2016年5月10日 (火)

退院のうれしさとチョット不安

私は移転性のがんで余命はいくらもないと思う。

病室は2度移転してただいま3度目にしてナースステーションの目の前である。ベルを鳴らせば10秒で駆け付けるという緊急事態即対応の患者になったのである。しかもベッドの下にはいつのまにやら、ナース呼び出し無線装置が布設してあった。深夜トイレの起きると、ベッドでモソモソ動いているうちに、もうナースがカーテン越しに来て、「どうしました」という。何と対応が早いと思ったら、この感知器のせいだった。

先日10日前の入院中、読んでいた本で、北杜夫(マンボウ)と畑正憲(むつごろう)の内容が同じ登場人物であったことに気が付いた。内容はこうである。

…北杜夫の友人がガンで入院した。その友人が同病の患者から「いい薬がある」とすすめられた。この話を畑正憲に話すと、彼が卒業した東大のガン研究所にこの薬の検査を依頼した。この薬の出成分は、鼻くそを丸めたような訳の分からないものだと分かった。そして一言、「ガンは一万分の一で回復する」と分った。その後ガン患者は回復して、その「鼻くそ丸めて…仁丹」ではないが、見事に回復して、そのガン薬を、「元患者」と言いながら売り続けているらしい。… 

私のガンはどうなんだろう?

薬・医師の限界・私自身のガンの進行状態から見て、退院はどれに当たるんだろう。

今、現在の状況は、

  • 頸椎の痛みが時々…ベッドのサイズに問題があるかも。
  • 左腰裏に鈍痛
  • 胃が時々シクシク痛む
  • 食欲がない
  • 食欲がないから便通がない。便秘ではないが、下痢症状で便秘になり、家内に救出願った。
  • 左足のむくみ
  • 両手首から指先までしびれている
  • 体がだるいから、歩きにくい
  • 退院後、家族と友人らの退院祝い(?)で、おちょこに半分ほどいただいた

退院後は、いたって品行方正な日々を送っているが、いかんせん、体がだるくっては動きが悪い。こうなると、気力まで失われるから困ったことだ。

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2016年5月 8日 (日)

メガネ屋へ

誰でも寝る前にメガネをはずしてから寝るのがふつうである。ところが入院中の薬のせいか、睡眠がやけに不規則になり、深夜am2:30には目が覚めてしまう。仕方がなく本を読み始める。ところが前の睡眠は仮寝のようで、というより、不連続線睡眠?というような寝不足なのか、いつのまにか寝てしまう。

朝起きるとメガネがない。探すと布団の中やらベッドの下から出てくる。深夜早朝うという病室にも構わず、仕方なくスポーツ用のノルディックポールの長い杖を出してガチャガチャ探す羽目になる。私のメガネは「跳ね上げ式のメガネ」で、わが顔の中で一番値が張っている。だからおろそかに扱えないし、下品な言葉で文句も言えない。今から15年以上前だろうか………。

「クッソー!なんてェメガネだ」

と腹を立てている。このメガネの販売店とはトラブル続きだ。この店との付き合いは、不慮の事故と景気の悪さが原因している。

愛用していたメガネは、キクチ製のものであった。このめがねに不具合があったのではなく、早朝のジョギング中に転倒してメガネを損傷していまい、使用不能にしてしまったからだ。突発的な出費となってしまい、仕方なく安売りの店の入った。景気さえ良ければいいメガネをと思いつつ、

「メガネなんて、大きなスーパーにテナントとして入っていると、それだけで高くなるわさァ」

と、一人合点し、《フレームとレンズどちらかをサービス》のうたい文句に、ついふらふらと安売りの店に入り込んだ。(この軽いのりがいけなかった)

目の検査もそれなりにしてもらい、出来上がったメガネをかけた。かけた当初は気にならなかったが、一日、二日すると、どこがどうなのか分からないがなにか変である。なぜか焦点がボケている。なぜなんだろう。鼻に掛かるベロ(この部分の正式な名称を知りませんので)こいつをいろいろイジクッテ調整したがヤッパリ変だ。あれやこれややっているうちにやっと発見したのは、メガネのレンズの製作に問題ありと判明した。目玉の位置とレンズの焦点が微妙にずれている。すこし左を上げてやると焦点が合うことが分かった。

そういえばこの店、目の焦点を合わせる時、店員が私の正面に立ち赤いマジックで目玉の中心に合わせてレンズに点を入れた。(オレは縁日のダルマか!?

