していた。トランペットとクラリネットが主人のチンドンの後に続く。一番後ろは旗持ちで、厚化粧したおばちゃんやピエロが面白おかしく踊りながらビラを配って歩く。

所々で口上が入る。「とざい東西~っ」ってね、店の宣伝をするんです。

どういう分けかこのチンドン屋が好きでした。鳴らす音楽もいいが、もうひとつビラが気になって仕方がない。あの固まった広告チラシが気になって仕方がない。

ある時、このビラ配りの役をやらせて欲しいと頼んだ。そしてずいぶん遠くまでビラを配りながらチンドン屋の後についていった。これを近所の誰かが、「あんたんとこの子、チンドン屋のビラ配りをやっていたよ」とお袋にご注進におよんだ。

そんなこと知らない私は、快い労働の疲労感でご機嫌になって帰ってきたら、お袋のビンタを食らった。理由は「うちはそんな貧乏していないよ」というようなことを言ったみたいだ。今なら「そりゃ偏見だぜ」と言い返せburasubandoたが、当時はただ痛さで泣いただけだった。

中学校に入るとジンタの影響で吹奏楽部に籍を置いた。コルネット、トロンボーンをやったがモノにならず、小太鼓に落ち着いた。市内でわが中学校と消防署しか楽団がなく、市民体育祭があると国旗掲揚の「君が代」から「君が代行進曲」や「軍艦マーチ」の行進曲やマーチを一日中吹奏していた。

今でもチンドン祭が近くであると落ち着かなくて、必ず出かける。

もうひとつ和太鼓集団が来ると、これも落ち着きをなくす。鬼面太鼓や鬼太鼓座(おんでこざ)なんかが来るともうダメで、ウロウロ状態となる。

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