もうはだか祭りか、出たいなァ
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
マウンテンバイクで稲沢に入った。
そうだ思い出した。はだか祭りのシンボルの難追殿がもう完成しているはずだ。そこで国府 宮神社に立ち寄った。そうしたら18日が竣工式の真っ最中だった。銅版の屋根がキラキラしている。
今年は2月12日がはだか祭りだ。参加したいがこの坐骨神経痛の腰ではどうにもならない。友人たちが森本地区から参加するが、私が行ってもふんどしを巻くか飲むぐらいしか役に立ちそうにない。
私自身がこのはだか祭りに仲間を募って参加し始めたのは、平成10年のことだった。この年はたった4人で始めた。町内の小さな神社に集合して、真清田神社に立ち寄り、本町通りを駆け抜ける。たった4人で難追い笹を持ち駆けるのだが、恥ずかしさで困惑した思い出がある。街中の他人ははだか祭りであることは知っているが、まさかここで見ようとは思いもしなかったのだろう。白々しい目で見る視線が尻に刺さった。
こんなことを10年続けた。10年目になると、参加者も20人を超えるようにな り、近くのスパー銭湯で褌を巻き、近くの車屋からスタートして午後2時ごろ国府宮神社へ入る。こんな頃他の裸の集団は、宴会の真っ最中で、参道は私らの集団だけ。だからものすごくモテた。はだかに触ると難逃れになると言われているからだ。
『はだか祭り早駆け』という幟を立てて、一宮から国府宮を往復するマラソンだ。当然地元やテレビや新聞の恰好な材料になった。懐かしい思い出だ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
私がはだか祭をやり始めたのは、平成10年だった。これは一宮から国府宮まで早駆け(ジョ ギング)をして、厄払いの祈願を書いた難追布を下げた笹を奉納するのであった。 いつも午後2時ごろ参道に入ると、段々と私たちが、一宮から走ってきたはだか集団だと有名になり、参拝客や新聞やテレビが待ち構えていた。
早駆けに参加してくる人は、ほとんどがマラソンをやっている人で、往復10kmぐらいは飲みながらでもへこたれる者はいない。笹を奉納すると、今度は参道から一宮まで全速で走って帰った。
スーパー銭湯で湯につかり、その後近くの料理屋で大宴会をした。ところが肝心な呼びかけ人の私が、頸椎と脊椎の手術をしたので走れなくなり、取りやめになった。しかも同じころスーパー銭湯が倒産して風呂に入ることが出来なくなってしまった。
あれから友人の家の近くも町から、相当数のはだかが出るというので2度ほど参加した。祭り好きな私はこの時期が辛いのである。こんな私を知って、誘ってきた。出ることはできないが、飲みに来いという。
もう一人は今年から自分でグループを組織して、自分の家から出すという。これはフンドシを巻いてくれという誘いである。こっちの方は私には荷が重い。最近握力が弱くなってきて、緩く巻くともみ合っているとフンドシが緩んでしまいみっとも無いからだ。
祭りは2月22日だ。そろそろ大鏡餅が奉納される時期だ。一度覗きに行って来ようと思う。この時期はなかなか落ちつかない日が続く。
家内安全、健康、一獲億金これだなァ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
臭いと思う人は、外から来た人だけだ。
臭覚機能というのは、2~3分で「あ~っ、疲れた疲れた」といって機能をなくしてしまう。こういうのは、毎日トイレで実体験しているはずだ。
椎名誠が『ごんごんと風がころがる』の中で、こんなことを書いている。
――世界の風景にはある種の共通した公式みたいなものがある。綺麗なものでも汚いものでも目の前にたくさんあり過ぎるものは見えない、あるいは目に入らない、という現象がある。
ネパールのシェルパ族は大人も子供も星にほとんど興味を示さない。頭がくらくらするような満天の星であってもだ。彼らにとって満天の星は人生に付きまとう当たり前の風景だから。
モンゴルの遊牧民は花の興味がない。季節が来れば見渡す限りエーデルワイスの花が咲いているところでも、遊牧民は興味を示さない。家畜が食べないものには彼らにとって価値がないのだ。
サンゴ礁の広がる南の島の人々はサンゴにあまり興味を示さない。漁師などはサンゴに網が引っ掛かると切れてしまうし、裸の体を傷つけるのでかえって嫌う人もいる。――
♫
毎日このギンナンの臭いを嗅いでいると、もう臭わなくなっているのだろう。毎日ラジオ体操に行く公園のイチョウが黄葉してきたので、今日祖父江町に見に行ってきた。イチョウでも黄葉しているのもあればまったく色づいていないものもある。地元の人に聞くと来週には色づくという。イチョウ祭りが23日から始まるのを待っているかのようだ。
♫
