2015年12月29日 (火)

MRIで音楽を聴ける

書き始めはこうだが、心は泣いているのだ。

11月から始まった胆石で緊急事態発生で休日救急搬送された。それ以来胆石が行方不明になり、追跡は始まった。エコー検査、MRI、CT,内視鏡のよる胃から十二指腸、胆管まで調べたが、胆石は発見できず。ついに大腸検査までに至ったのだ。

そして出た答えは、12月22日から2016年1月5日まで禁酒宣言をいただいた。ありがたくない、非常にありがたくないのだッ。要するに今まで肝硬変の疑いがあるで過ぎてきた、疑いを晴らす時期であるという。

いつかはやらなければならないことだが、なにも年末年始を挟んでやらなくてはいけないとは、トホホである。仕方がないので、22日から禁酒を守っている。年末は氏子総代として神社境内で「御神火を焚きあげるどんどこ」がある。これは31日午後9時から翌正月の火が消えるまでやらなければならない。この間寒いのでお神酒が入る。

どんどこが終われば、家に帰り、正月のお屠蘇が待っている。試練である。辛いのである。もう嫌になるのである。何んこんな時期に胆石らしき症状を出さなくてもいいものに……と思うのだが、しでかしたのは誰あろうこの私だが、起こそうとして起こしたのではないことは、断言できる。もうそろそろ1週間たつと意外や慣れてきた。だが試練はまだ来ていない。

正月がまだ来ていない。1月4日は我が家でクラブ員13人ほどの新年会がある。この翌日に検査が待っている。意地が悪い医師は、たぶん正月は休日出勤なんだろう。それでなきゃ、これほど意地悪なことはできない。

アノ~ッ、MRI検査機の中で音楽聞けるという話はァ……。
そんなこと知るか、アホ、バカ、間抜け、(# ゚Д゚)、(#^ω^)、⚓、…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月30日 (月)

オヤ?タイヤに青い目が出てきたぞ?

最近尾てい骨が痛くって、サドルの位置を何度も調整していた。サドルカバーも交換した。カバーを外したら、サドルがめくれ上がっていたので交換しよう。ハンドルも手のしびれ対策に、少し位置の高いものに変えた(9000円)。

それでも一向に腰の調子が良くならない。そう思いながら、サドルを調整していたら、前輪のタイヤにガムテープらしきものが張り付いている。黒いタイヤに白い目がありその真ん中に青目がある。変わり玉飴のようだ。めくろうと思ったら、取れないばかりか、そこが凹んでいるではないか。こんな一箇所だけ凹んでくることがあるんだろうか。もしかしてタイヤの減りの目安なんだろうか。車ならやイヤの一部が早く減る場所が有り、それをスリップサインというが、マウンテンバイクでは初めて見た。

いかんがやァ、毎日30km前後走っているから、とんでもない15km先でパンクでもしようものなら、それこそ、お家の一大事ではないが、体の触る。早々に私のマウンテンバイクの師匠に携帯で電話したら何ということか、いま「タイ」にいると受信してきた。あの外国のタイである。慌てて切った。以前ブラジルへ家庭用の電話機で掛けた。久しぶりに移民している姉家族と話しこんだ。時間にして30分足らずで、なんとなんと6003円かかっている。

使用時間は、AM9:42:29から26分02秒電話していた。たかだか26分で、料金の請求書が、なんと6003円である。時間が早いのは、向こうの起きている時間と合わせなきゃいかんからだ。まるっと12時間時差があるからだ。それにまだブラジルは昨日の時間だ。今日から昨日へ電話している。(変なの)

師匠が帰るのを待っていたら、どこでパンクするか分かっちゃいない。だから行き付けのポパイという自転車屋へ出かけた。もう今年に入ってハンドルを位置の高いのに交換した。これは手のしびれを解消するためだ。Photo_2

しかし今度は、タイヤ二本とサドル交換である。最近ママチャリに抜かれるようになった。電動バイクなんて80近いご婦人が私を追い抜いていく。このスピードで対応できるか心配するが、お構いなしのスピードである。そこで対抗意識を燃やして、細身のタイヤに変えた。

これで14500円である。今月に入ってサドルカバーとハンドルも入れれば、25000円もかかっている。途中でパンクするよりはいいが、私の財布はすでにパンクした。こちらも痛いが、腰も痛い。

おっつけ電話代も請求される。ウガ~ッと叫び声を上げたくなった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月26日 (月)

頸椎、脊椎手術後5年、歩け歩け!

