2016年2月25日 (木)

「海不揚波」という言葉に出会った

この頃よく思い出されるのは、オヤジと姉二人と私が、波打ち際に座っている姿である。これは実際に、伊勢か那智に旅行した時の、セピア色の思い出の一ページである。波の音まで聞こえてくる。この時姉二人は小学校に上がっていて、私が幼稚園らしく、そうするとオヤジは、この四、五年後に、49歳で他界している。

昨夜、急に海が見たい…と思った。そういえばこのごろ海を見ていない。腰痛と左足が不自由になり、体が思うように動かず、出かける気力をなくしていたからだ。

深夜、枕元にある電子辞書を開いた。「海」を開いた。その中の熟語で「海不揚波」が出てきた。枕もとのメモ用紙に、この海不揚波と書いて寝た。翌朝漢和辞典で調べると、下記のことが分かった。

……「海不揚波」とは、「海波を揚げず」と読むことが分かった。意味は〔韓詩外伝〕※ 海がおだやかである。天下泰平であることにいう。 ……

波がなければ、海は穏やかな凪であろう。波打ち際にはカニが這い、海鳥の声が聞こえる。遠くには雲が流れ、日の光が潮の匂いを醸し出して全身を潤す。そんな光景が頭に浮かぶ。近々海に出かけよう・・・。

※〔韓詩外伝〕とは、「詩経」の解説書。中国,前漢の韓嬰(かんえい)著。一〇巻。故事や古語を雑多に引き,それを「詩経」の章句で説明したもの。「詩経」の注釈書「韓詩内伝」の方は散逸して伝わらず,「外伝」だけが残る。

これを読んでいて、ついこの後に続く言葉を創りたくなった。

泉峰作(吾輩の雅号である)

「海波を揚げず 緑風大地を潤す」

いま索漠としたテロが横行し、罪なき幼い子らが命を落とすさまを見ていると、どうしようもなく寂しさを覚える。これが宗教戦争なんだろうか。もし神がこれを見たら、なんというだろう。

…海が見たい。

 

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2014年2月11日 (火)

東西南北にどんなことわざがある

一番手頃な電子辞書を取り出した。

東西南北の漢字が頭に来る『暮らしのことわざ早引き事典』を検索する。
まず東を…あれ?東が一つもない。では東をパスして西を探す。出てきた、それも東を連れてきた。

  • 西と言ったら東を悟れ……人の言葉を、額面通りに取っていいときとそうでないときがある。言葉に裏があるものや言外に示している意味を察しなければならないということ。これはどういう風に使うかというと、「子供の使いじゃないんだぞ。相手の言うことを真に受けてどうする!西と言ったら東を悟れって言うだろうが、少し頭を働かせよ。

これは車のセールス時代によく言われてしかられたものだ。

  • 西の空が曇ってくると雨になる。……低気圧が日本列島に近づいてくると、西の空が曇って、天気が崩れてくるという。

今度は南だ。

  • 南風が突然やんだら雨。……今まで吹いていた南風がピタリとやんだら、やがて雨が降ってくるということ。
  • 南風でもたんと吹きゃ寒い……暖かい南風でも激しく吹けば寒く感じる。よいものでも度が過ぎれば、よくない結果になることのたとえ。夜冷えるからと言って電気毛布をつけっ放しで寝るのは、やり過ぎだ。南風でもたんと吹きゃ寒くなるように、体にはよくない。

御しゃる通り、反省します。今日から電気毛布は寝る前だけにします。

  • 南に空き地がある敷地は吉……南にスペースがあれば、日当たりが良いので、当然吉。日当たりが良い家は健康上もよいし、病人も出にくい。理想的だということ。

我が家はタップリ日が当たる。その一軒南の家は、大きな病院が日陰をつくるから、午後にならないと日が射さない。この辺りで一番条件がいい。吉なのだ。

北は仰山出てきた。

  • 北側に窓をつくると病人が出る。
  • 家の北側に便所を造ると病人が絶えない。

困ったことを言うな。街中でそんなこと言われると病人ばかりになってしまう。今は水洗だから南側でも臭わないが、昔は汲み取り式なので北側でないと臭いが充満してくる。

  • 北枕で寝かせると病人は回復しない。……北枕とは頭を北側にして横臥すること。お釈迦様が入滅した時、頭を北に向けていたことから、死人を横たえる時は北枕にするのが習わしになった。そのため、頭を北に向けて寝るのを忌み嫌うようになり、このような言い伝えになった。
  • 北向きで髪を結ってはいけない。……これも北向きを忌み嫌てっいる。