イチョウ並木の中では今収穫の真っ最中で、周りは臭覚真っ盛りである。3mほどの竹の先にカギを付けて、枝を揺すり落としていた。この一宮で、イチョウの木に抱き着くように振動する機械を付けて、強引にガガガガ~ッと揺すり、強引に実を落とすのがあるが、ここでは手で揺すって落としていた。こういう機械は使っていないという。臭いは気にならないかと聞くと、聞くのが野暮だった。全く臭わないという。そういう私も30分ほどイチョウの中を写真を撮りながら走っているうちに、臭覚疲労を起こして、臭いを感じなくなった。
今はまだいいが、この実から皮を剥ぐときがすごい。今は大型の洗濯機のようなコンクリートミキサーで、ゴンゴンと皮をむく。その皮を畑に埋め、水は排水溝から流れて川に落ちる。町全体が猛烈に臭う。その頃がニオイの最盛期となる。食べるとモチモチとして美味いのに、天は二物を与えなかった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
一宮の中心部より東の方をマウンテンバイクで走ってた。 白山神社のそばを通りががり、明日祭りがあることに気が付いた。この祭りをいつも新聞で翌日知る。わが家から3km足らずのこの祭りを見たことがないというから、実に情けない。
色々調べてみると、この祭りが鎌倉時代(1281)、蒙古襲来の時まで遡った。この地区で 軍馬に徴用され出征した馬が大変活躍したのが始まりだという。氏子たちがチガヤで馬をつくり、子供が練り回し、最後は近くを流れる水法川へ流し、無病息災を願うという「愛知県無形民俗文化財指定」を受けている。国無形民俗文化財選択にもなっている。
さて分からん?文化財選択ってなんだ?
選択無形民俗文化財(せんたくむけいみんぞくぶんかざい)とは、重要無形民俗文化財以外の無形の民俗文化財のうち、記録、保存、公開に対して経費の一部を公費による補助を受けることができるものとして、文化審議会の答申に基づき文化庁長官によって選択された文化財をいう。
ということなんだと。
ここでいう芝は、どうも「芝生」とは違うものだ。調べてみると、チガヤのことをいう。
さて当日、馬作りを見に行く。境内は子供や父兄の混じって、カメラマンが多かった。毎年保存会の方が手慣れた手さばきで作り始めた。10時から 初めて出来上がったのは14時少し前だった。左の写真は足になる小枝4本、アブミ、目は長ナスに赤いホウズキに赤いトウガラシ、これで凄味のある目になる。この馬はオスで、嫌らしく毛が生えたトウモロコシと丸いナスが金玉になる。尻尾はススキより太い、アシのように見えるが、ヒョットしてチガヤの穂なんだろうか。出来上がりが右の写真。子供たちは引きやすくる、手綱が左右にたくさん付けられた。
年番と保存会に人らが、拝殿で祈りを上げている時に、町内ばかりか、参拝者や私らにもアイスクリームが配られた。暑い日照りの中にいたので、大変おいしかった。
登り旗を先頭に、太鼓をたたきながら、子供らの「ワッショイ」の掛け声が、 田んぼの向こうから聞こえる。芝馬を引く姿は、なんとなくのどかで、マンションと田んぼという違和感があるが、こういう風景をなくしたくないと思った。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
私も近隣のマラソン愛好家を集めて、「はだか祭早駆け」と称して、一宮から国府宮神社まではだかで走って10km往復するイベントをやっていた。
参加者はマラソンの名うてなランナーばかり。中には金沢までの「さくら道ウルトラマラソン270km」の完走者などもいて、なかなか盛大だった。私が頸椎と脊椎の手術をする前は、最大で30人が参加した。この時はテレビ局の放映付きで走った。
国府宮でも結構人気でしてねェ。神男が出る3時間ほど前に参道に入る。はだか男たちはほとんどいないから、人気でしたねェ。なつかしい。難追笹を奉納し、参道から一宮まで「ヨーイドン」と言って一気に走って帰る。スーパー銭湯のゴールで体を温め、大宴会に突入、懐かしいなァ。
このイベントも言い出しっぺの私ができないので、廃止となってしまった。今でも募集すれば参加してくるだろうなァ。
3日ほど前、萩原町をマウンテンバイクで通りがかったら、奉納餅(鏡餅)をついていた。大鏡餅を奉納すると、10年間は小餅の奉納する権利ができるという。最近は奉納する権利を放棄するところが出てきたと聞いた。なんにしても金がかかるからだ。
この季節、私のブログに異変が起きる。アクセスが急上昇してくる。この1週間で183件が、国府宮のはだか祭に奉納する「難追布」の書き方についてである。私のブログに書いてあるから、この季節というより祭り前のひと月前からアクセスが来ている。