競輪選手は歩けない、これはある整体医院の広告から。

――競輪の選手は脚の筋肉を鍛えているので、太もものあたりは筋肉モリモリ、その太さは普通の人の胴くらいあります。毎日何時間も自転車をこいで練習をしていましたが、あまり歩いていませんでした。自転車をこぐ能力は異常に強くなっているのに、より基本的な歩く能力が常人以下にまで落ちていたのです。
 人間の身体は自転車に乗るようになっているのではなくて、歩くようにできています。基本的な筋肉のバランスがとれた上でないと、せっかくのスポーツも腰痛などの副作用が出てきてしまいます。――

徹子の部屋で、ゲストにバレボール日本代表の益子直美さんと元自転車プロロードレーサーの山本雅道さん夫妻が登場した時の話だ。

実はこの話を友人から聞いて、下記のことをホームページを探し当てて知った。
――番組で益子さんが山本さんを取材したのが知り合ったきっかけという二人。お互い一目ぼれだったことを明かす。また、付き合い始めたころ一緒に散歩をしていて、益子さんが山本さんに対し「なんだ、この人」と不思議に思ったという――

全く歩けない人だったらしい。

競輪選手は自転車を漕ぐ筋肉がものすごくあるのに、歩く筋肉が付いていないらしい。

私が頚椎と脊椎を手術した。特に腰部脊柱管狭窄症で脊椎の5本あるうちの4本を手術をした。その時の医療行為の説明書にこうある。

「腰の神経(馬尾)が周辺から圧迫を受けています。圧迫の原因を取り除きます。片側の椎弓を切除し、主原因である黄色靭帯を両側切除します。椎間関節の一部も切除することがあります。以上の操作で狭窄した脊柱管は広がります。馬尾に回復力が残っている場合は、症状の改善も期待できます」

上記の手術で靭帯を取っている。しかもチタンで固定をすることは止めた。実は頸椎にはすでにチタンで4本を固定しているからだ。だから、いつ腰がグラグラになるかもしれないという不安があり、代わりの筋肉、腸腰筋を鍛えるためにマウンテンバイクに乗り始めた。腸腰筋とは腹筋の下に隠れている腰椎と大腿骨を結んでいる筋肉である。これを鍛えれば靭帯の代わりを作るという方法を、自己流に取り入れた。

以来マウンテンバイクで走り込んでいるうちに、短時間で移動できるマウンテンバイクにはまりすぎて、歩く筋肉を落としてしまった。元々鈍足ランナーだが走っていた。

それを意識したのは、床を裸足で歩くと、踵の骨が当たるような不自然さを感じた。それはペッタンコの靴で、コンクリートの上を走っているようで、クッションがまるでなくなっているのである。これに驚いて、心を入れ替えて歩き始めた。人間は歩くのが基本だ。そしてノルディックポールでグイグイと身体を前に押し進めて歩き、歩く筋肉を鍛え始めた。毎日3~7km、一週間に1~2度10km歩いている。

ヨチヨチ歩きの競輪選手になりたくないからだ。もうランナーには戻れないが、人並みに歩きたいからだ。現在、痛み止めも飲まず、コルセットもせず、11月21日に小牧山往復24km完歩できた。

術後を恐れるな!ジッとしていたら筋肉はどんどん衰える。どんどん動かすことで、神経経路が復活する。脳は再生する機能を持っている。以前こんなブログを書いた。

――人間には再生能力があると思っている。トカゲではないが、切れた尻尾が生えてくるようなことはできませんが。確か歌手の円広志さんの息子さんが、脳の半分の機能を失ったが、まったく不自然さを感じないほどの快復をされているテレビを見た。脳の中で機能を失った脳を、反対側の脳が盛んにバイパスを作ることが分かってきた。――