待てよ、よく通りかかる美容院はみんな北を向いているぞ。イカンがやカーチャンそこで髪を結ってもらっている。南無阿弥陀仏。もう一つアーメンも入れておこう。

  • 北向きで着物を裁つと裁ち損なう。……これも同じ。そんなに北を嫌わないでもいいのに。北があるから南もあるのに。

暇なときは電子辞書遊びがいい。

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2014年2月 2日 (日)

だだくさ

この言葉は尾張地方ではよく使う。無駄に使うことを「だだくさ」と言う。こういうことにぶつかると、友人の名古屋弁研究家のマイタウンさんの『名古屋弁重要単語熟語集1~4』を覗いてみる。案の定出てきた。チョットお借りします。だだくさの「だ」は無駄の「駄」で、「つまらないもの」「そあくうなもの」を意味している。「だだくさ」は「駄沢山」が縮まったもという解説がある。

わたしは「駄々をこねる」ことからだろうかと考えていた。でもそうだとすると意味が違ってくるし、「駄々」の後に続く「くさ」につながらないから、どこから来ているのか考えていた。そうか「駄沢山」から来ているのか、納得した。

ここで「駄」が気になってきた。電子辞書では、
――馬の背に物を背負わせる。のせる。駄馬は、荷を背負って運ぶ馬。つまらない馬。下等な馬。駄賃は、駄馬で運ぶ荷物の運賃。使いをした報酬。
馬に背負わせた荷物。荷駄。
馬一頭に背負わせるだけの重量。36貫(135kg)。
荷役に使う馬。乗馬にならない劣った馬。駄馬。
値打ちのない物。駄賃・駄作・駄句・駄本・駄洒落・駄弁・駄目。
酒3斗5升(約63リットル)
はきもの。下駄・足駄・雪駄。――

今から7年前に、頚椎と脊椎の手術に5月に2週間、8月に2週間入院した。この時留守中に家内が草が生えてしかたがないので、除草剤の顆粒状のものをたくさん撒いた。1年後に30年物のモクレンと、50年もののニシキ木が二本枯れ倒れた。この時「だだくさに除草剤を使って」と叱りつけた。木というのは根っこの先の方で栄養を吸い上げるから、木から遠いからといって安心できない。ご用心。

小言もだだくさにつかうと、嫌われるよ。

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2014年1月21日 (火)

ちゃっと

チャット (chat) とは、インターネットを含むコンピュータネットワーク上のデータ通信回線を利用したリアルタイムコミュニケーションの事。chatは英語での雑談の事であり、ネットワーク上のチャットも雑談同様に会話を楽しむ為の手段である。

今回はこのチャットではない。

「これから出かけるで、ちゃっとやりゃよ」(これから出かけるからすぐに準備をやりなさいよ)

「ちゃっと」とは、「すぐに」という意味で使っている。

「ちゃっちゃと」も同じ意味で使っている。ちょっとより少し意味が強く、「もっと早く」ということになる。
「グズグスせんと、ちゃっちゃとやりゃ」という叱り言葉に近い。

「ちゃっちゃと」を検索したら、福井の方言と出た。その意味は「すばやく。さっさと。ぐずぐずしてえんと、ちゃっちゃとしねま」(ぐずぐずしていないで、さっさとしなさい)

と出てきた。でもこの言葉は、この尾張でも使っている。だから福井というより東海地方全体で使われているような気がする。

ワシなんか「チャッチャと走りゃ」とよく言われたものだ。だが、
「そんなこと言ったって、足が短きゃでイカンわ」と言い訳していた。こんなんでもさくら道270kmに挑戦すること3回。完走ゼロ。169km29時間が精一杯だった。いい思い出だった。