そこで安売りの店に出かけて現状を訴えた。店員はいろいろフレームを調整したが、変化は無かった。そればかりか、私が

「目玉とレンズの中心がずれている」

という訴えも一向に聞こうとせず、調整を何度もしたが結局はだめで作り直すことになった。(ケッ!ざまァみろ)

二度目のレンズは焦点バッチリ!(やればできるじゃないか)。

ところが一カ月もしたら、今度は右のレンズにまるでジュースがかかり、それが乾いてへばりついたようなところがポツポツ出てきた。(なんだこりゃ?)

こいつが、日に日に増殖して、ついに右側のレンズはもやもやになってきた。私は中学二年からメガネをかけているがこんなことは初めてだ。またまた安売り店へ行って現状を説明し見せたら

「使い方が悪いのでは」

と、こきゃがった。その店員は三十歳台である。私はちょっとムッとして

「やいやい若造!よく聞きゃがれ、テメェーがオムツはめている時からメガネの「やっきゃ(世話)になっているんでェー。メガネはオレの体の一部でェー、顔洗って出直してこい!!」

というようなことを優しく言った。そしてダメモトで 

「事と次第によっては、消費者センターで・・・・調査も・・・」

とつぶやいてやった。そして再々度作り直してくれた。

その一年後、両方のレンズともボツボツテンテンモヤモヤのシミは、雨の日にフロントガラスに油を塗ったようで、全くイライラする。イライラがドンドン高じて怒りになってきた。ようしっ!もう一度メガネ屋の文句を言おうと店にいったら、なんと同じメガネ屋でも店の名前が変わっていた????

そういえば「店じまいセール」を二、三カ月前にやっていたことを思い出した。社名がセン○○ルからメガネ卸センター○和になった。会社が変わったのか社名が変わったのか、疑問は深まる一方だ。

もう調べる気も無い。これを機会にこういう店とは縁を切ろう。

内心、トラブルを避けるために意図的に社名を変えているんでじゃないかと・・・・?もういい、だって閉店したメガネ屋に同業者が入って商売が成り立つほど甘くはないと思う・・・・不自然すぎる。ユニーの中のキクチさんに

「つい浮気心を起こしてごめんナチャイ」Photo


 

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2016年5月 4日 (水)

壊れた砂時計(末期ガンからの脱出?)

あ庭で久しぶりに帰ってきた息子が、時価26、000円(2枚)する太陽パネルを設置している。家内は友Photo人と喫茶店に出かけた。午前中は息子が私を管理している。午後は庭に花を植えることにした。こんな手はずで平穏な家庭が戻ってきた。私は久しぶりにブログに対峙している。1か月半動かさないと、指も足の筋肉も落ちるだけ落ちたから、73歳の私にはいい試練だ。ゆっくりと慌てずに進めることにした。

入院中、いろいろなメールが入っており、ひとりひとつにご返事を致さねばならないのが、この世の仕来りだろう。

300通を超えるメールからの返事が、面倒になり心入れ替えて、ブログで一括回答する決心を今始めた。中にはSPAM(不埒な)メールが多い中に大事なメールを消してしまう可能性があるからだ。

今回の入院は、事実から端的にいえば、ガンを告知されそれをすり抜けてきた。(というと聞こえがいいが、関門ギリギリで許可退院したというのが事実ではないか)