これなんです、絶対にあきらめないことです。病魔に襲われて、体を不自由にした友人に毎回言ってることだが、あきらめないで、無理しないで無理して下さいと。恥ずかしがることはない、ゆっくり動くことで、見る世界がまた違うことを感じてください。これは障害者を書いた灰谷健次郎の本に切々を書かれてある。

私の場合、マウンテンバイクより鈍足ランナー、それよりウォーキングの方がより見る世界が肌身に実感できますから。一度車から降りてみませんか、あなたの世界が変わりますから。もう一度言います、無理しないで無理してください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月15日 (土)

土砂降りと雷

今日は参った。天には勝てなんだ。

マウンテンバイクで走っている途中、前方の雲が真黒である。しかも垂れ下がっている。稲沢方面が真黒である。
一宮の東の方は多少明るさがある。
私が今いるのは、一宮の西の端で萩原にいる。ここから巡検街道を南に方向を変えようかと思ってたが、思い直して明るい北東に進路を取った。

ここからしばらくは広大な田んぼが続く。その向こうに名神高速道路が見える。もしもの時には高速道路に下に逃げ込めばいい。そして田んぼの真ん中を走っている時に、突然バタバタといきなりバケツをひっくり返したような雨が襲ってきた。

周りは田んぼだから道路が冠水することはないが、雨が用水や田んぼに流れる暇がないほど降って来るので、マウンテンバイクはまるで水中を走っているようだ。車が走ってくるようPhotoな道でないのが幸いだ。こうなればもう濡れたってもいい、いいシャワーを浴びているようで、何か子供の水遊びのようないたずらをしている気持ちになった。

すこし前までジョギングをしていたころは、雨の中を平気で走っていたものだ。汗をかいた時は気持ちがいい。やっと高速に下に入り一休み。

後で分かったが、この時の雨は1時間で22.5mmだったという。やっと体験できた。雨量というのは、一平方mあたり22mmということは、この面積に70リッター降ることだ。それが一気にコンクリートの路面を流れ用水に入り込むから、川はあっという間に増水をするし、路面が低いところはあっという間に水面下に沈んでしまう。こういうところに民家あれば、床下浸水となる。

車がよく水の中を走っているが、知らないということは恐ろしいことだ。今の車は軽四輪でもパワーウインドウだ。車の電源が水でショートすれば、電気周りはすべてアウトである。ドアーの半分まで水が来れば、中から押そうが叩こうがビクともしないし開かない。だから自分が水死することを覚悟しなければならないという、残酷な死に方をする。

高級車になるとコンピューターを搭載している。これも水には全くダメで、あっと言う間に動かなくなる。水溜りには入らないことだ。我がマウンテンバイクは、足漕ぎなので、水の中だろうが関係ない。水の中をジャブジャブと走られる。ワアハハ~ッ!車メ、ざまーみろ!と雨の中を走りながら、ほくそ笑む。

家に帰ったら、雷がいきなりガシャン~※と落ちた。雷が来るとラジオを付けておPhoto_2 く。こうすれば、放電をキャッチして雑音が入るが、この時ばかりはいきなり来たから、ご近所に落ちたということだ。放し飼いのセキセイインコが、ギャッといって、家ん中を飛び回っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 5日 (水)

またまたマウンテンバイクがパンク

一週間に2度もパンクは初めてだ。今まででもは、自転車のあんなに細いタイヤがパンクするとは考えもしなかった。だが走る距離が長いので、当然危険は付きものだ。なんてったって一年間の走行距離は、1万kmである。(私なんか一年間で3000kmも走ってもらえない、とブツブツ文句っを言っているのが、マイカーである。私が車屋を退職するときに、これからはもう車には乗らないと決めていた。車屋にいて車があまり好きではなかった。だから最小限乗れればいいと、軽四輪にした)

我が日記はパソコンに入っている。「パンク」を検索を掛けると、8回出てきた。内マウンテンバイクのパンクは6回である。あとの二度は、マイカーが全く乗らないで駐車場に入れっぱなしにしているから、タイヤにヒビが入ってきた。こうなるとどこでパンクしてもおかしくない。パンクどころか、瞬間的にタイヤが爆発する「バス」を起してしまう。そこでタイヤを総入れ替えをしたときの記録である。