チャッチャとはなかなか走れんわァ。

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2014年1月14日 (火)

頭の中に言葉が流れる

突然こんな言葉が朝方、カスカスの頭に流れてくる。こういうことは絶えずある。

今日が2つも流れた。まるで流れ星である。

最初に流れたのが、「発足」である。これは物事が活動を始めることである。ではなぜ「足」がついているのだろう。調べると、もう一つ意味があった。出発すること、旅に出ること。そうかそれで足を発するであったのか。こんな他愛のないことを朝方から辞書を調べている。

広辞苑で調べると、どの辞書にも「はっそく」「ほっそく」ともうと書いてある。
そこで両方を調べると、「はっそく」と「ほっそく」が少し意味が違って書いてあった。

「はっそく」を調べると、

  1. 出発すること。
  2. 団体などが新設され、活動が開始すること。 「ほっそく」ともいう。

「ほっそく」を調べると、

  1. 出発すること。出立すること。
  2. 組織、機関などが作られてその活動を開始すること。 「はっそく」ともいう。

これは明らかに違った意味が入っている。「はっそく」を見ると「ほっそく」と書いて意味が同じと振っている。その逆も同じである。

電子辞書では、「はっそく」中に、広辞苑でいう「ほっそく」と同じ意味であると書いてある。

こうなると、バス旅行で「ハ~イ発足(ほっそく)」!と言わないといけないみたいだ。

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2014年1月13日 (月)

ぞぞげが立つ

これはお恐ろしくて、ゾッとして身の毛が総立ちすることを言うと思って使っている。これって名古屋弁きゃ?

パソコンで調べると、出てきた。この言葉を質問コ-ナーでこう回答しているものを、丸投げします。

地方の言葉のようです。
播州弁・・・おぞ毛が立つ。鳥肌が立つ。「ぞぞ毛が立つ」とも。一般に関西方言では「サブイボが出る」と表現。
三河弁・・・ぞぞ毛が立つ。 鳥肌が立つ, 頻繁, 恐怖感で全身鳥肌が立ったり、身の毛がよだったりする状態。

私はねェ、個人的には、言葉を強調するときに濁音が使われる思う。今回の「ぞぞげが立つ」は「身の毛が総毛たつ」から、出来たんではないだろうか。「総毛立つ」に「ぞ」がくっ付いて、「ぞそ毛立つ」に変わって強調したんではないだろうか。私は国語学者でもなんでもないから、あてにせんといてね。

例えば「ど」なんていう濁音は、どんどん出てくる。
私の肉体だけでも、ど禿…実は刈り込んで短いだけだが。
ど近眼・どツンボ(イカン禁句だ)・どチビ・どタワケ・ど阿呆などいくらでもあるがやっぱり強調していることが似ている。
ど貧乏…ホッテおいてくれ、好き好んで貧乏じゃないワィ。

名古屋弁の師匠「マイタウン」さん、ご指導を。

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2013年12月 9日 (月)

話と噺と咄と譚のはなし

「はなし」という漢字には、話・噺・咄・譚があった。他には花詩・花枝という美しい字ではあるが、話にならん。

手始めに「話」は、言と舌でとからなり、人々が調子を合わせるよいことば、「はなし」の意を表す。皆で調子を合わせなきゃいかんのと、罵声を浴びせてはいかんのであると、漢和辞典の『角川新字源』は言っている。

「噺」は、口と新とからなり、新奇なことを話す意を表す。その意味は物語とある。この漢字はメイドインジャパンの「国字」であった。漢字はメイドインチャイナばかりではありません。「働」という漢字は、人が動くで働くという日本人の勤労に対する態度そのままの漢字に感動する。これは中国へメイドインジャパンの漢字として輸出された。

ここが中韓とは違う。真似事から始まるがそこから一歩も二歩も工夫して自分のものにする。漢字から平仮名からカタカナまで作ってしまう。これが中韓とは大違い。話はそれたが、噺家というのは主に落語家と限定されている。

「咄」も実は、咄家という落語家を表していた。実はこの漢字は中国産で、向こうでは意味が少し違う。しかる・舌打ちまたはその声・やあ、という呼びかけの声・おや、という意味になる。日本ではこれを、はなしという意味に使っている。

