ドラゴンズよ、日本一の竜が妙興寺にあるから、一度参詣したらどうかね
妙興寺(一宮市)の稲垣老師から、昨年頂いた『妙興寺散歩』という本のよると、仏殿の鏡天井の大円の中に、5間四方にわたる竜が、珍しく洋画で描かれている。絵師は山喜多二郎太。明治30年(1897)福岡生まれ、東京美術学校西洋画科に入り、藤島武二に学ぶ。昭和40年病没とある。
仏殿は南から入ると、うっそうとした参道の奥に「総門」があり、その向こうに一段と明るい勅使門が見える。これを右から回り込むと「竜王池」があり石橋が掛かっている。その北側に下が吹き抜けになっている山門、そして一段と高い石段の上の「仏殿」がある。
妙興寺は、明治23年2月26日、一雲水が打ち上げた花火は、折からの強い西風にあおられ、たちまち火を発し、諸殿を焼き尽くした。翌年24年には濃尾大震災で諸堂倒壊。壊滅状態の寺は、以降再建に全力を尽くした。
大正14年に仏殿が再建された。この仏殿は一宮出身の天才画家・佐分真の母たまさんらの寄進によるものであったから、佐分と親交のあった山喜多に特に天井画を依頼された。それだけに心血をそそいで製作した。
妙興寺の先々代の河野宗寛老師の『一禅僧の自伝』のよると、昭和31年の春ごろからかかって、12月に完成した。天井を下ろして立てかけ、それに足場をかけて、絵を描いた。絵の具だけでも70万円掛かったという。ただ描き代はただだという。油絵では日本一大きいそうだ。その大きさは、五間四方という。
当時の物価が、ピースが40円、ハガキが5円、封書が10円だというから相当な絵の具代だった。
絵が出来上がり、いよいよ竜に目を入れようということになった。
仏殿天井画竜点睛仏事が、昭和31年12月16日行われた。お経を唱えて、竹の一間半ぐらいの竿に筆をつけて、竜の目にポンと入れた。そうしたら、それこそ摩訶不思議、その大きい竜がうなった。
「ウオ~ッ」と。それこそ境内に響き渡った。観衆は寺側の演出だと思ったという。実は有線放送の集落中に響き渡る12時のサイレンであったという。あまりにも偶然で驚いたという話が残っている。
右のイラストは、左がドラゴンで、右が竜だからね。同じでないんだわァ。恐竜ドラゴンとは、別々のものなんだがねェ。まァ日本一になってから、考えよみャか。
いま中日が、クライマックスシリーズで大変楽しみな活躍をしている。一度ドラゴンズの選手も、妙興寺に参詣した方がいいのではないかね。禅寺で修行僧もいるよ。
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