もう一つは、友人の孫が生まれた。若嫁がパンクした時の記録したことが出てきた。これもパンクか。

私がマウンテンバイクに乗り始めたのは、平成18年いよいよ歩くことができなくなり、頸椎と脊椎を手術することに決意し始めたころだ。筋力を落としてはイカンと検査検査の合間の縫って、乗り回し、手術するまでのなんと1万km乗り回して手術した。これが幸いして、回復は医師を驚かせる回復であった。

そんな乗り始めたころの、平成18年4月26日。買って直ぐにだ、初乗りでパンクした。なんでも、リムかタイヤに欠陥がありクレーム修理してもらった。頸椎や脊椎を痛めていて、歩く距離は100mが精いっぱいの時で、あの苦痛はなかった。わが家まで1kmよれよれになって帰り、車で自転車屋ポパイに運び入れた。

走るコースは、側道が広く、安全な道を走っていた。平成21年2月25日、いきなりバスッと空気が抜けた。いきなりガタガタと揺れた。見ると5寸釘の折れたやつが、見事に刺さっていた。こんなに太い物がこんなに細いタイヤに刺さるかというほど見事な釘であった。ここから私の自転車の「慎ちゃん師匠」の車屋まで、2kmマウンテンバイクを引っ張っていった。この道のわきに、ビル工事の型枠大工の作業所があったので、以降コースから外された。

この慎ちゃん師匠は若いころ、今も若いが、自転車屋で修行をしていたので、自転車の修理はお手の物だ。私の自転車のいい相談相手だ。

どうしてか不思議で、毎日空気が抜けるが走られないことはない。ポンプで空気を補充しながら走っていた。平成24年2月、とうとう自転車屋ポパイに寄って調べてもらったら、なんと裏を探っていた店主が、わずかに頭を出している針のようなホッチキスの玉が刺さっていた。それで毎日空気が減ったのだった。

平成24年2月28日、友人がいつも行くトレーニングセンターの近くで釘を拾った。ここから自転車屋ポパイまで6km何度も座り込みながら、やっとたどり着いた。このパンクした直後、この友人がトレーニング中に、くも膜下で倒れた。パンクとつながりはないが因縁を感じた。友人は20日間意識がなかったので、家族も私も最悪の事態を考えていた。今はもう4km歩いてリハビリという名のトレーニングを始めている。4年ほど前にこの友人が胃がんで胃を半分切除手術して、1年後、東北の山を7日間連続で7つ踏破して帰ってきた。強烈な人物である。

今回の不運は、ここから始まった。平成24年8月28日、少し遠回りをしようと思い、名古屋へハンドルを切ったとたん、はっきり分かるほど空気が抜けた。なんと波トタンを打つ釘に皿が付いているやつが刺さっていた。仕方がないので少し歩いてみたが腰の調子が悪く、あと5kmは歩けないので、慎ちゃん師匠を呼んで車で運んでもらった。

俺ってなんという悪い星の下に生まれたのかと思いたくなった。またまたパンクした。尾西の木曽川から少し一宮寄りで、バスッと抜けた。じたくまで7kmもある。平成24年9月1日、ここからどこまで歩けるか辛抱していたが、歩いて2km、とうとう慎ちゃん師匠を呼んで車で運んでもらった。

こうしてみると、一年間の走行距離が約1万km。購入して6年、総走行距離は7万kmを超えている。パンクの回数からすると、1万kmに一度の割でパンクしている。

時間帯は午前中のみ。どういう訳かは不明である。日時が判断できない、ジワジワ抜けたのが一回、25日、26日各一回、28日が二回、1日というから、月末から月初めの午前中はパンク特異日というデーターだ出た。これは記録魔な私ならではのデーターだからね。今年は当たり年なので、さっそく宝くじを買ってきた。今度は当たるぞ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年8月28日 (火)