「譚」が、これが厄介だ。これをどこで使うか。意味は、はなし、物語、かたる、はなす。「譚・タン、ダン」を追いかけると、
「聖譚曲」…普通、宗教的、または聖書の主題による台本を、独唱、コーラス、オーケストラのために作曲したもの。オラリオ。
「譚歌」…物語のよって作詞した歌曲。また、物語を歌い上げた歌。
「譚詩」…自由な形式の小叙事詩。バラード。
とあるが、ほとんど馴染みがない。

英語では、talkとspeakがある。
「トーク」は、口をきく、話をする、しゃべる、語る、講演する。
「スピーク」は、ものを言う、話す、話しかける、言葉を交わす、口をきく、談話する、演説をする。

私ねェ、あといくらもない生涯で、おそらくたった一度になる講演会を、地元のサウスライオンズクラブでやったことがあった。これもおそらく一度になるエッセイ集を自費出版をしたことに端を発し、知人の会長から頼まれた。物怖じしない私はすぐにOKした。

この時、60人ほどの聴衆に私のことを、「それでは本日のスピーカーをご紹介します」という。私は「ヘッ?ワシはいつから校内放送に使うスピーカーになった?」と思った。後でよく調べると、話者、語り手、演説者、弁士のことをいうことを知った。では校内放送に使うスピーカーは、本来ラウンドスピーカー(拡声器)が正式で、スピーカーはその略だということも知った。

今日は真っ暗な4時に目が覚めてしまった。、「話」にはいろいろあると夜中にふと思い、調べ始めたら、ラジオ体操に行くのも忘れていた。気が付いたらもう7時になっていた。テーブルの上には漢和辞典、広辞苑、電子辞書、パソコン2台で格闘した。

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2013年12月 8日 (日)

分と解

 

中日新聞の「中日春秋」のコラムにこんな記事が出ていた。

「分」という字の中には、刀がある。八の字を左右に切り分けるから、分ける。そして「分ける」という言葉から、「分かる」も派生したという。きちんと分けられないということは、分かっていないということだ。

この刀がついている漢字は結構荒っぽい。たとえば「解」は角の音から「かく」→「かい」と発音する。

意味は、角のように髪を別けることから「わける」意味になる。

では「解」はというと、刀で牛を裂き分けるになり「わける」「わかる」になる。

まだあるよお立会い。「蟹」である。カニはこれからがシーズンというものではない。今は全シーズン通して手に入る。ロシア産が年中入るからだ。この蟹という字は、姿かたちを見ればわかる、見るからにバラバラになっている節だらけである。食べるときはなおさらバラバラにする。

漢和辞典で「刀部」を調べると、この漢字は象形文字で刃物の形にかたどり、「かたな」の意を表す。これを部首にして刀の状態、種類、刀によって切り裂く働きなどの意を示す字ができている、とある。

「切」は、「七」と「刀」となっている。ここでアレッと思う出来事に出会った。「七」を調べると、横線を縦線で切断するさまにより、断ち切るを意味する。その「七」と「刀」を増し加えて、「きる」意に用いる。

「初」は、刀と衣とからなり、衣を作るはじめの裁断、転じて、もの事の「はじめ」を意を表す。

「券」は、むかし、二つの木片に刻み目をつけ、刻みが合えば契約の証拠とした。水戸黄門でよく密貿易(抜荷)をする時に使っている割符がそうである。電車の切符の前身か。「尾張屋もワルよのう」という代官の声が聞こえる。

あはっ、面白いなァ。暇つぶしにはいいわァ。

 

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2013年11月11日 (月)

御座るの尾張弁

手っ取り早っく電子辞書を引いてみた。いとも簡単に出てきた。
SONY製 DIGITAL DATA VIEWER DD-IC5000 である。
リーダーズ英和辞典
カタカナ発音英単語検索辞典
新和英中辞典
国語辞典
漢字字典
カタカナ新語実用辞典
暮らしのことわざ早引き辞典
四字熟語早引き事典

これだかけ入っていて、タダだ。へっ?無料…。いやいや、息子が持っているのを取り上げただけだ。(アハッ、ごめん)