ここの布に祈願する内容(家内安全・交通安全・病気回復・快食快便・合縁奇縁・合格祈願・健康回復など)を書き、尾張大国霊神社・そして奉納する人の干支・氏名・性別・数え年を鉢巻を長さ1尺2寸(1カ月1寸・閏は1尺3寸)に切り、書き込み、はだかが出る宿へいき、奉納される笹に結び付けて、国府宮神社まで奉納してもらう。
この書き方が分からないから、探して私のブログへたどり着くのだ。どこのプロバイダでも意外や上位に掲載されているから、検索が多い。この検索が出始めると、そろそろはだか祭か という思いがする。
今はもうほとんど外野で見ているだけになってしまった。悔しいが。祭りは見るより参加する方を選びたいねェ。
念のため、書き方はこのブログへ
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
タイトルは字余り気味であった。泉峰は私の雅号です。
8:30にマウンテンバイクで家を出て、尾西線に沿って萩原に入る。田んぼに向こうに伊吹山が3合目あたりまで白く雪をかぶっている。
田んぼは大方刈り取られ、落ち穂をスズメらがついばんでいる。萩原の町を通り過ぎ、西中野の渡し場に着く。この堤防から見る山は、三重から奥美濃まで遠望できる。多少靄がかかってはいるが、名古屋駅前のツインタワー、一宮のツインアーチがギリギリで見える。
ここの渡し舟は木曽川唯一になり、これに乗る。この管轄は愛知県の建設部になっている。要するに県道扱いで、無料である。船頭は2級船舶の免許証が必要という。
対岸には700mを5分ぐらいで着く。ここから見渡す限りの田んぼの中をお千代保稲荷に入る。10:30に参道に入ると、結構人出が多い。この参道に元中日ドラゴンズの大豊が、餃子屋をやっている。普通の餃子でなく、直径2cm長さ15cmという変わり種が一本250円と思った。骨髄性白血病にかかり移植をされたとか。だから入退院を繰り返されているという。
ここを出て馬飼大橋を渡り、祖父江のぎんなん祭りの会場に入る。イチョウは黄葉どころでなく、青々としている。仕方がなので、会場でトン汁を食べ、温かい日本酒をいただき、帰路につく。
余談になるが、大豊の名古屋の店は、郭(元中日ドラゴンズ)がやってるという。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
だか、私の祭りはまだ終わっていない。
事務局をやっている関係で、会計報告や、回覧板でご祝儀やお酒を頂いた報告書の作成をしなけらばならない。
なにせ半分酔っ払ってやっているから、記憶が確かではない。だから出来るだけ写真を撮りつづけて、記憶代わりにする。
今年は東日本の大震災があり、真清田神社へ、祭り前に、「こんな時期にやるのは不謹慎だ」という、相当のメールが入り神社側が、慌てて参加町内を回り、できるだけ静かにという触れを出した。
私は違うと思う。祭りでも、観光でも、飲酒でも、何もかも粛清したら、日本の経済がどうなるか。友人が日光へ旅行に行ったら閑散としていたという。これでは、復興に何なんの力添えにならんだろう。
元気にいることが、東日本に力を与えると思う。
震災のせいかもしれないが、わが町内は、ガチガチに警察に囲まれての祭りとなり、アッ チコッチで、誰もかもが警察ともめた。一宮で一番激しい祭りをやっているからだ。だから完全にマークされている。これは毎年のことで、気にはしていないが。でも今年は、10人以上の警察官が両側を囲んでいる。
東京マラソンなんて、7時間都市を封鎖してマラソンをやっている。こんな小さな3時間もかからない祭り、しかも、信号ではキチンを止まっているのに、交差点を馬で回す伝統的な方法を阻止にかかる。
若造の警察官が、いきがって阻止にかかる。祭りには道路使用許可がいる。これを警察が勘違いして、日本国土を占領したような気になっているんでないか。祭りの歴史、本質を知らないやつが多い。観客はこのもめごとが楽しくって、喜んでいる。警察ももっと大らかになれば嬉しいが。
諏訪の御柱、岸和田なんかは死者が出るような祭りがあるだろうが。
本町通りに人が来れば、金が落ちる。それが自然な摂理だ。警察学校で、権力を傘に着ろなんと教えていないだろうな。俺たちの税金で生活しておるんだろう。腹が立つなァ。
イカン祭りの会計の金額があわん、もう一度やり直しである。イライラするなァ。
裏話:祭りが終わると、神社側からの警察官の上層部に接待があるといううわさです。要するに神社側の口封じである。七夕でも、桃花祭でも同じという。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
わが町内が、この祭りに参加するようになったのは、平成4年からだった。
その前年の町内の餅つきのときに、一宮青年会議所(JC)から、桃花祭をにぎやかにしませんかという声を掛けられた。