たまには変わった道もいいもんだ

川島の河跡公園に行く。ここは大昔の木曽川の流れの跡地にできた池を、小さな公園にしたもので、なかなか美しい。しばしベンチに腰かけて池から吹き上げてくる風に当たる。ここで一句、

音もなく 川面に映る 夏緑 ほほを撫でる 風爽やかに  泉峰(これワシの雅号)
内心の句・なぜここに ビールがないかと 悔やまれる……と詠みこみたい。

友人で尺八をやっているのがいる。彼がいつも静かな公園を探している。尺八って結構音が通るから、民家があることに気を遣う。ギターをやっている友人は妙興寺の山門の下でやっている。まァ、ギターは音が通らないからどこでもやれるが。尺八も妙興寺に来ていたが、蚊が多いと嘆いていた。ここならいい場所だ。さっそく知らせてやろう。

岐阜県側に渡り、川下にマウンテンバイクを走らせる。笠松競馬場の脇を通り、そのまま羽島へ。木曽川の右岸堤防下にはサイクルロードが出来ているが、堤防の下になるので、展望は全く効かない、安全というだけの道だ。堤防の内側なら水を見ながら走られる。人というのは、というより私だけなんだろうか、川とか海や湖の水を見るのが好きだ。なんとなくとても、ホッとした落ち着きを感じがする。展望が悪いので、田んぼの真ん中の道を走る。途中でハスの花が乱舞していた、こういうのがいい。たまには道を変えるのもいい。

尾農大橋から玉ノ井、奥町駅、三条、毛受から、自転車屋のポパイまで来て思い出した。バックミラーと水筒をかねがね欲しいと思っていたので、購入した。今度のは保冷式の物だから、氷を摘めておくといつまでも冷たい。しかもくわえたままで栓が抜けるから、走りながら飲める。先日歯を入れたばかりなので、栓を抜くより歯を抜かないようにしないと。こういうのは前にも使っていたが、今使っているのは、アルミ製で、栓をイチイチひねらにゃいかんので面倒になってきた。バックミラーは反射面がぼやけてきた。この鏡の部分は大体一年でボケてくる。色々買ったが、どいつもこいつも表面加工が悪いなァ。まァ2200円だから文句は言えないが。

昼になったので、本町の「日の出屋食堂」で、ビールとカジキの刺身とイワシの煮付け、厚揚Photo_4 げで、店のオヤジさんと話し込む。この親父さんは、私と同じ高校出身で、2年先輩になる。バレーボールクラブの2年先輩の話を出して、話の糸口を探すが見つからなかった。話好きな私には、不完全燃焼した店だった。

右の写真は、本題とは全く無関係。フォトスタジオの中で、撮った写真を色々「変換」して出来たもの。「ブラインドの向こうの、デュランの花」です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月21日 (木)

接触はしていないが、驚いて転倒したときは、交通事故になる

コンビニを通りがかった時、駐車場から出てきた車が、こちらを全く見ないで出てきた。運転手はここから左折するが右からの交通量があり待機中。こういう時は運転手から目を離さない。だってこっちを見ていないからだ。でも右からの交通が途絶える前だから、駐車場から出ようにも出られない。

私はマウンテンバイク、こんな状況からこの車は動けないと判断したので、用心しながら車の前を通りがかった時、車が動き始めた。まだ交通が途絶えていないのに。ビックリしたと同時に「どこ見てんだ!」と怒鳴りつけてやりながら、車がちょうど途絶えた車道の方へ切った。

駐車場からの車は急停車した。私は車道からもう一度歩道の方へハンドルを切りなおした。だが運の悪いことに縁石に前輪を引っ掛けてオットットと言いながら足を出したが地に付かずあえなく転倒し、ゴロッと一回転して座り込んだ。腕と足の膝を打ちつけた。腕から薄っすら血が滲んでいた。

ここで思いっきり怒鳴りつけてやった。ここで相手運転手が「触っていない」なんて言おうものなら、警察を呼んでもめてやろうと思ったら、意外やゴメンなさいと素直に謝った。これを聞いて怒りが収まった。名前も車も確認することはなく、別れて気が付いた、ズボンが破れていた。