ござる=①「居る」「ある」等の敬語。⇒「御座ある」から転じた形。㋐「居る」「ある」の敬ったいいかた。いらっしゃる。おありになる。㋑「ある」の丁重な言い方。⇒(イ)は、現在では、「「まる」と合して音便になった「ございます」の形で使う。「来る」「行く」の敬語にも使う。「早う…れ」
(俗)すっかりまいる。㋐物が腐ったり、いたんだりする。㋑もうろくする。㋒惚れ込む。

と出てきた。この尾張では、
梅「竹ちゃんござらっせるかねェ」
竹の女房「ござるよゥ」
梅「そうかね、ござったかねェ」
竹「なんじゃ梅、ワシになんかよかね」
梅「おう、ござったござった」

とこんなぐわいに使う。

ところで、この「ござる」は、辞書にどうどうと出てくるところを見ると、標準語かね。

竹「おう、梅ちゃん、先に風呂に入れよ」
梅「それじゃ、お先にご無礼します」(皆さんよりお先に失礼を顧みず、風呂に入らせていただきます)

行列している人の中を横切る場合は特に、手刀を切って、「ご無礼します」と言いながら分け入り通り抜ける。この手刀を切りながらのご無礼なんかは、今の中国に教えてやりたいものだ。手刀は、相撲取りが勝ち名乗りを受け、行司から懸賞金を受け取るときに、手をかざしてチョンチョンチョンと空手を打つ仕草をいう。

仕事を終えて帰るとき、「先輩、お先にご無礼します」と言ってタイムカードを打つ。

このご無礼はなんとも武士言葉のようである。さすがこの尾張は、信長・秀吉・家康を輩出した地である。

そんじゃ、今日のブログはこれでご無礼します。

 

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2013年10月29日 (火)

しょぼくれる?

「しょぼくれる」をグーグルで検索すると…元気がなく、みじめなようすである。「―・れた格好」とでた。

ウン、これは意味は分かってるって。ならば、江戸時代の百科事典と言われる『嬉遊笑覧』喜多村筠庭著のお知恵を拝借すると、原文のまま書くよ。
「今のことわざに、しほたれる形をしょぼくなしと云うは、此如木なるべし。如木ならぬはしほたれる也」とある。余計に解らん也。
此如木…が解らん。「此」と「如木」を分離したらどうか。「此」は「これ」と訳せば後は「如木」が残る。なんか知らんが消去法で解決せにゃいかん。では、「如木」とは何か。
この『嬉遊笑覧』喜多村筠庭には、「しほたれる」の前文にもう一つ説明があった。
「今の世にも仕丁などの著る白張を如木といふも、麻布(〈あざぶ〉でないよ、〈まふ〉という)をこはく(〈琥珀〉でないよ、〈強く〉だよ)張りて木の如くなるを云う」
※上文の太字の訳
如木…「じょぼく」といい、古語辞典では、こわばって木のようなまさの意から、糊を強くきかせた装束の総称。強装束のち、「白張…しらはり」などを着て履(くつ)傘などを持ち、公卿の供をする下僕。
仕丁…「しちょう・じちょう」という、昔の諸官庁などでの雑役夫
著る…つける
「今の世にも仕丁などの著る白張を如木といふも、麻布をこはく張りて木の如くなるを云う。
これを現代文に置き直すと、「このごろ下僕が着るパキパキの白張の装束は、麻に糊を効かせて、まるで木のようだ。だからしおたれてもしょうがない」。ここから「しょぼくれる」、強いては言えば、元気のないさまをいう。
今頃流行りのモヒカン頭、髪の毛を真ん中で糊で固めたやつ。これも直ぐにしょぼくれるぞ。下の画像は、アメリカ先住民族でモヒカンの元祖、モホーク族の酋長。この髪型は1980年代に流行ったそうだ。もう君、遅れているよ。
これだけ訳すのに、テーブルの上には、広辞苑・古語辞典・『嬉遊笑覧』喜多村筠庭・電子辞書・パソコン2台で、ゴチャゴチャだ。もうこれだけで「しょぼくれた」。

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