2016年4月28日、午後2時に退院となりました。しかもどういう訳か、ナースステーション手術で入院をしてきたが、こんな対応を受けたのは初めてだ。もしかして今回はよほど迷惑な患者だったんだろうかと、苦笑いで答えて退院した。

私の病への市民病院での断書は、28年3月10日 下記のごとく診断を下されました。

病名「肝細胞がん、非代償性肝硬変」と診断され、いわゆる、「アルコール性肝硬変を認め、多発性肝細胞がんの右副腎移転と診断。外来にて2015年12月より抗がん剤(ネクサバール)内服治療開始しています」

要するに、アルコールの飲みすぎにより、転移性のガンとなり、ガンが移動を開始していて、手術や抗がん剤などにより、回復の余地はないという。

私はかねがねこうなることを予感していて、日本尊厳死センターに会員登録をして抗がん剤を使用しないという死を覚悟していた。それも友人がもう12年前に脳こうそくで倒れ、今や家庭内でも車いすの生活で、家族に苦難を強いられている。これを見ているからである。

とにかく退院したが、ブログを書くまでの気力がなかなか起きなかったが、やっと平穏な一日Photo_2
で指先が目を覚まし始めた。とにかくボチボチですが、始めることにします。またお付き合いのほどよろしくお願いします。

これからは、この先の人生を、周りを困らせながら、永らえてやろうじゃないか。

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2016年3月30日 (水)

病室より

私が入院するときは、我が家から700mと近く、私が卒業した幼稚園・小学校・中学校・高校が真上から見える。そんな学生時代を思い出すのも、格好の場所である。

なぜか病室というところは、やけに頭が冴える。何が起ころうが対処してくれる安心感があるのだろうか。今回の病室は最初は個室だったが、3日目に転室して相部屋になった。といってもカーテンで仕切られているし、意外や同室の患者は重病なのか、物静かである。

大量に持ち込んだ本を読みながら、スケッチと思たが、今回は少し症状が重い。先回は脊椎間狭窄症・頸椎ケルニア、十二指腸潰瘍と、確実に治る病状なので、本も読み、スケッチに院外に出た。その分病気という休暇を楽しんだ。

でも今回は先が少し不安な病状なので、本を読んだりスケッチを楽しむところまで気がいかない。その分病室の窓からや、ベッドの上で、瞑想にふける時間が増えた。例えば、

  • 痛み止め(ロキソニン)には水分を十分摂りなさいというようなことを、医師に質問攻めにした。
  • 院内の食事の名前が、「ゆめごはん」というネーミングが嬉しかった。
  • 焼きのりの寸法に国内基準があるのか。
  • 採血の後の血止めのは、スパイラル(ねじまき方式)のほうが、うっ血(血が止まってしまう)ということがない。
  • 院内の公衆電話の切れるのが早いのに驚いた。これでは古里のバーチャンと何も話せない。最近携帯電話ばかりだからなァ。
  • 4日間歩かないと、足がふらつく。退院後11日間たったが、いまだに歩行に障害があるなどという、へんなことを考えている。
  • カラスの朝晩の行動を記録した。

入院すると必ず院内日記を書くようにする。これは医師との通信記録だからだ。

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2016年3月29日 (火)

病床から脱出

だが病魔からは逃げ出したわけではない。

一昨年から内臓関係に異変を感じて、通院を余儀なくされている。昨年暮れに突如その異変が激痛になって起き、救急車で搬送され、診察と検査を繰り返す羽目になった。昨年暮れに再検査となり、スキャナー・CTなどを繰り返し3月13日にとうとう入院することになった。

約一週間、食べるな水飲むなど、点滴だけの苦行を乗り越えた。

「この手の病気にしては、あなたは元気がよすぎるから」
と、退院を勧告された。病名を明かすには、はばかりたくなるような若き日の悪行の数々。今から大いに反省しても過去は帰らないから、ただ前向きに生きることに残された人生をかけたい。一昨年、
「来年の桜は見られるだろうか」
不安を感じた。その来年の桜がもう満開になりつつある。今は自宅謹慎中なので、どうも桜を見ることができそうになさそうだ