金を取ってやるんだった。そこでもう一度確認する意味で、車と接触していないが、驚いて転倒し、ケガをした場合の補償はどうなるか。調べた結果、以下の事例を確認した。

―――交通事故については接触したかどうかは関係ありません。
道路上で貴方が転倒されたということ自体が交通事故であり、自分で転倒されただけであれば自損事故ですし、相手の車を避けるためであれば、相手のある交通事故ということです。

といっても相手側から補償を得るには、警察に人身事故として届出る必要があります。相手側は警察から呼び出してもらうことも可能ですが、まず自分が人身事故として処理するという意思表示が必要です。―――

シマッタ、もっと落ち着いて、元車屋の私としたことがくやしい。擦りむいたところは時間が経てば治癒する。だがズボンの破れは何とも悔しいではないか。

Photoズボンを返せ~~っ。

私が走っていた歩道は、ここなんです。だが自転車の交通標識をご覧なさい。歩道の走行は、左右どちらでもいい標識の写真がある。明らかに右の歩道に歩行と自転車の表示ががある。自転車とはどちらの歩道を走ってもいいのである。なにも車道と決められていない証拠だ。

こんなこと以外に自分が加害者になる可能性がある。自転車の交通方法は、左側通行。意外や右側を走っていませんか。これで相手が転倒した場合は、あなたが加害者である。Photo
朝の通勤ラッシュ時によくあるのは、曲がり角をレース紛いにアウトインアウトで突っ込んでくる自転車がある。曲がり角でちょうど右側通行すると、対向してくる人や自転車と衝突する。自転車の左側通行を無視した結果だ。これなどは右側通行した自転車に、相手がケガをしたときは賠償責任がある。反対側車線を走った車と同じだ。

犬を連れていて、犬が吠えたのに驚いて、車道へ飛び出したところへ車が来て交通事故を誘発した場合は、一時責任はあなたにもあるということになる。犬嫌いだと異常反応で、飛び上がった拍子に飛行機とぶつかって、凹んだら、どうなる?

私は法律家でないが、犬の飼い主は、人と飛行機の賠償をしなくてはならない。

ズボンを返せ~~~~~~~~~~~~!
仕方がない、これから暑くなるので、ひざ下を切り落として、半ズボンに改造するか。

ズボンを返せ~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!

※念のため、事故を起こした際は、保険会社にご相談ください。「被害者請求」が出来ますし、自賠責保険の請求時に必要な「事故証明書」は、警察ではなく「自動車安全運転センター」で発行されます。窓口に行かれてもいいですが、郵送で取り寄せることも可能です。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年12月29日 (木)

頭が寒い

頭が寒い!

何せ、この寒さで、しかも3mm刈りでは、いくらなんでも頭寒足熱とは言い難い寒さだ。もともと禿げている人なら慣れというか、天変地変というか天変地異に感じなくなっているからいい。だが私は、家内がバリカンでメモリを間違えたのが始まりで、6mmを3mmされたという、まるで交通事故の様である。しかもこの季節にである。(恨みでもあるんか?)

底冷えというより、天辺冷え?(底の反対は、天か?)。何か背筋がゾクゾクする。だから毛糸の帽子が離せない。

昨日もマウンテンバイクで木曽川の堤防を走ってきた。西の方に伊吹山や西濃の山々が白銀に光っている。北東の御岳山が白くそびえ立っている。風は北風、寒風が頭に突き刺さる。ザビ~ッでいかんでいかんわァ!(寒いの最上級の尾張弁=通常否定の否定は肯定になるが、この尾張では否定の最上級となる)

背中がゾクゾクする。最近友人が教えてくれた、温かい腹巻である。1000円前後で売っている。足の冷えない靴下もある。

最近節電の風潮の意識が高くなり、こういう商品が多くなり、コーナーまで設けてある。頭の冷えない帽子も作ってほしい。

朝のラジオ体操には、2~3日前の雪がいまだに凍てついているから、自転車で転倒なんてことにならないように、お休みしている。日の当たる時間にしか走られない。

サビ~ッ!(寒~い)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月27日 (火)