ちょうどそのころ、わが町内のソフトボールクラブに所属していたので、酒の勢いのあってか、クラブで受けたらみんな応援するかと聞いた。そうしたらみんなやるという。それならワシが仕掛けてやる。
それ以来連続して参加していたが、近年は何度も日曜開催を訴えてきたが、真清田神社が一向にやる気がなく、なら土日しか参加しないということになった。今年平成23年で14回目の参加である。
この町内はソフトボールクラブや私の所属しているマラソンクラブ員の参加もあり、一宮最大の人員で昔の形を残してやった。どういう形が本来かというと、長襦袢と女化粧で参加した。まず写真をご覧あれ。
近くの病院の看護師らもたくさん参加してくるから、その人数は50~60人となる。馬の前に前綱を30本ほど出して、それをそれぞれが握って、馬を練りまわす。江戸時代は150頭出たという記録があるが、今は農耕馬がいなくなり、参加が減り、今はせいぜい10頭で、それもパレードのように整然と行進するという体たらく。
わが町内だけが、警察の阻止をどうどうっと断ち破り引き回している。
今年は隣の町内の町会長に声を掛けたら、マンションに住民から伝統的な祭りを是非見たいという。子供が小さいから、町内を一周するところだけついていきたいという要望がきた。そうしたら、この子供たちが通っている学校の教頭が、ぜひこれをビデオにとって、学校のホームページに乗せたいという付録が付いた。
結構なことだ。親たちもこんな近くでそんな伝統的な祭りがあるなんて知らなかったらしい。
私はフル回転で準備している。その祭りは4月3日である。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
桃花祭は毎年4月3日に固定されている。4月というと桜が咲いている。なぜ桃花祭にな るのか不思議だ。
これをずいぶん前から、日程を日曜日に変更するように運動している。だが、ガンとして神社の飯田宮司が受け付けない。祭礼だけ固定した日にちでやり、祭りを日曜日にすればいいのに。
昨年、一宮市内の氏子委員が約200人集まって祭りの説明会があったときに、宮司に確認した。この宮司というのは、姫ノ宮の宮司をしているときに、田県神社(男性性器をかたどったみこし)と、姫ノ宮は(女性性器に似た石があり、これをご神体としていた)。この二つの神社は、男女一体の祭りであった。だが、男性のシンボルを担ぐこの祭りのほうが人気があり、姫ノ宮が寂しくなったので、日曜日に変更した。それをやったのが今の真清田神社の宮司だ。
姫ノ宮の祭りを日曜日に変更した説明を長々と言い訳し、揚げ句に、「あなたは自分の誕生日を変えられますか?」と言い放った。実は宮司は、大きな間違いを犯している。4月3日になったのは、祭神を記紀(古事記と日本書紀とを併せた略称)に合わせるように圧力をかけて、神社の本来のあり方を改悪を加えたのは、明治政府」であった。それは明治末ごろから今の4月3日に変更されたが、その昔は旧暦3月3日であの桃の節句に行なわれた。
それならば「桃花祭」なのは分かる。これを無理やり、「誕生日を変えられますか」言い放った宮司の、神官としての良心はあるんだろうか。疑問に思う。氏子の皆さんがそこまで知らないと思っての発言だろう。なめられたものだ。
まァ、どっちにしても、今年で、わが町内からの参加を最後にする。もうみんな年が来て、今度の参加は無理だからだ。昨日も書いたが、残念でならない。
今年の桃花祭の準備が始まった。まずポスターを作った。いまはパソコンで製作して、コピー屋に持っていけば、A3ならば、カラーで1枚150円でできる。これでまず雰囲気を煽ってやる。表通りから見える家に、これを貼り付けてもらう。神社、ご近所の町会長、料理屋、居酒屋、喫茶店に依頼した。
これから、申込書作りをする。それから役割分担を決めなければならない。重要な仲間が一人、店を閉めて町内を出て行った。だから配置転換を余儀なくされたからだ。最後の祭りをにぎやかにしたいものだ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
おすすめサイト アニメ・コミック ウェブログ・ココログ関連 ウォーキング ウオーキング エッセイ キャノンデールで行こう ギャンブル グルメ・クッキング ゲーム スポーツ ドラゴンズ ニュース パソコン・インターネット ファッション・アクセサリ プロ野球 ペット ボクシング ランニング ラーメン 住まい・インテリア 健康 占い 学問・資格 家庭菜園 心と体 携帯・デジカメ 文化・芸術 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 昔々のおれ達の遊び 映画・テレビ 昭和20年ごろのおれ達の遊び 書籍・雑誌 環境 祭り 福祉 経済・政治・国際 美容・コスメ 育児 自転車 花 芸能 芸能・アイドル 言語 趣味 車 音楽