しばらくブログを休んでいたが、これからボチボチですが書こうと思っております。このブログが途絶えた時が、桜の見納めになるだろう。

この休んでいる間に、ブログや、メール、電話でご心配をいただき、これを励みに尻を叩こう思います。まだ少し長生きをしたいから。

そこでわがパソコン基地を作った。右手には我が家より立派な五階建てのパソコンデスク。
一階には、これらの配線がゴチャゴチャと這いまわているし、レターケースが陣取っている。
二階にはコピー用紙と書き損じのパソコン用紙。これはメモ。
三階には小さなレターケースと電話機。パソコンデスクに市販の合板を横に這わせて、その端をキッチンの椅子にひっかけている。そこにパソコンと電子手帳2台、マウス、携帯電話。これで高さがひじ掛けぐらいになる。
四階にはレターケース、今まで通院した記録と町内の役職とマラソンクラブの事務局の過去現在の記録をクリアケースに収納。住所録、ラジオ、電波時計、息子がくれた小型のE550富士フイルムのデジカメ.このデジカメは、庭に来る季節の鳥のバードウォッチング用としゃれてみた。
五階には無線ラン、コピー機、庭に来る鳥観察用の小型の双眼鏡をアレンジした。これで少しは子供のころを思い出す基地ができた。

さてこれからこの基地発信のブログを書くとする。でも桜を待つのがいつまで続くだろうなァ。

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2016年2月25日 (木)

「海不揚波」という言葉に出会った

この頃よく思い出されるのは、オヤジと姉二人と私が、波打ち際に座っている姿である。これは実際に、伊勢か那智に旅行した時の、セピア色の思い出の一ページである。波の音まで聞こえてくる。この時姉二人は小学校に上がっていて、私が幼稚園らしく、そうするとオヤジは、この四、五年後に、49歳で他界している。

昨夜、急に海が見たい…と思った。そういえばこのごろ海を見ていない。腰痛と左足が不自由になり、体が思うように動かず、出かける気力をなくしていたからだ。

深夜、枕元にある電子辞書を開いた。「海」を開いた。その中の熟語で「海不揚波」が出てきた。枕もとのメモ用紙に、この海不揚波と書いて寝た。翌朝漢和辞典で調べると、下記のことが分かった。

……「海不揚波」とは、「海波を揚げず」と読むことが分かった。意味は〔韓詩外伝〕※ 海がおだやかである。天下泰平であることにいう。 ……

波がなければ、海は穏やかな凪であろう。波打ち際にはカニが這い、海鳥の声が聞こえる。遠くには雲が流れ、日の光が潮の匂いを醸し出して全身を潤す。そんな光景が頭に浮かぶ。近々海に出かけよう・・・。

※〔韓詩外伝〕とは、「詩経」の解説書。中国,前漢の韓嬰(かんえい)著。一〇巻。故事や古語を雑多に引き,それを「詩経」の章句で説明したもの。「詩経」の注釈書「韓詩内伝」の方は散逸して伝わらず,「外伝」だけが残る。

これを読んでいて、ついこの後に続く言葉を創りたくなった。

泉峰作(吾輩の雅号である)

「海波を揚げず 緑風大地を潤す」

いま索漠としたテロが横行し、罪なき幼い子らが命を落とすさまを見ていると、どうしようもなく寂しさを覚える。これが宗教戦争なんだろうか。もし神がこれを見たら、なんというだろう。

…海が見たい。

 

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2016年2月14日 (日)

婚って、よばう?