郊外を走ると

寒いなァ。155号線から、西成まで来た。ここは歩道が広いから、安心して走られる。私は69歳の頸椎と脊椎の手術後のリハビリの筋肉補強のために、ユルユルでもいいが長い時間、マウンテンバイクで走るようにしている。午前中は9時から12時まで、約23~30km走る。午後は1時半ごろから3時ごろまで、約10km走る。これが日課である。

これが済むと「水戸黄門」を見る。あとはパソコンをやりながら飲んでいる。

西成から右折南下して、一宮インターに向かう途中、田んぼの中を、折りたたみ自転車にまたがったサンタが走っている。これは絵になるとカメラで撮ろうとしたが、ウエストバックに入っている。停車してカメラを取り出していたら、もうサンタがいなくなっていた。上空を見て、もしかしてトナカイが空を飛んでいるのかもしれない。でもどこにもいない。どこへ行った?この近くには幼稚園もある。ヒョットしてそこへ行ったんだろうか。

キツネに騙されたような気持になり、名神高速道路のガード下に来て驚いた。いつも交差点で信号待ちするガードレールが、物の見事に4本の支柱ごと倒れていた。それも結構ゴツイ支柱である。もしこの場で信号待ちしていたら、私はあの世行きだっただろう。

コンビにい寄ると、爆睡している男性がいた。これを見た私とご婦人が大爆笑。車のシートをそのままに、パックリ口を開けて、意識不明状態!ご婦人がどこのナンバー化確認すると、「尾張小牧」ナンバーだ。写真を撮ってやろうかと思った、個人情報を流すのがためらわれた。でも気持ちよさそうだ。

田んぼ道に出ると、遠くに伊吹山が白銀に光っている。寒いはずだ。やっとスキー場に○が点灯し始めた。

国道22号線に出ると、歩道と車道の15cmもある仕切りコンクリート塀が、バキッと折れている。それも一直線の道だ。もうどこを走っても安心できな~い。

最近自転車に事故が多いと盛んに言うが、私から見れば、車の運転者が、全く歩行者や自転車を確認せずに歩道に突っ込んでくる。私の場合は、運転手をにらみつけるようにしている。そしてを私を見ているかどうか、確認しないと車の前には出ないことにしている。

車と自転車では勝負にならないからだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月11日 (土)

大転倒

私の使ってるのは、キャノンデール。もう5年使ってる。この間、地球を一周している。何も本当に地球を一周したのではなく、5万キロ以上走っている。一日30~40km走行している。

走り始めたのは、マラソンやウルトラマラソンのトレーニングに、近隣の山を走っていた。それが原因したのだろう、頚椎と脊椎を痛め手術することになった。1年間は検査で検査で、その間筋肉を落とさないようにと、マウンテンバイクにまたがった。手術後はリハビリに走り込んでいる。

これがキャノンデールとの出会いであった。いままで転倒したのは、ベンデングというペダルにガチャっと固定するやつを使った。このときペダルから足が離れず、思い切りこけた。

2度目は今年の正月「第23回、初もうでジョギング」というイベントをやってた。私はジョギングで15kmは無理なので、マウンテンバイクで行くことにした。真清田神社をスターットして、楼門の踏み板に差し掛かったとき、これは凍り付いていて、思い切りこけた。

今回は、サドルの位置を少し上げて、踏み込みやすいようにした。これがいけなかった。あと少しで我が家という横断歩道にきた。ちょうど信号が変わってので止まって足を着こうと思ったら、足が着かない。そのまま植え込みの中にこけた。

植え込みは小さな木で、起き上がろうとすると、ノレンに腕押し。いうことがきかないという2_2 か力が入らない。しかもマウンテンバイクのポールに足がからみ、まるで四の字固めに会っているようだ。もがいていると、車からご夫婦が降りてきて、「おじいさん、大丈夫ですか?」と救出して下さった。そこで「救急車を呼びましょうか」というので、断った。

でも「おじいさん」とは、手足の肘の傷より、心が傷ついた。

今、足のヒザと腕の肘と、右腕はアザだらけ。

だからサドルを下げた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