結婚の「婚」って、よく見てごらん。

「女」編に「氏」があり、「日」はあり、「昏」がある。

中でも曲者は、「昏」である。これを何と読むかによってドラマが始まる。

手ごろな電子辞書のよれば、その意味は、

  1. 日が沈んでくらくなる。夕暮れ。「黄昏(こうこん・たそがれ)」
  2. 昏々(意識なく昏々と眠り続ける)。昏迷(分別なく迷う。意識障害)昏惑・昏睡・昏倒)

これだけで判断しても、相当に意識混とんとして、さまよう宇宙のさすらい人か、恋にさまよいつい本命のチョコレートを贈りたくなる様な気がしてきた。ところがじゃ、漢和辞典で調べると、

  1. 夫婦になる。よりどころ。むこいり。えんぐみ。Photo
  2. さと。妻の実家。

ところが、デジタル大辞林では、

  1. 呼びつづける。何度も呼ぶ。
  2. (「夜這う」「婚う」とも書)言い寄る。求婚する。また、女のところへ忍んで通う。

古語辞典で見ると、確かに「婚這う」と使っている。

「婚這ひ文」…求婚の文。
「婚ひ星・夜這ひ星」…流れ星。詩、歌の秋の季語に、星は、すばる。ひこぼし。ゆふづつ(金星)。ここに婚這いが出てくる。

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2016年2月 8日 (月)

懐かしい人

『あの人に会いたい』という番組ってあったような気がする。

『会いたくない人と”ゴタイメ~ン!”』なんていう番組があったら、視聴率ゼロが記録されるということもないかもしれない。怖いもの見たさですこしは視聴率が出るかも?

先日、地方版に写真入りで記事が出ていた。顔に見覚えがある。もしやと思い記事を読むと、もう14年も前になるか、仕事で訪問していたスーパーのO社長ではないか。記事は、Oさんの住まい近くの寺が改修されることを聞いた。当時Oさんは心臓と胃を患いスーパーをやめた。それから這い上がるために、カメラをやり始めた。

そこでこの寺の改修の一部始終を記録写真として出版された。その記事だった。私はたまらずメールをした。仕事時代にはよく遊びに行き無駄なおしゃべりと思いながら、仕事の邪魔にならないようにお付き合いをしていた、さわやかな人だった。まさかそのOさんに記事で会えるなんて。

メールの返事は直ぐに来た。翌週に会う約束をした。当日一宮駅まで津島から電車で出てきてくださった。思わず抱きしめたくなるような気分になった。近くの喫茶店で2時間ほど話し込んだ。あっという間に時間が過ぎ、近くの妙興寺を案内をして近くの駅で別れた。

別れ際に、M乳業の元社長Nさんが、二人の共通する恩人だとわかってまた驚いた。Oさんは、M乳業に勤めていた時に大変世話になり、私はその工場に出入りしていた車のセールスマンとして世話になったからだ。別れ際に懐かしい話で後ろ髪を引かれる思いで別れた。

世の中こんな人ばかりならいいが、絶対に会いたくない性格の悪いやつもいる。

残り少ない人生、『あの人に会いたい』という人に会っておきたいものだ。

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2016年2月 6日 (土)

生物はどこの器官から発達したか

こんな疑問から、科学雑誌『ニュートン』を探し回っていてやっと出てきた。「最初の器官は口と肛門」であるという意見が出てきた。

生命にとってエネルギー源となるエサを取り入れ、いらないものを体外に排泄する機能はもっとも基本的なものでしょう。例えばクラゲの様な生き物(刺胞動物)では、エサをとる穴も、排泄する穴も同じです。同じように、私たちの遠い先祖も最初は口と肛門がいっしょで、その進化の過程で二つの穴と別れていったと考えてられます。これは2005年11月号のニュートンからである。

ところが最近のニュースでは、

―― 60年前に深海で見つかった紫色の靴下のような姿をした生物が、進化の初期段階の生物だったことが分かったとして、オーストラリアや米国の研究チームが科学誌ネイチャーに論文を発表した。生物の進化の過程について探る手がかりになるとしている。

「珍渦虫(ちんうずむし)」と呼ばれるこの生物は、脳も目も生殖器もなく、1つだけある開口部から餌を取り込んで排泄(はいせつ)物を出す。スウェーデン沖で発見され、1949年に報告されていながら、正体についてはさまざまな説があった。当初は軟体動物と誤解され、複雑な生物が退化して単純な生物になったという説が有力視されていたという。

しかし西オーストラリア博物館のネリダ・ウィルソン研究員らのチームが調べた結果、珍渦虫はもともと進化の枝分かれの初期に位置する単純な生物だったことが分かったという。 ――

要するにまだ初期的進化の状態を保ったままの生物が、この地上にまだいるということだ。

最近よくブログをお休みをいただくが、夜は9時には就寝、朝はどうしても4時半に起床してしまう。朝のラジオ体操に出かけ、仲間たちに時のあいさつ…というより、顔を出さないと仏にされるからだ。もう半年来ていない御仁の消息が分からない。誰かを使者に差し出すかという話だ出てきているが、こういうヤツに限って、人当たりが悪いやつで、誰も行こうとしない。だから今もそのまま。7時に朝食を過ぎて、NHKの朝ドラ「朝が来る」を見て、リクライニングシートを倒すと、本を持ったまま、いつの間にかうたた寝している。

10時にはマウンテンバイクにまたがり約一時間徘徊、ドラマを見て昼食、うたた寝、マウンテンバイク、ドラマ、うたた寝…どう考えても寝てばかりいる。

オレは「珍渦虫(ちんうずむし)」の反対で、どんどん退化していくのではないかと案じられる。でも寝ているときは極楽だがね。天国には少し早いが。

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2016年1月28日 (木)

手乗りセキセイインコ発情期へ

2014年5月、飼っていたインコが亡くなったで、寂しくて仕方がないので、代わりをペットショップで、2000円ほどで購入してきた。飼育始めてはや1年8カ月、最近発情し始めた。

食いつくという凶暴性が出始めた。といっても血が出るほどの噛み方ではない。インコの名はピーコ。こいつの近くに耳があれば耳を噛まれる。鼻、などは大きすぎて噛めないがこれが唇だと痛い。指先は絶えずやられているから慣れている。

そろそろ思春期という反抗期に入ったか?こんな仲間が、我が家にはどこにもいないインコが、体内から発信する発情信号を着実の実行し始めた。

今までもインコは、生殖行為、自慰的行為またはマスターベーションは、布団の端っこ、毛布のはみ出た羽毛状態の場所を探して、腰を振りかける。私の頭が今は丸坊主にしたが、以前は5分刈りぐらいだったので、ピーコにとっては羽毛状態でまことに肌触りがよろしいのか、いつもお相手をさせられる。

一生懸命腰を振り、だんだんと感情が沸き立ってくるとその激しさは、目が点になり、触っても見向きもしない。そのうちに昇天間近になるとうわ言を言い始めるが通訳が出来ないが、時々だが自分の名を「ピーコチャン、ピーコチャン」と連呼し始めたり、あらゆる鳥語が混在してくると、もう間近である。

いよいよ頂点の時は羽がだんだんと広がり、対象物(この場合でいうと家内の指)を抱え込むようになり、「ピタッ」と静止すれば、射精するのだ。家内の指には、激しく燃え上がり、全身全霊を込めた、相手のいない青春の残照という、シズク程度の液体が残る。Photo

その後の虚しさは、相手(♀)が与えられないという、知る由もないピーコにとって
は、唯一家内の指がこれからの青春を謳歌する場所になる…と、思うでしょうが、そうはいかないのが我慢ということができないのが、この発情である。

国内外でも教育関係者で先生と名が付く人らも、この「発情」に我慢という字をくっつけること2
の難しさを毎日新聞を賑わしている。4

私が靴下で毛羽立ったものを履いていると、ピーコに襲われるようになった。今はやりたい放題。

そんなせいだろうか、窓越しにくるスズメに恋をしている?

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